皋所縁は真実しか贈らない

 皋所縁は贈り物をしない。
 もちろん人生の中で一度もないとまでは言い切れない。子供の頃に母の日に贈ったカーネーションであるとか、父の日に贈った肩たたき券であるとか、そういった思い出はある。家族旅行の土産物を友達に渡したことだってあったかもしれない。
 大人になってからも、家族に対しては父の日や母の日、誕生日に贈り物をした。それはすぐ近くにある実家に帰らない言い訳であったようにも思う。
 兎にも角にも家族なら別として、友達や恋人に贈り物を渡したことはほとんどなかった。だから、昏見有貴がひと月も前からアピールしている彼の誕生日に何を贈ればいいのか、皋には皆目見当がつかなかった。

「誕生日プレゼント、何が欲しい?」
 皋が昏見に尋ねたのは二月の初めのことだった。舞奏の稽古を終えた足で闇夜衆の三人はクレプスクルムでミーティング──もとい雑談をしていたところだった。
「それ、聞いちゃいます?」
「もう二月二十一日が誕生日だって四十七回聞いてるからな。サプライズも何もないだろ」
「えっ、所縁くんってばわざわざ数えてくれてたんですか?」
「三回目でこれ延々聞かされるやつだと思ったから……」
 意趣返しのつもりで数えていた。
「正面切った熱烈アピール、俺は嫌いじゃないぜ」
「萬燈先生ならそう言ってくれると思ってました」
 いえーい、と昏見は萬燈とハイタッチしている。この二人がこうして結束するのは碌なもんじゃないと、皋は最近わかってきた。
「で、誕生日プレゼント何がいい?」
 一応同じ舞奏衆なわけだし、祝うつもりはあった。なんなら萬燈が選んだパティスリーに誕生日ケーキはすでに予約してある。その日は稽古がある日で、すでに舞奏社の社人に冷蔵庫を借りる算段だってつけてある。
 ここで言うプレゼントは、皋所縁が、昏見有貴に個人的に贈るものの話だ。取り立てて特別なものではない。おそらくは萬燈夜帳も、昏見有貴にプレゼントを用意しているのだろうから。
「えー。どうしよっかな。南極の氷と月の石、どっちがいいと思います?」
「『どっちがいいと思います?』じゃねえよ。入手困難なものをあげるな」
 昏見はバーカウンターの向こうで笑っている。会話をしつつも、手元は忙しく開店準備をしているところは流石プロのバーテンダーだと思う。
「私本当に欲しいものは自分の力で手に入れてしまうので、あんまり思いつかないんですよね」
 昏見はさらりと言ってのける。
「お前はそうだろうな」
 皋も納得する。昏見は本当に欲しいものならば、それこそ手段を選ばず手に入れる男だ。
「だから、本当に欲しいものを聞かれたらどうしても手に入れるのが難しいものになっちゃうんですよね。例えば、愛しの名探偵に追いかけられるスリルある時間とか」
 皋は烏龍茶の烏龍茶割りが入ったグラスに伸ばしかけた指を一度止めて、それから何事もなかった素振りでグラスを掴んでから答えた。
「それ、求められたら廃業した探偵さんも困っちゃうもんな」
「ええ。ですから──探偵を辞めた失格探偵さんには、辞めて、それでもやりたかったことを楽しくやってるものを見せてほしいですね」
 昏見は艶然と、魅力的な笑みを浮かべて言った。
「舞奏を?」
「はい」
 皋の隣でくっくっくっと低い笑い声が聞こえた。
「たった一人のための舞奏披とは贅沢で面白えじゃねえか」
「それくらいおねだりしたっていいと思うんですよね。私と所縁くんの仲なんですから」
 「どういう仲だと思ってんだよ」とツッコミを入れるほどの余裕はなく皋はただ昏見のことを見ていた。そして、そこにあるのが揶揄いだけではなく、本気のものが込められているのを見て取るとふっと息を吐いた。
「……考えとく」

「それで、どうするんだ?」
「どうもこうも……」
 はあーっと皋は大きなため息をついた。真っ白な息は二月の寒空に煙のように溶けていく。バーの開店に合わせて皋と萬燈はクレプスクルムを後にしてきた。
「いいじゃねえか。独演舞奏のちょっとした実践形式の稽古みたいなもんだろ」
「それはそうなんだけどさ……」
 もちろん改まって昏見の前で舞奏をやることに対する照れもある。けれどそれ以上に引っかかっているのは、結局のところこれは昏見にとって代替行為でしかないのだ。
「昏見はお前が贈ったものならなんでも嬉しいと思うがな」
「それはそう……って言うのはなんかちょっと誤解を生みそうで嫌だけど……事実としてはそう」
「なら、何を迷う?」
「得られなかったものの代替で喜ぶあいつを見たくない」
 昏見有貴には本当に欲しいものを手にして笑ってほしい。手に入らなかったものの代わりで喜ぶような、そんな姿は見たくない。それは勝手な皋の願いであるとわかっていたけれど、それでも昏見にはそうあって欲しかった。
「それならいっそ俺が贈ったことにだけ価値のあるものがいい」
 道端のタンポポとか。そういうものを渡したって昏見は喜ぶだろう。
 萬燈は虚を突かれた顔をして、それから視線を天に向けた。もうすっかり空は暗く、月明かりと空にも反射する街の白い灯りが目に入った。欠け始めた正円に近い月の光は眩く、街灯よりも遠くにあるライトアップされた電波塔も霞んで見える。
「失われてもなお、愛したいんだろ」
「え?」
「代わりのもので喜ばせたくないんだったら、それが本当に欲しかったものよりも素晴らしいと言わせるしかないんじゃないか?」
 萬燈の言葉に皋は足を止めた。萬燈の言葉は常々彼がそうであるように不遜で挑戦的だった。
「挑むなら俺が手を貸してやる」
 萬燈の伸ばした右手を皋はじっと見てそれから自分の右手で掴んだ。

 稽古が終わった時には日が暮れていた。夜は空けておいてくれと皋と萬燈があらかじめ告げておいたから、クレプスクルムは臨時休業だ。
「あー……昏見。ちょっとそこ座って」
「えー。何かな? なーにがあるのかな?」
「わかってんだろ。いいから座れ」
 昏見を武蔵國舞奏社の舞台が一番よく見える客席に座らせた。いざ座った昏見は、何も言わずただじっと舞台上の皋を見上げている。萬燈は音響操作のための小部屋に入って音楽を流す準備をしているはずだ。無理を通してくれた社人たちには頭が上がらない。
「俺は武蔵國闇夜衆のリーダー皋所縁。今宵はたった一人の、一夜の夢のために舞って見せよう。──覚悟は?」
 声を張り上げる。本当のところ、観客が一人しかいない空間ではさほど声を張らずとも届く。けれど、所縁はこの舞台を支配するように名乗りをあげた。
「聞きましょう」
 昏見は落ち着いた──けれど抜き身の刃を差し向けるような鋭さで返事をする。視線は一度交わる。
 音楽が流れた。その時初めて昏見が少し動揺したように見え、皋はしてやったりと笑みを口元にのせる。扇を開き一度顔の前へ。

 この曲は萬燈がこの日のために書き下ろしたものだった。あの日、バーで会話をしてから三日でラフが、それからさらに三日で完成形の音源が出来上がってきたのだから、萬燈夜帳がいかに天才かということがわかる。
「歌詞は俺が付けるか、お前が付けるか」
「歌詞はいい」
 皋はきっぱりと言った。きっとどんな言葉を並べても──たとえ萬燈夜帳が書く詩であっても自分と昏見を語ろうとすれば空回りするだけだ。それに、言葉にするのはやはり照れくさい。

 皋は歌いながら踊る。振り付けは簡単なものだし、歌に歌詞はなく「la」音を並べているだけだ。それでも、彼の舞は魅力的だった。技巧的に上手いというよりも、何かを伝えようとする熱を感じる舞奏だった。
 言葉を尽くすように。一つ一つ丁寧に。時に激しく、時に静かに。
 今まで闇夜衆で舞ってきたその全てを込めて皋は昏見の前で、彼のためだけに舞奏をした。そこには舞奏競の熱狂も切実な祈りもない。ただ、どうか素晴らしいと思って。喜んで。その想いだけを込めた。
 曲が終わると拍手が一つ響いた。昏見は席を立ち上がっている。スタンディングオベーションだ。
「これが誕生日プレゼント。おめでと。これからもよろしく」
 今更ながら格好つけすぎじゃなかろうかと気づいて顔に血がのぼる。それを隠すように早口で告げれば、昏見は微笑んだ。
「ありがとうございます。リーダー」
 そこに揶揄う口調はなかった。
「最高の舞台でした」
 その歓心を皋所縁が忘れることはきっとない。
 皋は手を伸ばす。
「まあ……しばらくはこっち側で……。やってくれるんだろ?」
「もちろん」
 昏見はその手を取る。ぱっと軽い動作で音も立てずに昏見は舞台に上がった。くるりと一度、なめらかな動きでターン。髪が花吹雪のように揺れる。
「萬燈先生も! とっても気分がいいんです。一曲踊りましょう」
 返事の代わりに音楽がかかる。すぐに萬燈も舞台上にやってくる。曲を止める人間はいないから、誕生日パーティーは終わらない。