オーエンは以前カインと取り決めた通りに、一通り剣呑な会話をしたあとはすっと真顔になって「なんで辛気臭い顔をしてるんだよ」とひと言告げた。
夕食後の食堂はもうすっかり静かになっていて、二人以外の姿はない。食器を洗う水の音がキッチンの方から遠く聞こえる。何代か前の賢者の魔法使いが作った食器を洗うための魔道具だ。これを初めて見たとき、当代の賢者は「しょくせんき」という単語を口にしていた。
「なんだ、心配してくれているのか?」
「は?」
オーエンは形の良い眉をぴくりと跳ね上げた。別に喧嘩をしたいわけではない。けれどそれ以外の意図がカインには思いつかなかった。
「別に。いつも呑気な顔をしているきみの様子が違うから気になっただけ」
それを心配と呼ぶのではないだろうかとカインは思った。けれど、それを告げて機嫌を損ねたら堪らないので口を閉ざす。よりによってオーエンが声をかけてきたのが、カインにとっては意外でもあったし嬉しくもあったのだ。
「西の国から帰ってきて、俺にもいろいろと考えることがあるんだよ」
「ふーん」
オーエンが相手でなければ言わなかったかもしれない。心配を掛けたくないとか、余計な憂いを他の仲間には与えたくないとか、そういうことが先に立つ。カインにとってオーエンは決して良い相談相手ではなかったけれど、だからこそあらゆる懸念を飛び越えて心情を吐露しやすい相手になっていた。
「俺は朝になるとみんなの姿が見えなくなるだろ。おまえは除いて……だけど」
オーエンは「ふん」と相槌にしては小さく頷くと、カインに先を続けさせた。
「眠っている間に誰かがいなくなってしまったら、俺がその誰かに触れる機会がなければ、もう永遠に会えないのかもしれないって思ってさ」
もちろん目に見えていてもなお、去ったひとを見つけ出すのは時に難しい。だからカインに限ったことではないのかもしれない。それでも、カインは目覚めた朝の喪失と手が触れ合う瞬間の安堵の意味がそこにあるような気がした。朝起きたその世界に、昨日と変わらずに親しい人が傍にいるということは当たり前ではないのだ。
キッチンの方で食器がぶつかるカチャンという甲高い音が二人の会話しか存在しない静かな部屋にも響く。オーエンは珍しく借りてきた猫のように黙ってカインの話を聞いていた。それから少し首を横に傾ける。
「僕にはよくわからないけど――」
でも、とオーエンは何かを夢想するように言った。
「騎士様が夜に『おやすみ』と言って、他の誰もがきみの世界から消えてしまっても、僕だけは朝になってもここにいるんだね」
その言葉を聞いてカインは驚いた顔をして、それから眩しいものを見るみたいな目をオーエンに向けた。
「そういうことになるのか」
「きみの元をみんな離れて行っても、誰の姿も見えなくなっても。僕だけがいる」
オーエンにとってそれは嫌味だったのだと思う。カインの左目にかかる長い前髪を彼は親指と人差し指で摘まみ上げて、オーエンは征服欲を満たすように笑う。けれど、カインは慰められるような気持ちになった。誰にでもある別れの予感を、ただ一人抱くことのない存在がここにいる。
恐怖の代名詞として語られる彼が、そのくせ本当の恐怖をカインに与えることが出来ないという皮肉。カインはそれを口にはしなかった。喧嘩をしたいわけではなかったので。
「まあいいや。おやすみ。騎士様」
オーエンは「おやすみ」という言葉にアクセントを置いて食堂を出て行こうとした。カインも慌ててその背に告げる。
「おやすみ。オーエン」
彼との「おやすみ」は再会を疑わない言葉のように響く。