編集者とホラー作家パロ1(カイオエ)

タイトルもない。

ふっと思いついて書いたので続きを書くかも完結するかもわからない編集者のカインとホラー作家のオーエンという現パロ。


「どうだった?」
 カインが手元の原稿用紙から顔を上げると、不機嫌そうな両目と目が合った。実際のところはそう機嫌が悪いわけではない。怜悧な美貌を持つ彼が真剣な表情をすると不機嫌に見えがちだとこの半年の付き合いでカインはよく理解していた。
「面白かったよ。インターネット上の実話怪談がメインの話かと思いきや、主人公の生まれ故郷に伝わる伝承と結びついて段々怪異が近づいてくるところが斬新だった。中盤のドラマチックな描写は流石だな」
「そうじゃなくて、」
 とん、と彼の指先が喫茶店の分厚いテーブルを叩く。これは明確に苛立ちの合図だ。
「怖かった?」
 この問いをされるとカインは弱い。
「怖いと思うよ」
「おまえは?」
 真っ直ぐな瞳に射抜かれてカインは言い訳を飲み込んだ。
「俺は怖くないけど……」
「じゃあボツ」
「いやいやいや──これ、すごく面白いんだって! オーエンの新作短編を載せないなんて、俺が編集長と読者に怒られるよ」
 カインはオーエンが奪い取ろうとした原稿用紙を腕に掻き抱いて死守した。
「でも怖くないんだろ?」
「何度も言ってるけど、俺は怖いって感覚がわからないんだよ」

 

 カインは中堅出版社の文芸編集者をしている。それほど大きい出版社ではないが、ミステリやホラーのジャンルでは良い本をだすと定評があり、発行している文芸誌にはファンも多い。元々大学のミステリ研究会に所属していたカインは面白いミステリ小説を出したいという志を持って入社した。念願叶って数年前からは何人かのミステリ作家を担当している。
 ところが、編集長に突然呼び出されたカインは、新しい作家を担当するようにと言われた。
「オーエン先生。カインも名前くらいは知ってるでしょう?」
「ああ」
 オーエンは新進気鋭のホラー作家だ。緻密で豊かな情景描写が「自分の内側にある自分も知らなかった恐怖を呼び覚ます」とも言われ、今一番人気のホラー作家といっても過言ではない。つい昨年にはデビュー作が映画化され、好評だったと聞いている。
「オーエン先生をカインに担当してほしいんです」
「オーエン先生ならもう編集がついてるはずだろ?」
「それが……元々担当だったオズが揉めちゃったんですよね……」
 はあ、と編集長は息をつく。オズは文芸編集部の中でも一番の古株で、編集長よりも社歴が長いと聞いている。
「俺、ホラーはあんまり詳しくないんだけど」
「そう思ってオーエン先生の作品は他社のものも含めて用意してあります」
 どん、と編集長はカインの前に本の山を置いた。
「こっちはここ最近ヒットしたホラー小説を何作かピックアップしてみました。詳しくないって言いますけど、カインはちゃんと準備して臨んでくれる人だって分かってます。それに作家の皆さんと誰よりも上手くやれる編集ですから……。承知してもらえませんか?」
 そこまで言われては断るのも気が引ける。編集長の言うとおり、何も得意分野だけで仕事をしているわけではない。必要なら作家と一緒に取材にも行くし、本屋を何軒も回ってプロモーションを考える。
「わかったよ」
「ありがとうございます」
 カインはそこから一週間かけてオーエンの書いた過去作から最近のホラー小説のヒット作まで読み込んだ。そして、いよいよ初顔合わせの日がやってきた。

 初顔合わせは編集部の応接室で行われる。約束の時間の数分前になって「オーエン先生を応接室にご案内しました」とアルバイトのアシスタントから声をかけられた。編集長と共にカインは応接室に入った。
 ソファに腰掛けていたオーエンはカインの想像よりもずっと若かった。カインと同年代──もしかしたら年下かもしれない。プロフィールについては尋ねれば編集長が教えてくれたことだろう。しかし、カインは彼の作品を読むことに夢中で、年齢も性別も聞いていなかった。
 若いだけでなく、オーエンは印象に残る美貌の男だった。血の通っていないような白い肌は、生物よりも氷や雪のような無機物めいている。そして、何より印象深いのは彼の両目を異なる色が彩っていることだった。カインは自分でも驚いたことにしばらく見惚れてしまった。
「本日はありがとうございます」
 編集長が口を開いたことで我に返る。慌ててカインは一緒に頭を下げた。
「別に」
 そっけない口調でオーエンは答えた。
「それで、こっちが新しい担当?」
「はい。オズに変わって自分が担当編集を務めます。カイン・ナイトレイです」
 カインはにこやかな笑みを作って名刺を彼に渡す。オーエンは名刺とカインの顔を一度ずつ見やると無造作に名刺を応接机の上に置いた。
「どんな本を作ってきたの?」
「最近はアーサー・グランヴェル先生の本を担当してます」
「へえ。あの王子様」
 カインの担当作家の中でも今一番名が知れているのはアーサー・グランヴェルだ。二年ほど前にデビューしたミステリ作家。珍しい姓から王族の血筋だとわかり、一時は話題にもなった。
「読んでいるのか……いや、読んでいるんですか?」
 カインは海外育ちだ。バイリンガルであることは翻訳物も発行しているこの編集者では重宝されているが、一方でどうにも敬語や固い言葉遣いで話すのは何年経っても苦手なままだ。
「いいよ。使い慣れない言葉を使わなくても。──話題の本は一通り読んでる。面白かったよ。帯文も印象的だった。あれはきみが書いたの?」
「ああ」
 カインが答えると、オーエンは編集長に顔を向けた。
「いいよ。オズのことは手打ちにしてあげる」
「ありがとうございます」
 編集長はぱっと顔を明るくすると深々と頭を下げた。
 オーエンはカインの方を見てにやりと口の端を吊り上げた。
「僕の担当編集は二回変わってる。一人目は僕の小説を読んだあと、『知らない男が背後にいる』って言って家から出てこなくなった。二人目は『山神様が呼んでる』ってどっかの山に行くって言ってそれっきり。流石に二人も編集者が失踪したからってその出版社からは仕事を断られて、それでここで本を出すことにした。オズは……」
 機嫌良さそうに回っていたオーエンの口が唐突に止まると、不機嫌そうな表情を浮かべた。
「あいつは丈夫だけどムカつく」
「それで四人目が俺?」
「そう。怖くなった?」
 オーエンは試すようにカインを見る。
「あいにく、俺は怖いって感情がないんだ」
「は?」
 カインにはなぜか小学校に上がる以前の記憶がない。ただ、それ以降覚えている限り、怖いという感情を抱いたことはなかった。だから子供の頃は平気で危ないことをやったし、実際怪我の絶えない子供だった。勇敢だと褒められることも多かったが、カイン自身は己を危なっかしい気質だと思っていた。恐怖というのは生物にとって欠けてはならないものだからだ。
 だから、文芸編集者になった。人の生き死にに遠い仕事をしようと思って。
「大丈夫だ」
 どれだけ怖いと評判のホラー小説を読んでも、面白いとは思えど恐怖心を覚えることはない。それでも、どんなものが読者の心を掴むのか自分なりに分析はできた。オーエンの書く小説が編集者をも狂わせる魔力があったとして、自分だけは大丈夫だという自信がある。
 爽やかに微笑んでカインはオーエンに手を差し出した。オーエンは虚を突かれたようなような顔をしてからカインの差し出した手を無視してソファを立ち上がった。
「怖いって感情がない? そんなわけがない。人間の一番強い感情は恐怖と怒りだ」
 オーエンは燃えるような視線をカインに向ける。初めて彼の生き物めいた部分を垣間見た気がする。
「僕がきみを怖がらせてあげる」
 オーエンが多少気難しいところのある作家であることは編集長から聞いていた。それでもカインは上手くやる自信があったし、一瞬前までは和やかにこの会談を終わらせるつもりだった。
「できるものなら」
 それは仕事相手に言う言葉ではなかった。実際編集長は「カイン!?」と慌てたような声をあげていたし、カイン自身も「あっ」と自分の口を押さえる。なんでそんなことを口走ったのかわからない。まるでこの体が何かに操られて、突き動かされているみたいだった。
 それくらい、オーエンの宣戦布告はなぜかカインを興奮させた。
 まるで運命に出会ったみたいに。