6月の新刊のカイオエ

春雷

 オーエンが任務先でたちの悪い呪いを受けたのは中央の国にようやくの春が訪れた頃だった。
 古い魔道具に込められいた呪いが〈大いなる厄災〉の影響で暴走し、その呪いをオーエンはまともに食らった。ちょうどミスラとブラッドリーといがみ合っていて呪いどころではなかったのである。
 呪い自体は時間をかければ解呪できるものだった。オーエンは魔法舎を離れ、北の国にある隠れ家の一つに身を寄せた。
「最悪……」
 熱い息と共に吐き捨てる。呪いのせいで発熱した体が重い。その上体の節々が痛くてたまらなかった。
 体内を流れる他人の魔力を溶かしていく。オーエンほどの魔力の持ち主であればそう難しくはない。ただ、痛みによって度々意識を失っているせいでなかなか解呪は進まなかった。
 魔法舎を出てきて正解だった。こんな無防備で無様な姿を晒せるものか。

 

 オーエンがその気配に気づいたのは、激しい頭痛で目を覚ましたときだった。敵にしては弱すぎるし、馴染みがありすぎる気配だった。
「何しに来たの」
 唸るような声で告げる。睨みつけた視線の先にいるカインは、いささか怯んだものの、はっきりと答えた。
「オーエンを心配しに」
 呆れてものも言えなかった。心配? オーエンに遠く及ばない赤ん坊のような魔法使いが心配だって?
「きみが心配したって僕はちっともよくならない」
 結界は張っていたはずだった。どうやって、と考えてから自分の左目を思い出す。媒介があれば結界を破るのはそう難しくない。解呪と体の痛みに気を取られていれば尚更だ。それにしても油断が過ぎたなと反省する。
「俺が何もできないのはわかってる。でも、側にいたかった」
「僕は会いたくなかった」
 こんな姿を晒すのは恥だ。今すぐに目の前にいるカインを殺してなかったことにしてやりたい。それくらいにオーエンは腹を立てていた。
「許さなくていい」
 そう言いながらカインはオーエンの側に腰を下ろした。オーエンはそれ以上言い募るのをやめた。こうなったらカインを追い出すには実力行使しかなく――それは難しいことではなかったとはいえ、今のオーエンは無駄な体力を使いたくはなかった。

 

 遠く雷の音がする。
 オーエンはベッドから体を起こすと窓に頬をつけた。冷たい窓ガラスが気持ち良い。いくらか呪いは弱まっていて、ようやくまともに体を起こせるようになっていた。この分ならもう夜が明ける頃には回復するだろう。
「オーエン」
 その声を一度は無視した。オーエンはカインのことをいないものとして扱うと決めたのだ。
「水を飲んだほうがいいんじゃないか?」
 ただ、ちょうど喉が渇いたところだった。横になっていることしかできなかった体が、水分を欲している。カインが差し出したコップをオーエンは無言で受け取った。一気に呷るとそのまま突き返して再びベッドの中に体を滑り込ませた。
「オーエンが俺に会いたくないことはわかってたよ」
 カインはオーエンの丸まった背中に向かってぽつりと告げた。
「……じゃあなんで来たの」
「オーエンが俺に会いたくないから」
「嫌がらせ?」
「違う!」
 カインは言葉を探すようにゆっくりと告げた。
「きっと少ししたらオーエンはいつもみたいにニヤニヤ笑って俺の前に現れる。知ってるさ。スノウとホワイトも言ってた。今に元通りになって帰ってくるって。でもさ……それって悔しい」
「悔しい?」
 オーエンは寝返りをうつと興味深げにカインを見上げた。色違いの双眸が交わる。
「俺はオーエンの全てを受け止めたい」
 カインの言葉をオーエンは否定した。
「僕はごめんだ」
 北の魔法使いオーエンは強い魔法使いだ。強くなくちゃいけない。たとえそれが特別な誰かの前であっても、弱くあることは許されない。
 全部を受け止めなくていいのだ。そんなことをオーエンは望んでいない。
「死ねばいいのに」
「そんなこと言うなうよ」
 春雷のような激しさでオーエンは生きている。多分カインは追いつけやしない。どれだけ経ってもオーエンがカインの優しさを受け入れる日は来ない。
 オーエンはカインに体を引き寄せるとそのまま唇にキスをした。カインは驚いたように身を竦める。
 触れることを許した関係だった。恋人と呼ぶには甘やかさが足りない。友達と呼ぶには親しみが足りない。ただ、確実に言えることは二人の間には奇妙な縁がある。
 それでも――。
「なんだよ突然」
「がっかりした? 僕はおまえのものにはならない」
 どれだけ愛しいと思っても、オーエンはカインのものにはならない。優しさを拒む権利がある。
 カインははっきりと告げる。
「俺はそういうおまえが好きなんだよ。残念ながら」