皋所縁お誕生日SS

昏見有貴は偉大なる怪盗紳士を愛し、彼の物語を紡いだモーリス・ルブランにも深く敬意を払っていた。彼の命日には一輪の花がそっと花瓶に生けられ、昏見のバーに飾られる。その花の意味を聞くものは誰もいなかったが、昏見は一人それに満足していた

舞奏競に向け、闇夜衆は日々練習に励んでいた。昼頃から夕方までは合同練習。合同練習の前後は舞奏社の練習場を借りて、個人で練習することもある。闇夜衆は結成して日も浅く、とにかく繰り返し合わせる必要があることからほぼ毎日顔を合わせて練習していた。
「ハッピーバースデー! 所縁くん!」
賑やかな声がいつ以上に賑やかに響く。練習が終わり帰ろうかと思ったその時、いつの間にかいなくなっていた昏見が蝋燭が刺されているホールケーキを持って現れた。
「なにこれ……」
「なにってもう……今日は所縁くんのお誕生日じゃないですか。ほら、ふーっと消しちゃってください」
「ふー?」
流石に成人してから誕生日にホールケーキを目にしたことはなかった。もしかしたら、家族がいたり、たくさんの友人に囲まれるような人間だったりするのなら、大人になったって誕生日にホールケーキを拝めるのかもしれない。けれど、皋は残念ながら一人暮らしで友人が多いタイプではなかった。そもそも誕生日に頓着する性質ではなく、過ぎてから何かの書類を書くときにでも「あ、そういえば歳取ってたわ」と思いすのが関の山だ。
皋はケーキと短くなっていく蝋燭に戸惑いつつ、萬燈の方を見る。
「誕生日ならそう言ってくれればよかったのに。プレゼントの用意はないが、この後飯にでも行くか?」
萬燈は萬燈でホールケーキに慣れているタイプの人間だった。なんなら普通に誕生日は友人や知人が集まってパーティーでもするんだろうなと考えて、皋は大人しくホールケーキに向き合うと蝋燭へ息を吹きかけた。
「おや、消えませんね」
思ったよりも蝋燭の火はしぶとい。練習上がりの疲れた体に少し堪えるくらい息を吸って、皋は残った蝋燭の火を全て吹き消した。

流石に3人で食べるには多いと思われたホールケーキは舞奏社にいた社人たちにも振るまわれた。おかげで「皋さんお誕生日おめでとうございます」と次々に言われてどこかこそばゆい気持ちになる。
「今日は所縁くんの好きなものなんでも食べましょうよ」
昏見にそう言われたものの、好きなものというのがパッと思い浮かばず「肉?」と答えたら肉料理が美味しいというバルに連れて行かれた。
「肉とは若いな」
「萬燈先生だってまだまだいけますよ」
萬燈と昏見はニコニコ笑いながら赤ワインのボトルを1本開けていた。
「所縁くん、お腹いっぱいになりました?」
「ああ……」
この店はストップの札を出すまで肉が出てくるシステムらしい。昏見は皋の返答を聞くと、テーブルに置かれた札をひっくり返して「STOP」と書かれた面を表にする。
昏見はいつも以上に機嫌が良く、にこやかだった。彼が不機嫌である様子を皋は見たことがない。それでも、いつもより上機嫌なのが見て取れた。
「なんかいいことでもあった?」
「いいこと……? そりゃあ」
ワイングラスを揺らして、残ったワインを飲み干すと昏見はこの世で一番美しく見える笑顔を皋に向けた。
「推し探偵がこの世に生まれた日ですよ? 365日毎日がスペシャルな中でもとびきりスペシャルな日に違いないじゃあありませんか」
「あー……そう」
昏見の答えは半ば予想した通りだった。推理するまでもない。けれど、引っかかるものがある。
そして、その引っ掛かりに、皋所縁という人間は触れずにはいられなかった。それは、生まれつき彼にかけられた呪いのようなもので、そっとしておくことが正しいと分かっていてもなお、暴かずにはいられないものだった。
「俺はもう元探偵だけど、それでもいいわけ?」
昏見は一瞬目を伏せ、それから花のように笑う。
「失おうが、滅びようが、推しの記念日これ大事。推し事の基本ですよ?」

昏見有貴は名探偵皋所縁を愛し、彼が探偵という立場を降りてもなお、その残像に深く敬意を払っていた。彼の誕生日にはバーの近くにあるケーキ屋でケーキを1ピース買っておく。その存在を知るものは誰もおらず、バーの営業を終え「Close」と書かれた札を店の扉にかけると、それからゆっくり時間をかけて紅茶をいれ、ケーキを皿に載せた。
「所縁くん、お誕生日おめでとうございます」
昏見は手を合わせる。
花瓶に活けた花と目があって、昏見は目を細める。
探偵を辞めたくらいで、この執着、逃れられると思わないで欲しい。