真夏の雪

 北の国は真夏でも雪が降る。
 人里に近いこの村では積もることこそなかったが、雪はひらひらと花弁のように舞っている。

 カインがオーエンと旅をするようになってからいくらかの時が流れた。街や村を訪れ、主にカインがそこで起こっている困りごとを解決する代わりに宿や食事を提供してもらう。そんな風にしてぶらぶらと世界中を巡っていた。

 今回は北の国のある村からの依頼だった。短い夏の間に栽培する農作物が動物に荒らされて困っているのだという。
「手分けをしよう」
 そう言ったカインにオーエンは溜め息をついた。
「僕の趣味じゃない」
「でも、柔らかいベッドで寝たいだろ?」
「僕は人間たちの役に立たなくても、勝手に奪うことができる」
 カインは困った顔をした。
「それは俺が困る」
 数秒見つめ合って、今回はオーエンが折れた。
「……説得すればいいんだろ」
「ありがとう」
 こういうとき、カインはオーエンの心を曲げさせてしまったと思う。申し訳ない。でも、カインはオーエンが他人を害することを決して許せない。時々はカインの方が折れて、ベッドや食事を諦めて深い森の中で眠る。そうやって旅をする自分たちはちぐはぐで、旅の共連れとしては不適切だった。
 それなのに、どちらもこの旅を止めようとは言わなかった。

 カインは動物避けの柵を作るのを手伝い、オーエンは動物たちに村の農作物を荒らさないように説得に行く。オーエンのおかげで、村からいくらかの食料を動物たちに分けることを条件にして、村の平和は保たれた。
 村人たちはカインたちに長くこの村に滞在してほしいと乞うたが、カインもオーエンも長居をするつもりはなかった。
 一晩、宿を借りる。すでに夜中と呼んでもいい時間帯だったが、この時期の北の国は日が暮れるのが遅い。ようやく空が翳り始めたところだった。
「オーエン」
 名前を呼んでから、宿として用意してもらったこの小さな家にオーエンがいないことに気づいた。外に行ってくると言ったまま戻ってきていない。

 カインは外に出た。すると、目の前でオーエンがうっすらと白い大地の上に仰向けになっている。
「オーエン!?」
 オーエンはカインの声に気づいているようだったが、視線は天に向いたままだった。
 空からはひらひらと雪が降っている。オーエンの顔や服に落ちた白い花弁はそのまま雫となって沈んでいく。
「どうしたんだよ?」
 カインはオーエンの顔を覗き込んだ。
「……柔らかいベッドなんていらなかった」
 どうやら善行の片棒を担がされたことに機嫌を損ねたままらしい。
「だから、ここで寝てるのか」
「いらなかった」
「悪かったよ。あんたにやりたくない仕事をやらせた」
 カインはオーエンの横に跪くと、その唇にキスをした。雪の味がした。唇が離れるまで数瞬、そして離れてから同じだけ経って、オーエンは口を開く。
「あのさ――キスで僕の機嫌が直ると思ってない?」
 それはカインを動揺させるのに十分だった。
「いや、そういうつもりじゃ……」
「ふうん」
「頼むよオーエン。いくら柔らかいベッドでも一人で眠るのは寂しい」
「寂しいだって。赤ちゃんみたいだね」
 ようやくオーエンは少し笑う。カインは慌てて言い募った。
「甘い糖蜜ももらったんだ。紅茶を入れて、齧ろう」
 カインの伸ばした手にオーエンの冷たく冷えた手が重なった。また、自分たちは止め時を失うことができたのだ。

 ちぐはぐな二人に真夏の雪が降る。