エピローグ 8月24日

そして、そのさきへ

 空港ではひっきりなしにアナウンスが読み上げられているし、あちらこちらに案内標識のホロディスプレイが浮かんでいる。オーエンは鬱陶しそうに目を閉じて、CBICチェリーブロッサムアイスキャンディを舐めた。
「CBSCの方が好きかも」
 独り言だった。独り言のはずだった。
「俺はアイスキャンディもさっぱりしてて好きだけどな」
 驚いて食べ始めたばかりのCBICを落とすところだった。
 そこにいたのはホテルに置いてきたカインだった。
「なんでここに……」
「こんなことだろうと思ったよ」
「どうしてわかったの?」
 フォルモーントシティの玄関口は空港だけではない。鉄道とバスでも街の外に出ることができる。オーエンがフォルモーントシティを去ろうとしていることには気づいても、その手段がカインにわかるはずもない。
「勘と学習だよ。あと推理」
 カインはパスポートを振った。カード式のそれは、写真や名前などの情報が書かれているだけでなく、埋め込まれたチップに所持者の情報が書き込まれている。
「おまえはデータの書き換えが自在にできる。だから、人間の目よりもアシストロイドの目を誤魔化す方が得意だ。それならセキュリティチェックがシステム化されてる空港を選ぶだろう、ってな」
 アシストロイドや機械は人間と違い、パスポートに登録されたチップの情報と目の前の人間が同一かを正確に判定することができる。人間よりもずっと精度が高いので、空港のようなセキュリティが厳しい場所では、アシストロイドがセキュリティチェックを行うのが一般的だ。
 機械を騙す方がオーエンにとっては簡単で、自信があった。実際、偽造パスポートを使って問題なくセキュリティチェックに通ったし、アシストロイドであるとバレてもいない。
「警察辞めて探偵になったら?」
「それもいいかもな」
 カインはからっと笑った。間の抜けたことに、オーエンはその時初めてカインが旅行鞄を手にしていることに気づいた。まるでこれから旅行にでも行くような。
「仕事、辞めてきた」
「なんで!」
 オーエンは思わず悲鳴に近い声をあげた。
「一緒にいたかったから」
「おまえはそういうやつじゃないだろ! この街を守るんじゃないわけ!?」
「俺はおまえも、おまえが生きていくこの世界も両方守っていくよ」
 カインはオーエンの腕を取った。手のひらは温かく、逃さないという意志が感じられた。
「それに……実は再就職先が決まっていてだな……」
「は?」
「半年後にはフォルモーントシティに帰る予定で──って、いたっ!」
 オーエンに脛を蹴っ飛ばされてカインは思わずしゃがみ込んだ。
「何が『一緒にいたかったから』だよ。ただの休暇じゃない」
 顔が熱くなるような変な感覚。これが恥ずかしいという感情なのは知っている。それにしてもここまで強く感じるのは初めてかもしれない。持っていたCBICもどろどろに溶けきって、手の中に残るのは細い棒だけだ。
「そうじゃなくて─。半年経って、俺としばらく暮らしてもいいかなって思ったら一緒にフォルモーントシティに帰ろう。嫌なら別にいい」
 カインは挑戦的に告げる。
「だけど、俺はおまえが絶対帰ってきたい場所になる」
 オーエンはうまく言葉が見つからないまま、何度か口をぱくぱくとさせて、それから台詞を絞り出す。
「僕はカインがいなくても生きていける」
「知ってる。おまえは強くて、俺なんかいなくても一人でどこへでも行ける。だけど、一人で平気だからって一人で行かなくたっていいだろ?」
「それは……」
「不合理なことをするのが心だよ」
 オーエンの腕を掴んでいない左手で彼はオーエンの胸をぽんと叩く。
この街フォルモーントシティだって半年もすれば変わってるかも。そうじゃなかったら、オーエンに譲れないものがあるなら、俺が一緒になんとかするよ」
 心が望む方へ。オーエンは心に従ってカインの胸に飛び込んだ。
 間違っているかもしれない。でも、間違えることができるのがオーエンの手に入れた自由だ。

 空港にアナウンスが響く。記憶にある行き先はチケットに書かれたもの。
「行かなきゃ」
 オーエンはカインの腕を掴み返して引っ張る。彼は慌ててオーエンと一緒に走り出す。

 ハロー。一人でも生きていける僕の見つけた二人の世界。