運命だけど特別じゃない

鍵垢で話していた「運命の恋は天花の彼方」と「ファタリタの果実に口付け」から真木晶は運命の人とし振舞えるけど特別な誰かにはなってくれないという話のまとめ。

前提として最近ようやく読んだ「運命の恋は天花の彼方」がめちゃくちゃ好みだった。ここ最近のまほやくナンバー1ストかもしれない。ココとメルがあまりにもツボだったので。そう私はハイムリック北崎に狂わされたオタク。

真木晶って賢まほたちにとっても運命の相手ではあるけど特別な人には晶がしてくれないよねみたいな寂しさがあってそこが好きかも。ココに向ける感情と賢まほに向ける感情にあんまり差がないところが他者への愛情の確固としたものを感じで良かった。

実際ココに言ってる「運命の人だから好きなんじゃないの?」って賢まほたちにも返ってくると思っていて、それは付き合いの長さやその中での交流の中で育まれた親愛があると思うんですけど、でもあまりにも運命だからずっと疑い続けることになりそう。私は晶と賢まほの関係もプロレスだと思ってるんですけど、それって晶からの「運命の人だから好きなんじゃないの?」という問いかけとそれに対するアクションが必要でそこが好き。

真木晶という人、親愛の情を21人に等しくそそげてしまうということが悲しいのかもしれない。「特別ですよ(あなたたちら皆が)」という人で多分それが根幹にあるのでバトルができるんだな…。

なんていうか平等な愛情というものをもっと人類は尊んでもいいと思っていて、私は恋愛というただ一人に向けられることが多い愛情より複数人に等しく注がれる親愛というものがめちゃくちゃヘキなんですね。でもそれって寂しいなとも思います。私は寂しいものが好き。でも親愛を舐めないでほしいし、だからこそ晶は特別にしてほしいという誰かに対して等しく注ぐことのできる愛で戦ってほしい。

それでファタリタの話なんですけど、晶って運命の果実を分け合っても特別にはしてもらえないんだよな。オーエンの運命にはなれても特別にはなれない。オーエンはそれを知ってるし、そのことに期待をしているから唆すこともできるんじゃん?と思った。

わりとオーエンも親愛というものの価値を認めてる側だと思っていて、本人はあんまり気づいてなさそうだけど、親愛を等しく注ぐところが気に入ってるとおもうんですよね。カインに対して騎士らしくあってほしいと願いながら、失望するなら早く失望したいと試すように、晶のことも試し続けていると思う。早く失望したい。でもそうじゃないことが嬉しい。

大前提として私は運命CPそんなにハマらなくて、運命なんてないけど知らねえ!って全力で縁を繋ぎに行く奴らが好き。カイオエは全然運命じゃなくて、オーエンが無理矢理繋ぎにいった因縁なのがいいなあと思っている。

ただ、運命CP、めちゃくちゃ本命じゃないしあまり恋愛にならないんだけど次点で好きみたいな感覚がある。それでいうと晶絡みだとブラッドリーとの関係は好きなんだけど、二人とも運命だけど特別じゃないことに自覚的だからかもしれない。特別ではない一人として互いに大事にできて心を通わせられる…。

なんとなくフィガロは本人が運命やりすぎてるせいか、特別へのあこがれがありそうで、晶との組み合わせを書いてるとなんかすげー悲しくて可哀想になってくる。フィガロもわかっているけど多分諦めきれてないから。

ファタリタのハイネと花嫁は運命だし特別だったねと思う。生き方を変えてしまうほどの運命だったから元には戻れなかったね。

ここまで雑に運命という話をしているけど私にとって運命って不可逆な変化を与える人なのかも。不可逆な変化を与える人、あまりにも強い。でもその人が自分を選んでくれるわけじゃないのってめちゃくちゃ酷い話で最高だな…。