「見てろヒース。これが魔球だ」
そう言ってシノはグッと足を上げてから力を込めて俺に向かってボールを投げた。ボールは俺の手前でワンバウンドした。
「どこが魔球……?」
「落ちただろ?」
落ちたっていうか、いつもより下に向かって投げただけなんじゃ。
俺が言葉を探している間にシノはふん、と偉そうにふんぞり返って告げた。
「この魔球を極めた俺とおまえなら甲子園に行ける。その先も」
「うん」
俺は答えと一緒にボールをシノに向かって返した。
「ヒース」
「あ、ファウスト先生。お疲れ様です」
食堂で俺に声をかけてくれたのはファウスト先生だ。先生と呼ばれているけどコーチでもなんでもなくて、俺と同じチームの投手。何かと俺にも良くしてくれる。
「今日はファームで先発だったんだろう」
「はい」
五回三失点。とても褒められた成績じゃない。四回まではしっかり抑えられていたのに、五回で走者を一人出してから崩れた。俺のいつものパターン。
「あまり考えすぎるない方がいい」
まるでこの後部屋で一人反省会をしようと思っていた俺を見透かしていたみたいだった。ファウスト先生はふっと笑う。
「きみは才能がある。細かいことを考えるより、打者一人ずつねじ伏せていく気持ちでやればいいんじゃないかな」
「すみません。ありがとうございます」
左の本格派としてドラフト一位で入団したのか昨年のこと。二年目の今年もまだ一軍には上がれていない。焦ってもしょうがないとわかってはいるものの、そろそろなんとかしなければならない。
なにしろ、俺には約束があるのだから。
翌日、俺は投手コーチに呼び出された。
「俺が一軍で先発ですか?」
「ああ」
今季初昇格だ。俺の所属するチームはほぼ順位が確定している。消化試合となった残り試合で俺を試したいらしい。
「準備はしっかりとな」
そう言われて、はいと頷いた。頷いたものの内心には不安と緊張が一気に押し寄せてくる。
その夜、寮の食堂でネロが声をかけてきた。ネロはファウスト先生と同期――俺にとっては頼れる先輩の一人だ。
「今季初昇格だって? おめでと」
「ありがとう」
「めっちゃ緊張してるな」
「わかる?」
もちろんとネロは首を縦に振った。
「ガチガチ」
「うわあ……」
そこにファウスト先生もやってきた。
「初昇格おめでとう」
「ありがとうございます。でも、もう心臓バクバクです」
「あまり気張らないほうがいいとは思うが、僕がきみの立場でも同じように緊張するだろうからな」
「へえ。先生も緊張するんだ」
ネロは軽口を叩く。
「するさ。きみと違ってガラスのハートだから」
「ガラスのハートの持ち主はゼロゼロの締まった試合で自分から志願して八回のマウンドには行かないっての」
ネロが言ったのは昨日先発したファウストのことだ。締まった試合展開の中、ファウストは八回百五球無失点でマウンドを下りた。チームはその後八回裏で一点をもぎ取り、ファウストは今季六勝目を手にした。
二人のやりとりを聞いてるうちに少し心が落ち着いてきた。これからプロ選手として生きていくのなら、こんなことで緊張していられない。
「俺、頑張ります」
そう宣言すると二人は軽く微笑んで応じてくれた。
いよいよ試合当日。
ピッチャー陣のミーティング前に対戦相手のデータを確認する。ベンチ入りメンバーの中によく知った名前を見つけて俺は思わず「あっ」と声を上げた。
「どうしたんだ?」
ネロが俺に心配げな目を向ける。
「昔の知り合いがいて。一軍に初めて上がってきたみたい」
「へえ。どいつ?」
「シノ。シノ・シャーウッド」
シノと俺は小学生の頃から一緒に野球をやっていた。お互いピッチャー志望で友人でありライバルでもあった。
「知ってる知ってる。去年のドラフトで独立リーグから入ってきた……確か外野手だよな」
「うん」
「なおさら負けられねえな」
ネロはぽんと俺の頭に手のひらを乗せた。
「そうだね。絶対負けられない」
高校に入って、監督の勧めで外野手に転向することになったとき、シノは泣いた。俺よりもずっとマウンドにこだわっていたのがシノだった。それなのに俺はマウンドに立って、シノはマウンドを下りた。
「俺が絶対に点を入れる。だからヒース、おまえはマウンドで何も恐れなくていい」
シノは真剣な顔をしてそう言った。だから俺たちは約束をした。
「俺は絶対に0点に抑える。だからシノ、一本打ってくれ」
俺たちは約束を違えなかった。でも、高校を卒業して俺たちの進路は別れていくことになる。別々の大学に進学して、そのままプロ入りした三年目の俺と、独立リーグを経由して今年一年目のシノ。同じリーグの別チームである以上、いつかは対戦する機会が来ると思っていた。
「負けられない。負けたくないよ……シノ」
俺が絶対に0点に抑える。その約束はいまだに俺にとって道標だった。