死がふたりを分つ時だけ側にいる

「おまえが頼んだことだろう?」
 オーエンの言葉にカインは息を詰まらせてそれから頷いた。
 目の前には男が横たわっていた。表情は穏やかで良い夢を見て眠っているかのよう。けれども、彼が目覚めることは二度とない。
「ありがとな」
 カインの言葉にオーエンは答えずに、苛立たしげに首を背けた。
 目の前の遺体は少しずつ変容していった。肉体は石へ。男は魔法使いだった。強力な魔法使いではなかった彼は、人に紛れ、人の中で幸福を得ていた。
 カインが彼の存在を知ったのはほんの偶然。同じような境遇だったのでかつて何度か言葉を交わしたことはあったが、カインが騎士団を辞したあとはあえて会わないようにしていた。
「人間の中で暮らして、最後は1人きり。馬鹿みたい」
 死に際の男にカインは頼まれた。自分が死ぬ前に、彼が魔法使いである家族に気づかれないようどこかへ運んでほしいと。散々迷ってカインは頼みを引き受けた。あてなどなく、頼りたくないやつに頼っても、その望みを叶えてやるつもりだった。
「そうなんだろうか……」
 カインがこぼしたのは本音だ。確かにこうして愛した人に見守られることもなく逝くことは寂しいのかもしれない。けれど、彼が最後まで語っていた家族や友人の話を思い出せば、決して最期が1人であったとしてもこの世界で彼は1人でなかったと思ってしまうのだ。
「羨ましいんだ」
 オーエンは唇の端を吊り上げて、嘲笑った。カインは賢者の魔法使いだ。もう人の中には戻れない。それをわかっていてオーエンはあえて傷口を舐めるようにカインの様子を伺った。
「昔の俺なら羨ましかったかもしれない」
 怒気のない素直な口調にオーエンは気勢を削がれた。
「何それ」
「今の魔法舎の暮らしと天秤にかけたら選ぶ物は決まっているさ」
カインはほんの少し何かを惜しむように、けれどきっぱりと告げた。
 目の前にあるのはもうただの石だ。それをカインは拾い上げる。それから地面を指で掘る。必要な穴はあまりにも小さい。それでも手で掘るのには骨が折れた。
「埋める必要はないだろ」
「ん……まあ気持ちの問題かな」
 おそらく今頃男の家族や友人たちは驚いているだろう。そして、遺体すら残さず消えた彼のことを悲しむだろう。だからせめて彼らがしたかったように弔ってやりたかった。
 オーエンはカインの向かい側に膝をつくと、白い指で地面を掻いた。
「早く帰りたいんだ。それに、人間の葬式の真似事も面白いしね」
 その言葉は言い訳のようだった。
 黙って2人は土を掘った。そして、石を埋めると掘り出した石にそっと土を被せる。
「それで? ありがたいお言葉は?」
「いや……そういうのはよく知らない……」
「は? 何それ」
 オーエンは顔をしかめ、汚れた指を振った。
「クオーレ・モリト」
 そして帽子を被り直すと墓に向かうカインの様子を伺った。
「まあなんだ。安らかに眠ってくれ」
 カインはそう呟くと、踵を返した。
「悪い。帰ろう」
「君はもう人間の味方にはなれない」
 オーエンはいつものような嘲るような口調ではなかった。ほんの少し憐むようで、苛立つようで。その言葉にカインは笑った。
「人間の味方だとか魔法使いの味方だとか関係なく、俺は俺の思ったことしかできない。俺はこれが今するべきことだと思ったからしたまでだよ。その責任は取る。でもきっと同じ状況になったら、その度に俺は悩む」
「本当に、馬鹿みたい」
 オーエンは呆れていた。それから悪戯を思いついた子供のような顔でとびきりの提案をする。
「おまえが死ぬ時は僕が埋めてあげるよ。この目も、その時返してあげる」
 蜂蜜色の右目がきらりと輝いた。
「1人で死ぬのは寂しいだろう?」
 カインはきょとんとした顔をしてから破顔した。
「いやいや、いいよ。だってさ、正直俺はなんだかんだ、ちゃんと看取ってくれるやつもいそうだし。お前に頼まなくても大丈夫だって」
 豪快に笑い飛ばすとオーエンの鼻先に指を突き出す。
「問題はお前だろ。友達……とかもいないだろ? 絶対1人で死ぬのはお前の方だから」
「僕は死んでも死なないんだよ」
「万が一ってことがあるだろ」
 オーエンの頬が怒りと苛立ちでピクピクと動く。それを一顧だにせず、カインは晴れやかな顔で笑いかけた。
「その時は、俺が埋めてやるよ」
「はあ?」
「でも、死ぬ前に俺の目玉返せよ?」
「だから、そういう問題じゃない」
「リケに教会の葬式の作法でも聞いておこうかな」
「だから……」
 そしてオーエンは不貞腐れた顔で帽子の鍔を深く下げた。変な気分だった。その日が待ち遠しいような、来なくてもいいと望むような。
ただわかっていることは、自分がカインを殺さないかぎり、終わりの瞬間の自分は1人でないということだった。