終わりのときまで

 ここ数年、〈大いなる厄災〉の力は随分と弱まっていた。今年も苦労なく〈大いなる厄災〉を追い返すことができた。ムルに尋ねれば、長々と彼が考察した〈大いなる厄災〉とこの世界の仕組みについて語ってくれるだろう。けれど、そんなことをしなくてもカインには自分たちが最後の賢者の魔法使いなんだろうなという予感があった。きっとこの戦いには終わりがあって、いつか賢者の魔法使いという役目からも解き放たれるのだ。
 だからこの夏は──賢者の魔法使いとして迎える夏は最後かもしれないと思いながら、カインは仲間たちを栄光の街で開かれる花火祭りに誘った。

 空にパッと光が弾け、遅れて低い音が地面を揺らすように響く。赤、黄、橙、白と様々な色の光が空に模様を描いた。
「たまやー!」
 賢者が浮かれた声を上げた。
「賢者様、それ……どういう意味なんですか?」
「俺の世界では花火を見るとき、こうやって声を上げるんですよ」
 首を傾げたヒースクリフに彼は笑って答えた。
「景気がいいね。俺も叫んじゃおっかな」
「じゃあ、フィガロは『かぎやー!』でお願いします」
 栄光の街で夏の終わりに花火を打ち上げる理由は諸説ある。元々は豊穣祈願であるとか、はたまた鎮魂のためであるとか、もしかしたらそういう祈り全部のためなのか。けれど、今となっては陽気で賑やかなこの街の住人が、踊り歌うための祭りの一つとなっていた。
 賢者の魔法使いたちは、街の中を流れる川の下流の河川敷を陣取っていた。街の一番賑やかなところから距離を置いて、宴会をしながら空に咲く花火を見上げている。意外にもカインの提案を聞いて、賢者の魔法使いたちは全員がこの祭り見物に参加してくれた。栄光の街の気質とは正反対な東の魔法使いたちも、こういう誘いに普段は乗り気でない北の魔法使いたちも。
「オーエン」
 カインはさらに下流の川に架かる橋へ向かう。オーエンは宴会の輪から離れて橋に腰を下ろしていた。川面につくかつかないかのぎりぎりで足をぶらぶらと揺らして、空ではなく水面を見つめていた。
「何?」
「喉渇かないか?」
 カインが差し出したのは細い瓶に入ったピンク色をした飲み物だ。オーエンはそれを受け取ると瓶に口をつけた。
「パチパチする」
 少し驚いたようにオーエンは瞬きした。
「炭酸、嫌だった?」
「別に」
 思い返せば炭酸飲料を飲んでるところは見たことがなかったかもしれない。オーエンは面白そうに瓶を揺らした。カインにとってはオーエンと魔法舎で過ごした時間は決して短いものではなかった。けれど、何もかもを知ることができるほどには長くない。
「今年の夏も終わるな」
 何か言葉を交わしたくてカインはオーエンの隣に座るとぽつりと口にした。
「毎年のことでしょ」
「そうなんだけどさ」
 花火が上がるドン、と響く音の合間を縫うような会話だった。内容よりも会話が続いていくことが嬉しかった。
 わっと河川敷の方で一際大きな声が上がる。空の上で花火の色が三度変わった。あれは魔法で打ち上げられた花火に違いない。我慢できなくなった魔法使いが──多分ムルあたりが勝手に花火を打ち上げ始めたのだろう。
「オーエン」
 カインが名前を呼ぶとオーエンは素直にカインの方を向いた。その唇にキスをする。
……どうしたの?」
 オーエンの言葉には驚きや疑問よりも、面白がるような気配があった。
「なんとなく、したかっただけ」
「変なの」
「オーエンだっていつもそうするだろ」
 言葉に詰まったとき、言うべきことが思いつかないとき、オーエンは勝手にカインにキスをした。気まぐれにじゃれつく猫のように彼はカインを翻弄する。
 友達と呼ぶには親しくなくて、恋人と呼ぶには情がなかった。ただ側で暮らしているのを、戦っているのを見守っていた。時々言葉を交わして、自分の知らないことを教えてくれた。どうしても理解できず、分かり合えないこともあった。数年ではあっても、それはカインにとって大切な失いたくない日々だ。オーエンにとってはどうだろう。彼が生きてきた長い時間の中で、自分はただいっときすれ違っただけの存在だろうか。
「来年はもっと甘いものが飲みたいな」
 オーエンは瓶を空にしてそう言った。
「来年も一緒に花火を見てくれるのか?」
 カインは驚いて、そう問い返す。
 賢者の魔法使いとしての役目がひと段落したら、カインは正式にアーサーの騎士として取り上げられることになっていた。主君とこの国を守っていく。だから、アーサーがそうであるようにカインも今までのように自由に各国を行き来することはないだろう。オーエンは北の国に戻ると言っていた。魔法舎で暮らす理由はもうないのだから当然だ。彼はかつてのようにあの厳しい土地で孤高に生きてゆくのだ。
「きみはずっとこの国にいるんでしょ?」
「いる」
 賢者の魔法使いという役目がなくなったら自分とオーエンの関係はどうなってしまうのだろうと思っていた。奪われた瞳を取り返さない限り自分たちの因縁が消えることはない。けれど、今このとき言葉を交わすような関係ではいられないような気がしていた。名前のない関係の──名付けなかった関係の代償として。
「夏の終わりにはこの街に来てあげる」
 白い閃光が夜闇に広がる。オーエンは立ち上がると空を見上げた。それは何かを祈るように見えた。
「待ってるよ。あのさ──春の始まりには王都のケーキ屋で苺のケーキを食べよう。冬にはチョコレート。ほら、賢者様が言ってたバレンタインデー、最近は王都でもそれにかこつけてチョコーレート菓子を売る店が増えてるんだ」
「気が向いたら来てあげる」
「冬の始まりには北の国に行くよ」
 カインも立ち上がってオーエンの横に並ぶとそう告げた。
「何をするの?」
「目玉を取り返しに」
 そして、訪れる長い冬の前にこんな風に言葉を交わすために。
「何千年でも」
 オーエンはカインの挑戦に不敵に笑った。

 二人で賢者と他の賢者の魔法使いたちのいる河川敷へと戻った。いつの間にか魔法使いたちは我先にと花火を打ち上げている。それを見て、賢者は笑っていた。
「オーエンとカインもいたんですね! 二人も花火を上げてくださいよ!」
「賢者杯だってさ。一番すごい花火を上げた人を賢者様が讃えてくれるんだって」
 フィガロが盃を掲げながら説明してくれる。
「何それ。めんどくさい」
「ちなみに暫定トップはミスラちゃんのかっこいいサラマンダーじゃ」
「ふうん」
 ホワイトの言葉はオーエンの闘争心に火をつけたようだった。彼は少し考えてから魔法を練ると呪文を唱えた。
「《クーレ・メミニ》」
 眩い光が星のように降る。
 変わらないものはない。賢者はこの世界からいなくなって、賢者の魔法使いたちもばらばらの道を行く。オーエンとの関係も変わっていくのかもしれない。
 それでも終わりのときまで、言葉を交わしていたい。互いが自分らしく生きている姿を見守っていたい。約束はせずとも、そうなるだろうという信頼と予感がある。
「俺もやろうかな」
 カインの心は晴れやかで高揚していた。その気持ちのまま呪文を唱える。一番身近な生まれ育った土地の精霊たちに声をかける。
 今の気分にぴったりの最高な花火を打ち上げようぜ。
「《グラディアス・プロセーラ!》」
 空を見上げていたオーエンの顔が驚きに変わって、それから珍しく痛快そうに声を上げて笑うのが見えた。