貴子さんのこと

貴子さんのこと 文芸清潮 昏嶋貴子没後×年記念特集より

筆:熊谷路子

貴子さんと私は高校生の時に出会って以来、良き友人として彼女が亡くなるまで長くお付き合いがありした。おそらく、このコラムも「この国で最後の魔法使い」の素顔について語ることを期待して依頼されたものと思います。

しかし、彼女はプライベートでも皆さんのよく知る茶目っ気あふれるエンターテイナーでした。思い返せば学生時代、すぐ後ろの席に座る彼女に背中をトントンと叩かれ、振り向いた時に何度驚かされたことか。その度に彼女はあの柔らかい笑みを浮かべていました。

実のところ、隠された素顔なんてものはなく、彼女ほど自分に素直な人はいないと私は思っています。ですから、ここでは特別彼女のことを語るのではなく、彼女のパフォーマンスの裏にある彼女なりの哲学を、友人である私の視点から紐解いていきたいと思います。

昏嶋貴子のパフォーマンスは「魔法使い」という異名のままに、不思議なことを不思議のまま観客に見せるというところに特徴がありました。奇術とは本来タネも仕掛けもあるものです。私たちはそれを十分理解した上で、眼前の不思議な現象に驚き喜びます。

しかし、昏嶋貴子のショーを見た観客は「魔法を見てきた」と言います。タネや仕掛けのある奇術であることを忘れてしまうのです。これこそが、彼女を魔法使いたらしめているパフォーマンスと言えるでしょう。

貴子さんはよくショーは奇術師と観客の関係によって成り立つということを語っていました。どれだけ素晴らしく演じても、観客に楽しむ気持ちが全くなければそれはつまらないショーになってしまう。目を背けられたらどれだけ驚くような現象が起きても意味がない。たとえ僅かでも期待が、時に疑うような気持ちを持って観客が関心を向けてくれるからこそ、奇術師は魔法を使えるのです。

奇術師と観客との間にはたとえ言葉がなくとも、関心を向けられ、それに応えるというコミュニケーションが成立しています。彼女はこのコミュニケーションに熟知していました。奇術に対して私たちは多くの場合「騙されないぞ」という敵対的な関心を持って向かいます。けれど、貴子さんはこの敵対的な関心を上手に扱って私たちの胸の内に忍び込みました。

警戒心を解き、想像力を掻き立てる。丁寧なコミュニケーションは言葉によるものだけではありません。ちょっとした仕草や表情、音楽、照明といったもの全てを使って彼女は語りかけてきました。その結果として、舞台の上で彼女の奇術は魔法になっていくのです。

しかし、彼女が語るところによれば、私たち観客が「魔法を見たい」と思うから奇術は魔法に見えるのだそうです。観客が思い描いた理想の魔法を彼らの内に描く最後のひと押しこそが、奇術師の仕事なのだと。

「であるならば、魔法を使っているのは貴子さんでなく、観客なのかもしれないわね」と私が問いかけると、「私とお客さんは共犯なのよ」と彼女はあの茶目っ気たっぷりな瞳を輝かせて頷いていました。彼女が優れた奇術師であるのは、この観客との「共犯関係」(「信頼関係」と言っても良いでしょう)を作ることに長けていたからだと私は思います。

そして、この演じ手と観客の共犯関係は、奇術に限らず歌唱や演劇、小説といったあらゆるジャンルのエンターテイメントにおいても成立し得るものです。だからこそ、この二者の関係を脅かすものを彼女は怖れていました。

彼女が怖れ、一方で立ち向かわんとしていたものについても触れておきましょう。

私も貴子さんも世の中にあるエンターテイメントをこよなく愛していました。けれど唯一舞奏に関しては彼女はどうにも苦手としていたようでした。譜中で生まれた私にとって舞奏とは身近な祭りの催し物であり、愛すべき娯楽の一つでありましたが彼女にとってそうではありませんでした。

舞奏は本来カミに奉納する舞や音曲です。現代においては観客である観囃子の歓心を集めることが注目されますが、歓心を集めて研鑽を積む目的もまたカミにあります。さて、舞奏における覡と観囃子の間に先ほど書いた共犯関係は生まれ得るのでしょうか? もしくは覡とカミの間には?

貴子さんはこのカミなるものを怖れていました。それはカミが演じ手と観客の密やかでささやかな関係性とはまったく異なる論理で存在するものであるからでしょう。

私と貴子さんは大人になってから、舞奏を巡って一度大喧嘩をしたことがあります。それは、まだ私と彼女が二十代半ばのことです。私は当時駆け出しの小説家で様々なジャンルに挑んでは様々な雑誌に短編を多く書いていました。その中の一作に「本願成就」という作品があります。これは、私と貴子さんが生まれ育った譜中の舞奏を題材に描いた短編小説です。「本願成就」は雑誌掲載された直後、武蔵國舞奏社より出版社に申し入れがあり、その後単行本への収録を見送ることとなりました。この作品を巡って、私と彼女は最初で最後の大喧嘩をしました。

実のところ「本願成就」は彼女との対話で生まれた作品でした。貴子さんと話し、舞奏の謂れや伝説に触れるうちにこれほど面白い題材はないのではないかと思って書いたのです。ここで作品の内容について触れることはしませんが、私は小説の中でカミを信仰対象ではなく、機能として分解しようという試みを持っていました。それはカミというものに怖れを抱いていた貴子さんへの、私なりの回答、種明かし、そういったものになれば良いと思っていたのです。たとえば、雷はその原理を知らなければ神罰のように見えますが、発生原理を知ってしまえばよくある天体現象の一つに過ぎません。

貴子さんはこの作品を読んだ後「なんて怖れ知らずな」と怒ったような怯えたような様子で私の自宅に乗り込んできました。はじめは彼女が「罰当たりである」という意味で私を叱りつけているのかと思いました。であるならば、なんと昏嶋貴子らしからぬ言動ではないか。私はそう反駁を加え、言い争いになったのを覚えています。けれど彼女は、私の試みによって私がカミに奪われるのではないかと心配して怒っていたのです。

荒唐無稽な不安と笑うこともできたかもしれません。けれども、舞奏には人の力では到底起こし得ぬ現象を起こした伝説がいくつも残っていますし、彼女がそれを信じるに足る理由を持っていることを私は知っていました。

彼女はカミというものを怖れていました。しかし、それは信仰に基づく畏敬ではなかったようです。彼女は人と違う行動原理を持ちながら、深く人間に干渉しうる存在としてのカミを怖れ、関わらぬよう注意深く距離をおいていました。私が「本願成就」でなそうとしていた試みは、すでに彼女にとって重々承知のことだったのでしょう。その上でカミを語ることそのものが、カミの解体ではなく、掌中に飛び込む行為だと警告しようとしていたのです。

私はその二年後に三作目の長編小説『黎明の鴉』を上梓しました。この作品は題材や物語、登場人物には一切の共通点はありませんが、「本願成就」からさらに練り上げて完成させた作品です。貴子さんはこの作品を特に気に入ってくれていました。

彼女の「隠されたものにこそ真理は宿る、暗闇のなかにこそ真に貴きものが眠る」という評は、私にとって最も嬉しい贈り物です。彼女にとって真に貴いもの、もしくは一矢報いる真実は、いつだって闇の中に隠されたものなのでしょう。それは光の中では見つからず、けれど闇の中でもがく時にこそその手に掴めるものです。あの喧嘩の後、私もその意見に同意したからこそ、この作品を書き上げることができました。

そして貴子さんも、貴きものの力を信じて沢山の魔法を残していきました。彼女の魔法は、私たちが闇の中でさえ信じ得る希望や理想に語りかけ、増幅し、具現化したものです。これこそが彼女なりのカミに対する意趣返しなのではないでしょうか。

貴子さんは誰よりも人の可能性と想像力を信じ、闇の中に貴きものを後から来る人のために残していきました。

彼女の友人として、そしてひとりの昏嶋貴子のファンとして、彼女の偉大な功績に深い敬意を表します。