プロローグ 7月13日

7月13日

 耳に付けた通信機インカムから緊急通報の受電を示す電子音が鳴った。センサーを叩いて受諾の信号を送ると、合成音声が冷静な声で報告する。
「W-8地区でC-103案件にて捜索中のアシストロイド一体の信号を検知。至急現場に急行願います」
「了解」
 カインは買ったばかりのアイスコーヒーを一気に飲み干すとエアバイクに跨った。休憩なんてあったもんじゃない。W-8地区はここからなら十分程度で現着できる。手元で緊急走行であることを伝えるシグナルを発信してからスピードを上げた。周囲の車両は行儀良く道を開ける。
 C-103案件と聞いて、珍しく端末に表示された事件詳細を見ずともなんの事件かすぐにわかった。フォルモーントシティでも指折りの大富豪が所有しているアシストロイドの誘拐事件。ここ数日、フォルモーント・シティポリスはこの事件に多くの警察官をつぎ込んでいた。
「今月でもう三件目か」
 思わずカインの口からため息がこぼれる。
 今年に入ってカインはブラッドリー・ベイン署長直属の部署に異動となった。署長室付きC案件対策班。アシストロイドに関わる事件捜査を目的としたその部署は、ブラッドリーの肝入りで、メンバーも雰囲気も彼の抱える独立部隊といった風だった。カインも無理矢理パトロール隊から引き抜かれた上に、毎日こき使われている。平時は今までと同じく街のパトロールを行なっているが、アシストロイド絡みの事件が起きるとこうして昼夜問わず呼び出された。休暇を最後に取った日はもう思い出せないし、ここ最近は忙しすぎて、休憩もまともに取れていない。
 W-8地区は小規模な工場が密集している工業地域だ。現場に近づく前に緊急走行用のシグナルを停止する。エアバイクの速度を落として信号が検知された地点へと近づくと、通信機からブラッドリーの声が聞こえた。
「カイン。ネロがすでに現場に到着してる。今送った地点で合流して待機」
「了解」
 事件が起こればいつの間にかブラッドリーが指揮を執っていて、いつ寝ているのかと不思議なほどだった。一度は心配して声をかけたものの「てめえはてめえの心配でもしとけ」と軽くいなされた。実際のところ、これだけ事件が頻発していても署内が崩壊しないのは、彼の手腕によるところが大きい。
 端末の示した地点はある工場の敷地内だった。バイクを停め、指定された建物に入る。そこにいたネロにカインは敬礼をした。
「お疲れさま」
 ネロは敬礼の代わりに軽く手を振った。
 彼の他にも数人の捜査員が室内で機材を広げている。
「状況は」
「捜索中のアシストロイドの信号はここから一ブロック離れた工場内から発信された。ブラッド……署長の指示でここの工場の責任者に話をつけて、この部屋を借りて監視中。信号が途絶したからマナプレートを抜いたのか、それとも……」
 乱暴に停止させたのか。そうであれば最悪だ。
 フォルモーント・シティポリスの力を以てしても、一ブロック離れた工場内の様子を窺うことはできない。工場内の防犯カメラの映像はネットワーク経由で確認できるようになっているはずだが、電源が落とされているらしい。
「突入は?」
「中の様子がわからなきゃ危険すぎる」
 ネロは手元のモニターに目を落としながら答えた。様々なセンサーを搭載した監視用ドローンから送られてくる情報が表示されている。
「工場内は調べてないのか?」
「向こうに気づかれたらまずいからってまだ許可が降りてない」
 ネロが渋い顔をする。誘拐されたアシストロイドもの様子も気になるが、犯人を逆上させるわけにもいかない。
「オーナーは身代金を払うと言ってる。だから不用意に手を出すなっていうのがブラッドからの指示」
「いいのか? それで」
「悪くても向こうはシティの議会にも顔が利くんだぜ?」
 フォルモーント・シティポリスのさらにその上を押さえている人物が、この誘拐事件を身代金を支払ってケリをつけたいといえば、カインたちも従うしかない。犯人グループからの要求額はカインからしたらとんでもない金額だったが、大富豪ともなれば払えない金額ではないのだろう。とはいえ、今月に入ってアシストロイドの誘拐事件はすでに三件。これ以上犯人たちに味をしめられても困る。
 ちょうどその時、ブラッドリーから通信が入った。
「カイン。現場についたな」
「ああ」
「時間がないから手短に。これから犯人グループから指示のあった身代金の振込先について解析する。受け取り口座の情報は何重にもダミーを噛ませてるはずだが、実際に資金移動の処理が走れば追跡が可能……とウチの解析係が言っててな。そこで、おまえは身代金の支払いが済んで、犯人グループが油断したタイミングで奴らを検挙しろ。もちろん人質のアシストロイドに傷をつけるんじゃねえぞ」
「応援は?」
「間に合わねえ。てめえとネロでなんとかしろ」
 ネロにも同じ通信が入っていたのだろう。彼は「はあ?」とこめかみをひくつかせた。アシストロイドの同僚は人間と変わらぬ反応を見せる。
「以上。返事は?」
 ブラッドリーは異論を唱えさせない。だから返事はいつだって一つだ。
「イエッサー、ボス」
 ネロも渋々頷く。
「じゃあ、なんとかするか」
 無茶振りはいつものこと。カインとネロは犯人検挙のために動き出した。

 

 カインが自宅に帰り着いたのはとっくに日付が変わった深夜のことだった。署内でシャワーを浴びてきたのでそのままベッドに倒れ込んだ。
 誘拐されたアシストロイドは無事救出でき、犯人グループを検挙することにも成功した。送金ルートもじきに解析されて身代金も返ることだろう。一件落着と息をつくには、最近この手の事件が多すぎた。
 元々アシストロイドの誘拐事件というのは珍しい。アシストロイドはネットワークを介してフォルモーント・ラボのサーバーに接続しており、常時バックアップが取られている。ゆえに、躯体さえあればいくらでもバックアップを適用して生き返らせることができた。躯体自体がカインたちワーキングクラスの人間には到底手の届かない金額とはいえ、身代金を支払う財力がある者たちからしたらなんてことはない。つまり、根本的にアシストロイドは誘拐に向かなかった。むしろ、しばしば問題になるのは、盗難事件の方だ。
 けれど、去年の春にカルディアシステムの存在が公表されて以降、誘拐事件は増加の一途を辿っている。
 カルディアシステムが搭載されていてもバックアップは問題なく取ることができるし、復元も可能だ。しかし、カルディアシステムを搭載したアシストロイドのオーナーたちは、バックアップから復元した人格と前の人格は異なるのではないかと疑いを抱いている。
 たとえ機械であっても、感情を持った一個の人格を、早々コピーしたり、そのコピーから復元したりということが可能であるはずがない。人間の直感や感情はしばしば論理よりも優先される。
 ラボも公式にバックアップの復元に問題はないと何度も会見を開いているが、誘拐されたアシストロイドのために身代金を支払おうとするオーナーは後を立たない。
 ブラッドリーは馬鹿馬鹿しいと一笑していたが、カインはオーナーたちの気持ちもわかる。アシストロイドにせよ、人間にせよ、バックアップがあるから元通りだと言われたところで見捨てられるはずがない。
「生き返るからって目の前で殺されて平気でいられるわけがないだろ」
 自分の声に思ったよりも怒りの感情が乗っていてカインは驚いた。
 救出したアシストロイドはマナプレートが外されて機能停止していた。アシストロイドの口から身代金の支払いを訴えさせるために一度マナプレートを装填したタイミングで信号が発せられていたようだった。この辺りは犯人グループもお粗末というより他ない。
 機能停止していても、誘拐されたアシストロイドの表情には恐怖が浮かんでいた。それを思い出すと胸が詰まる。
 アシストロイドにとって機能停止や破壊は死と同じだ。それに気づいたから、人でもなくても、死の恐怖を味合わせて平気ではいられない。ましてや、カルディアシステムを─心を持つ存在に対しては。
 苦々しい感情を振り払うように髪を結んでいた髪留めを引き抜くと、そのまま寝ようかと寝室に置いたホロディスプレイに目を向けた。空中にも映像を投射できるそれを、カインはリビングと寝室にそれぞれ置いていた。隅のアイコンが、自分にオーエンからメッセージが届いていることを知らせている。
 指先で宙に浮かんだトランクのアイコンを叩く。TRUNKトランクという最近流行り出したメッセージアプリを、カインとオーエンも例に漏れず使っている。リリースされたのは今年に入ってからだが、瞬く間に広がって、最近は知り合いと連絡を取るときはもっぱらこのアプリを使っていた。
 メッセージを読んでいると、すぐ側にオーエンがいるような気がする。去年の夏の終わり、気まぐれにやってきた彼はこの部屋のベッドの上で猫のように丸くなっていた。甘いものをねだって、それから──。
「俺が寝るときはソファの上」
 ソファの上にちょこんと座って、薄紅の桜を思わせる瞳で天井を見ていた。アシストロイドは呼吸をしない。そのせいか、黙っている時の彼はただただ静かだった。その姿を見るたびに、カインはオーエンが人ではないことを思い出すのだ。
 あれから一年が経つ。
 メッセージを読み終えるとカインは照明を落としてベッドの中に潜り込んだ。返事は、明日にしようと思いながら。

§

 エンジンをかけてブレーキを離すとバイクは揺れるように動き出して、それから真っ直ぐに加速していく。オーエンはこの瞬間が好きだった。
 背中のバックパックには先ほどまで滞在していた村の人から「おみやげ」と称して渡されたものがぎゅうぎゅうに詰められている。甘いものが好きだと話したら、甘いものをたくさん用意してくれた。その他に野菜や鶏の卵ももらった。一泊した旅人に渡すには多すぎる気がしたが、村にあった壊れた電化製品をいくつか修理したお礼でもあるらしい。
 小石を踏んだのかガタンとバイクが揺れる。フォルモーントシティで普及しているエアバイクと違って、ガソリン式のバイクはうるさくてよく揺れる。オーエンは当然バイクの動かし方も仕組みも熟知していたのだが、初めて乗った時はその振動にびっくりして転げ落ちそうになってしまったくらいだ。それでも乗っているうちに、このガタガタと動く乗り物が面白くなっていた。まるで動物に乗っているみたいだ。
 ちらりと背後を見ると、村はもう遠く見えなくなっていた。
 オーエンがここしばらく暮らしている街から村まで二時間ほどかかる。何もない村を訪れて一泊したのには理由があった。村から街に働きに出ていたある男から、村の実家で牛の子どもがそろそろ生まれそうだと聞いたのだ。
「何それ。見たことない」
 見たことがないというのは、オーエンが持っている視覚デバイスを通して認識したことがないということだ。知識ならいくらでも過去に学習したデータの集積から取り出すことができるが、それだけでは面白くない。彼は全部、この目で見てみたいのだ。
「興味があるなら一緒に行くか? 何にもないところだけどな。俺もそろそろ帰ってこいって言われてるからさ」
「行く」
 そんなわけで二時間かけて訪れた田舎の村は、男の言う通りに特別なものは何もない、この辺りではごく一般的な農村のようだった。けれど、こういった小さな村ほど余所者は立ち入りづらく、男に連れてきてもらわねば実際に目にすることはできなかっただろう。牛の子どもが生まれるところも興味深かった。
 あれこれとオーエン自身のことを聞かれるのに辟易して、手持ち無沙汰に壊れた炊飯器を直したところ、随分感謝され、気がついたら彼の元に村中の家から家電やら何やらが持ち込まれた。市販されているものであれば、ラボのサーバーに接続してデータベースの中から設計書を引っ張りだすことは容易い。こんな小さな村でもインターネット回線は当たり前のように使える。
 オーエンのことを人間ではないと疑ったものは一人もいなかった。村にオーエンを連れてきた男もオーエンがアシストロイドであることは知らない。

 昼過ぎに出発したが、街に帰り着いた時にはもう夕方になっていた。まだ太陽は高く、蒸し暑い気温だ。
「ただいま」
 オーエンは裏通りにバイクを止めると、裏口から二階建ての建物に入った。バックパックを床に下ろして、その中からいくつか袋を取り出したい。
「おかえり」
 顔を出したのは十代後半の少女だ。明るい色合いのTシャツにグリーンのショートパンツという格好は活動的な印象を与える。実際、彼女はこの建物の一階にある食堂でいつも元気に働いていた。彼女の名前はスアン。オーエンが間借りしている部屋の大家の娘だった。
「これあげる」
 オーエンはおみやげとしてもらったもののうち、甘味を除いた食べ物をスアンに渡した。彼女は怪訝な顔で食べ物の詰まった袋を覗き込んだ。
「どうしたのこれ?」
「もらった」
 少女の怪訝な顔が深まる。
「ミンの村でもらったの」
「ああー!」
 ミンというのはオーエンを村に連れて行ってくれた男の名前だ。この食堂の常連だから当然彼女もよく知っている。怪しい物ではないことがわかったせいか、彼女はテーブルの上に中身を出していそいそと検分しだした。
「それで、どうだった?」
「疲れた」
 そう言ってオーエンは床に置いたバックパックを引っ掴むと二階に上がった。二階にはスアンたち一家が暮らす部屋とは別の玄関がある。鍵を取り出して開けると、ここ三ヶ月ほどで目に馴染んだ風景が現れた。物の少ない部屋だ。ベッドとテーブル、椅子。壁から壁に渡された突っ張り棒がクローゼット代わりになっていて、オーエンは上着を掛けたハンガーを、突っ張り棒に引っ掛けた。
 オーエンはバックパックを床に置くと携帯端末を取り出した。TRUNKに新着メッセージがあった。
『七月十五日より三十泊、お部屋を手配しました』
 その文字を見て、オーエンは明日の航空券を予約した。

 

 食堂の閉まる時間に合わせてオーエンは一階に下りていった。スアンは食堂のテーブルで遅めの夕食を食べていた。手元の携帯端末に目を落としている。
「お父さんは?」
 スアンはオーエンに気がつくと顔を上げた。
「父さんならちょっと出かけてる。すぐ戻ると思うけど」
「そう」
 それならここで待とうと思って、オーエンはスアンの向かいに座った。
 スアンが見ているのは動画のようだった。
「フォルモーントシティがおかしくなっちゃった」
 スアンは動画を見ながら呟いた。
「おかしくなったって?」
「アシストロイドのことを人間と同じように扱おうとしてるんだって」
 彼女は馬鹿馬鹿しいと言いたげだった。
 フォルモーントシティの外でアシストロイドを見ることはほとんどない。見ることがあってもかなりの旧式で、フォルモーントシティの住民たちが日頃触れ合っているアシストロイドとは随分と違う。それゆえにシティの外では、カルディアシステムとそれに伴うフォルモーントシティの混乱を、「機械のことを人間だと思い込む集団妄想に取り憑かれている」といったトーンで面白おかしく報道されている。
「スアンはアシストロイドを見たことがある?」
「直接はないけど、動画は見たことあるよ」
「人間とアシストロイドの区別をつけることができる?」
「できるに決まってるじゃない」
 スアンは当然と即答した。
「本当に?」
 オーエンがにやりと笑って問いかけると、彼女は少し気圧されたようだったがそれでももう一度頷いた。
「僕はアシストロイドなんだけど、気付いてた?」
 彼女はぽかんとオーエンを見つめ、それから恐る恐るというように尋ねる。
「冗談よね?」
「うん。冗談」
 それを聞くと彼女は気が抜けたような顔をした。
「びっくりした」
「でも、きみはちょっとだけ僕がアシストロイドかもって思ったんじゃない?」
「だって……ユリックは普通の人間っぽくないところあるじゃない」
 ユリックというのはオーエンの使っている偽名だ。ユリック・ノーマン。人間として生活するための身分証やら何やらに書かれた名前。おかげさまで今の所誰にもアシストロイドだとバレたことはなかった。
「でもちょっとだけよ。こんな意地悪なアシストロイド聞いたことない」
 スアンは肩をすくめた。
「そうかもね。僕は意地悪だから」
 オーエンは彼女に頷くと、そのままもう一つ問いかけた。
「もしも僕と同じくらい意地悪なアシストロイドがいるのなら、それはもう人間と変わらないんじゃない?」
 彼女は何か不思議なものを目にしたような顔をして、それから少し考え込んだ。そして、彼女が口を開く前に、食堂の扉が開いた。
「ただいま」
 スアンの父だ。彼はオーエンを見ると「珍しいな」と笑った。
「急で悪いんだけど、明日ここを出て行くから」
「そりゃまた急な」
「家賃はひと月分、もう振り込んであるからいいよね」
「それはもちろんいいけれど……」
 スアンの父はまだ驚いているようだった。
「ユリック」
 スアンがオーエンに呼びかけた。紐を手放してしてしまった風船を、追いかけるような声だった。
「答えはいつか聞かせて」
 オーエンは彼女に小さく微笑むと、荷造り途中の部屋に戻った。
 荷物は少ない。ほとんどは滞在する街で調達して、そのまま誰かにあげるか捨てていた。ただ一つ持ち歩いているトランクに必要なものを全部詰めると、気まぐれに携帯端末を開いた。

Log Data 1

あなたの前には無数のログデータがある。そのどれもが、誰かが誰かと交わしたネットワーク上の通信履歴だ。
テキストデータと時々画像を示すバイナリデータ。オープンして読み込み、クローズする。その繰り返し。
そして、あなたは判断する。そこにある意味を。

そしてまた、新しいログデータを読み込む。

Log Data

パスワード
JODGLXV