7月27日
決められた巡回ルートのパトロールを終えた後、カインはラスティカのメンテナンスショップを訪れた。
カインはもう職務上パトロールをする必要はない。とはいえ、ずっとオフィスに張り付いているのは気が塞ぐので、これまで同様エアバイクで街のパトロールをしていた。ブラッドリーにも咎められたことはなかったし、パトロール隊の元同僚はすれ違うと手を振り返してくれる。
そんな身分なので、寄り道にとやかく言われることもない。事件さえ起きなければ気ままに振る舞えるというのは、ブラッドリーの直下に配属されたことによる数少ない恩恵だった。あくまで、事件さえ起こらなければの話だが。
「こんにちは」
「あ、カイン! いらっしゃい」
クロエの明るい声が響く。
「今日はどうしたの?」
「特別用事があったわけじゃないんだけど……」
「息抜き?」
「そういう感じ」
クロエとカインは悪戯を企む子供のような顔で笑った。旧知の店はちょっとした休憩には持ってこいの場所だった。
「ラスティカ呼んでくるね」
「仕事が忙しいならまた寄るって言っておいてくれ」
「了解」
奥の部屋へと足早に去っていくクロエを見送って、カインは一息ついた。
カルディアシステムの公表以後、ラスティカが元フォルモーント・ラボの研究者であったことも公然と噂された。そのせいでこのメンテナンスショップを訪れるアシストロイドのオーナーは急激に増え、今では常連の顧客を除いて全て依頼を断っているそうだ。そのせいか一時期よりは店内も落ち着いている。
「やあカイン」
ラスティカが奥の部屋から顔を覗かせた。ラスティカは以前よりもカインとはっきり目が合うようになった。カインも微笑むと片手を上げた。ラスティカの後ろから、トレイを持ったクロエをも出てくる。
「この間買ってきたCBICがあるから食べてってよ」
「CBIC?」
「チェリー・ブロッサム・アイス・キャンディ。新商品なんだって」
クロエは棒付きのアイスキャンディを差し出した。透き通るような桜色をしている。それはカインに向けられた、純粋でそれ故に容赦のない視線と同じ色をしていた。オーエンの瞳の色だ。
「カイン?」
「ああ、悪い。ありがとう」
溶けないうちにクロエから受け取ったアイスキャンディを舐めてみる。CBSCと似た味だが、爽やかで僅かに酸味がある。舌に貼り付くほどの冷たさが、外を巡回していた体に沁みた。
「何かあった?」
クロエが気遣うようにカインを尋ねた。彼は人の感情の揺らぎに敏感だ。アシストロイドの特性か彼自身のパーソナリティゆえか、もしくはその両方か。とにかくクロエはよく気が付く。それをわかっていてここに来たのだから、カイン自身こうやって見透かされることを期待していたのかもしれない。コミュニケーションをアシストロイドに依存するハイクラスの人間をどこか呆れて見ていたくせに、これでは彼らと変わらない。
「まあ……ちょっとな。もう二人も知ってると思うけど、最近アシストロイドの誘拐事件が多発してて」
「知ってる。この間もニュースになってたよね」
クロエは眉を寄せた。
もっとも、ニュースになっているのは一部の解決した事件だけだ。誘拐事件は解決するまでは報道規制が敷かれる。身代金を支払って解決した場合も、マスコミに漏れないように細心の注意を払っていた。誘拐事件が成功したことがわかれば、模倣犯が現れるからだ。
「そう。なんとかならないもんかなと思ってもやもやしてる」
「もやもや」
クロエはカインの言葉を繰り返した。
「『もやもや』というのは、気にかかって頭から離れない問題があるけれども、ベストな解決法も思いつかない、という感覚のことかな?」
ラスティカの言葉にカインは頷いた。
「今のところ、アシストロイドを誘拐しても破壊しても、人間をそうするよりずっと罪が軽い」
だから余計に事件が収まらないのだろうとシティポリスでは分析されていた。アシストロイドと縁遠いワーキングクラスの人間からすれば、カルディアシステムが搭載されていたとしてもアシストロイドは『もの』に過ぎない。傷つけることに対するハードルは人間よりずっと低い。
一方でカルディアシステムを搭載したアシストロイドの所有者にとって、アシストロイドは単なる『もの』ではない。心を持つ友人を、もはや人であるか機械であるかで分けることはできなかった。
フォルモーントシティでは、アシストロイドを人と同様に扱うかどうかという問題が持ち上がっている。議会では、アシストロイドを人間により近い存在として扱うための条例案が提出されていて、連日ニュースになっていた。そのほとんどが、アシストロイドを所有するハイクラス層と、アシストロイドと日頃触れ合うことの少ないワーキングクラス層の対立が深まることを懸念する報道だった。
営利目的の誘拐だけでなく、こうした対立を背景にした事件も後を絶たない。だから、カインも気ままに外の世界を見聞しているオーエンに、気安く帰ってこいよということができなかった。
「実際カルディアシステムってなんなんだ?」
カインの言葉は決して咎めようとするものではなかった。けれど、ラスティカは一度怯えるように肩を震わせてから答えた。
「カルディアシステムが何かというのは、心とは何かと聞くようなものだね」
「俺はどちらもよく知らないけど」
苦笑いを見せると、ラスティカは少し緊張が溶けたようだった。隣にいるクロエが彼の手に触れる。
「人間は些細な出来事でも自覚しない程度に感情が動く。感情とは判断だ。嬉しい、悲しい、快い、苦しい。僕らは無意識の中で何度も何度も判断している。そのフィードバックの集積と判断をするシステム自体を心と僕らは定義している。それを分析して、擬似的に再現できるようにしたのがカルディアシステム」
「フィードバックの集積と判断」
カインはラスティカの言葉を繰り返す。
「そう。判断を司るのはアシストロイドの本体側に組み込まれた感情表現のエンジン。集積を担当するのはアシストロイドが常時通信しているフォルモーント・ラボのサーバー側で動いている感情想起エンジン。この二つを引っくるめて、僕らはカルディアシステムと呼んでいた」
ラスティカは一呼吸置いた。
「システムのアルゴリズムはもちろん僕もフィガロも理解している。だけど、取り込んだ学習データが膨大で、結果として何が出力されるのかは僕たちも予想できなかった」
「作った人間でもわからないってことがあるのか?」
「それくらいカルディアシステムの解析能力は圧倒的だったんだよ。だから怖くなった」
そう言ってから、ラスティカは失言だったと感じたのか、クロエの方をはっと見た。クロエは「わかっているよ」と言いたげに微笑んだ。
「同じ出来事を経験しても、人がどんな感情を抱くのかはその時々によって違う。その日の朝に食べたものに影響されるのかもしれないし、偶然が左右するのかもしれない。そういう人間の揺らぎすらカルディアシステムは再現する。だから─だからこそ、かな─人間は自分の魂が再生できると信じることができないように、アシストロイドの魂も復元できるとは思えないんだ」
ラスティカはクロエに向かって愛おしむような視線を向けた。
「僕らはもうアシストロイドを機械だとは思えないのかもしれない。人間と変わらないものと認識しているのかも」
一年と少し前のカインだったらそんな馬鹿なと一蹴しただろう。けれど、カイン自身も人とアシストロイドの境界が曖昧なものであることを知っている。厳然とした区別がありながら、関われば関わるほどに境界が曖昧に思えてくる。
「人もアシストロイドも守らないとな」
カインはこの街の人を守りたいという月並みな理由で警官になった。人とアシストロイドが区別し難いものならば、両方守らなくては。
「なんか今のカインかっこよかったな」
クロエは邪気のない顔で笑った。
「そうか?」
カインも思わず表情を緩めたちょうどその時、耳元の通信機が受電した。また、事件が起きたらしい。
「悪い。呼ばれたから行く!」
カインは後ろ髪を翻した。
「気をつけて」
「また遊びにきてね」
§
目を覚ますと──つまりスリープモードから自動復帰すると、雨が降っていた。昨日も雨だったし、一昨日も雨だった。オーエンがカーテンを開けると、厚い雲越しにほのかな日の光が見える。朝だった。
オーエンのいる部屋は古いアパートメントの三階だった。バスルームにキッチン、あとは二十平米ほどの広い部屋が一つ。マッチングサービスを利用して、部屋の主がサマーバケーションに出ている間だけ借りたこの部屋は、本棚やキッチンの調味料から他人の匂いがする。直接会ったことはないが、どんな人物なのか想像することは容易かった。二十代の若い男性。料理をするし、マメで几帳面なところがある。去年の夏に居候していたカインの部屋とは全然違う。
上着を羽織って、鞄を肩にかけると外行きの靴に履き替える。傘立ての傘を拝借して外に出ると、湿った匂いがした。
建物こそ古かったが、玄関錠は新しいものに交換されていて、携帯端末をかざすだけで鍵がかかる。コンクリート製の階段を下りていく足音と雨の打つ音が不揃いなリズムを奏でた。
傘を差して通りに出ると一ブロックほど歩く。そこにはオーエン行きつけのパン屋があった。パンだけでなくケーキやお菓子が並んでいるので、オーエンはそれを端から制覇する計画を立てていた。ケーキはもうほとんど食べきっている。
オーエンはクリームがたっぷり乗ったブルーベリーのケーキとシュガーグレーズのかかったドーナツを注文して、イートインのスペースに持っていった。朝食には少し遅めの時間であるせいか、店内は空席が目立った。
オーエンはケーキにフォークを差して食べる。アシストロイドに食事は必要ないけれど、オーエンは味覚を甘いもので満たすのが好きだった。小麦粉とバター、砂糖、卵、果実。その組み合わせで繊細な風味のケーキが生まれる。その理屈は知っていても、口にした時の感動に比べたら大した情報じゃない。
次にドーナツへ。揚げてからの時間によってドーナツの食感は変わる。今日は揚げてから少し時間が経ったのか、生地は幾分しっとりとしている。甘いグレーズは十分にかかっていて、噛み締めるとじゃりと砂糖の食感がした。オーエンはこれがお気に入りだ。
『次のニュースはフォルモーントシティからです。アシストロイドに人間と同等の義務と権利を与えるための条例案は来月採決される予定で……』
流れた音声にオーエンは耳を留めた。座席には他のカフェもそうであるように、ホログラム型の端末が設置されていて、自由にニュースを見たり無料で提供されている雑誌をめくったりすることができた。指向性のスピーカーはその席にだけ、声を届ける。前に座っていた人が開いていたニュースがそのまま流れていたのだろう。
フォルモーントシティ議会に提出された条例案は、アシストロイドの起こした問題に対して所有者の責任を問わないというものだった。現在は、アシストロイドはあくまで人間の所持する道具にすぎず、アシストロイドが起こした問題や犯罪の責任は当然所有者に帰せられる。けれど、カルディアシステムを─心を持ったアシストロイドは、オーナーでも制御しきるものではない。
はじめはカルディアシステムを持ったアシストロイドの行動を制限するような仕組みを導入しようという議論もあった。たとえば強制的に行動を停止させるための機能を搭載するであるとか。しかし、フォルモーントシティの人たちはアシストロイドを人として扱う方向へとシフトしつつあるようだった。これは、当然ながら世界初の試みで、フォルモーントシティの外でもニュースを聞く機会は多い。
オーエンはチーズケーキとチョコレートのかかったドーナツをテイクアウトで注文するとそのまま外に出た。雨は先ほどよりも強く降っている。傘の横から吹き込む雨が、ケーキとドーナツの入った紙袋に模様をつけた。
雨が弱いうちにテイクアウトして家で食べればよかった。けれど、今更後悔しても遅い。オーエンは紙袋を大事に抱え込むと小走りでアパートメントへと戻った。
部屋に着いた時には足元がだいぶ濡れていた。死守した紙袋はキッチンの作業台に置く。靴下を脱いで足をタオルで拭いてからスリッパを突っ掛けると思わずふふっと笑みが溢れた。なんだかとても自由な気分だ。
自由とは何かと聞かれたら、オーエンは間違うことができることだと答える。
オーエンは好きなケーキを選ぶことができる。時々全然美味しくないケーキに当たることもあるけれど、間違えることは馬鹿馬鹿しくて面白い。雨の日に買い物に行って後悔したり、好奇心で水溜りに足を突っ込んでみたり。人間がアシストロイドに間違いを犯すことを期待していないからこそ、そうすることが痛快だった。
これが自由で、これが人間というものだろうか。
オーエンはふとカインの顔が頭に浮かんだ。人間からの単純な連想だろう。連想するままに携帯端末を開く。時々彼から届くメッセージがオーエンは楽しみだった。最近は忙しいのか、あまりメッセージは来ない。オーエンも語りたいことはたくさんあったが、あまり連絡するのは子供っぽいような気がしたので控えていた。
「げ」
カインではなく、フィガロからメッセージが届いていた。指先でスクロールして全文を読み込むと、オーエンは携帯端末を置いた。
『冒険は順調かい? もうニュースを見て知ってると思うけど、フォルモーントシティは今ごたついててさ。変な気は起こさないでよ。本当に。気が向いたらしばらくラボに帰ってくるのはどう? 俺も久しぶりに会いたいから。もし帰ってくるなら先に連絡して。迎えを手配してあげるから』
文面全体を通して白々しい。先ほどまでの高揚感もいつの間にか消え失せていた。
オーエンの冒険が順調なことなど、フィガロには容易にわかることだ。オーエンは常にフォルモーント・ラボにあるサーバーとネットワーク回線を通じて接続している。オーエンの持つ無尽蔵の知識は適宜サーバー側にあるデータベースから引き出しているし、バックアップも常時送信し、更新している。何よりカルディアシステムのコアにあたる感情想起システムもラボ側にある。フィガロがそれらのデータからオーエンの状態を把握することは、面倒ではあるが不可能でない。
スリープモードの間にオーエンはあらゆる出来事に対するフィードバックをラボのサーバーへと送信する。そして、サーバー内の感情想起システムはそこからオーエンの心を組み立てて、オーエンへと返す。人間が日々嗜好やある対象への感情を変化させるようにオーエンもまた変わり続ける。
自由であると言っても、結局のところ魂はあの街にある。驚きも喜びも、悲しみも─愛しさも全てをオーエンだけのものにしたいのに、そうはならないことがたまらなく腹立たしかった。
だからこそ──。
携帯端末がメッセージの着信を示す通知を表示した。TRUNKへのメッセージだ。それはオーエン宛のものではなく、彼がいくつか持っている偽名のアカウントの一つに届いていた。
そのメッセージを読んでオーエンにはにやりと笑った。
「変な気を起こさないでと言われたら、起こしてしまいたくなるものでしょう? ねえ、パパ」
オーエンはキッチンに置いてあったケーキとドーナツの入った紙袋をつかむと部屋のデスクに向かった。数少ない彼の荷物である高性能なノートパソコンを開く。
『ラボに侵入できるか?』
メッセージにオーエンは「イエス」と返事をする。詳しく話を聞かせるようにと求めながら、目の前のパソコンでメッセージの送り主の情報を追跡し始めた。
7月30日
「あと……三つか」
カインは深く息をついて、書き上げた報告書が保存されていることを確認してからパソコンをスリープモードにした。今日は事件の通報もなく、溜め込んでいた書類仕事を片付けていた。昼過ぎからずっとパソコンに向き合っていたのに、まだ終わらない。時計を見ればもう二十一時を回っていた。日付が変わる前には家に帰り着きたいところだ。
「お疲れ」
背後を見ればネロが立っていた。彼の姿を見ると、泣き言を言ってはいられないという気になる。なにせカインの書類仕事の何割かは彼が引き受けてくれたのだから。アシストロイドであるネロはこの手の書類仕事もスマートにこなしていた。むしろ、形式ばった役所の書類を書くのは彼の得意分野である。
「夜食作ったけど食うか?」
「ああ!」
しかも夜食まで。カインは思わずネロに深々と頭を下げる。
「ありがとう。書類仕事まで手伝ってくれた上に美味しい夜食……。俺にできることがあったらこの先何でも言ってくれ」
「大袈裟だな。料理は気分転換みたいなもんだからさ。カインは美味そうに食ってるくれるから作りがいがあるよ」
ネロが作った夜食は鶏出汁のスープに中華麺と香味野菜を和えた即席ラーメンだった。スープはあっさりしていて、食べやすい。胡椒が利いているのがアクセントになっていた。
「美味っ……!」
「そりゃ良かった」
大袈裟だと言うようにネロは苦笑していたが、彼の料理は本当に美味しかった。
「あ、そうだ」
カインは携帯端末を手に取ると一口啜ったラーメンを写真に収めた。
「そんな写真映えするような飯じゃねえけど」
「いや……オーエンに送ろうと思ってさ。最近仕事と家の往復だから全然写真を撮る機会もなくて。ネロの夜食は自慢できる」
「ラボから逃げ出したってアシストロイドか。ほんと仲良いな……」
「そうか?」
ネロは眩しそうな目をカインに向ける。
「珍しいよ。俺たちアシストロイドを人間と変わりなく扱ってくれる。友達や同僚にしてくれる。あんたみたいな人間は相当特殊だ」
珍獣みたいな扱いだなとカインはわずかに唇を尖らせる。それを見てネロは「悪い悪い」と笑った。
「俺だって前はアシストロイドのことをオーナーの言う通りに動くだけの道具みたいなものだと思ってたよ。でも、ネロもオーエンもそうじゃないだろ。人間と同じように感じて、考えて生きてる。そういうあんたたちをものみたいには扱えないよ」
そう気づいたのはオーエンと晶、二人のアシストロイドのおかげだ。少なくともカインは、彼らのことを友人かもしくはそれ以上の存在だとさえ感じている。
「あのさ、これはカインがいい奴だと分かってるから言っておきたいことなんだけど……」
ネロは言いにくそうに切り出した。
「俺たちは人間と同じように考えたり感じたりすることができる。でも、そういう感情すら作られたものなんだ」
ネロはほんの少し表情を翳らせた。
「今は大丈夫なんだと思う。でも、何かが起きた時に、きっと俺たちが人じゃないとわかる。その時に驚かれたり嫌われたくない。きっと、オーエンだってそうなんじゃないか」
「俺は……」
「わかってる。杞憂なのかも。でも、怖いんだ。あんたに信じてもらいたい。がっかりされたくない。だから、信用しないでほしい」
ネロはくしゃりと不器用な笑みを浮かべた。そこに込められた感情が嘘だなんてカインには思えなかった。
同時に、ネロの言うがっかりされたくないという言葉が、氷よりも冷たく胸を刺した。人に近ければ近いほど、人でないことがわかった時に裏切られたような気持ちになる。それはきっと真実なのだ。
「悪い。突然こんな話をして。ボスにも夜食、届けてくるよ」
ネロは何でもない顔に戻って給湯室に姿を消した。
カインは携帯端末を開く。メッセージアプリの送信相手の名前をなぞる。
オーエン。
彼が人ではないことは重々承知していた。それでも一個の人格を持った命として、彼はカインの前に現れた。今は文章を通してやりとりしているから余計に、彼と他の人間──例えば離れて暮らす両親や友人──との違いは薄まっている。
昨夏、フォルモーントシティに帰ってきた彼と過ごしたのは楽しい日々だった。最後は、カインが勝手にがっかりして、オーエンを傷つけて終わってしまったその日々を、一年間ずっと取り戻したいと思い続けている。
オーエンが残していったのは、カインが彼を何者として扱うのかという問いだ。人かそれとも、誰かに所有されるべき『もの』なのか。
「上手くいかないな」
考えて、警官としてできることをやって。それでも残念ながら、世界はまだ変わらない。オーエンに告げる答えも見つからない。
Log Data 2
あなたに与えらえた役割はここにあるメッセージを読み解くことだった。通信ログはメッセージの本体であるメッセージボディと送信者や送信日時を表すメタデータとに分解できる。
機械的に行うことのできるメタデータの分析は、あなたの体感でも、現実の時間に置き換えてもそれこそ一瞬だった。
二つのアカウントによる継続的なやりとり。
あなたは次にメッセージボディを読み解いていく。そこにある意味を見出すために。
パスワード
SURFHOOD