使われなかったリボンと、それを思い出すある夜の話

 真夜中の談話室に賑やかな声が響いている。
 通りがかったカインがほんの少し扉を開けて覗き込むと、酒に酔った気配を含んだブラッドリーの笑い声が聞こえてきた。何人か談話室にいるらしい。シャイロックは西の魔法使いたちと連れ立って神酒の歓楽街を訪れている。彼が魔法舎を不在にしているから、談話室で酒を開けているのかもしれない。
 カインは談話室の中へと体を滑り込ませた。
「カインか? 子供は寝る時間だぜ?」
「子供じゃないって」
 談話室の中にはブラッドリーの他にフィガロとレノックス、オズ、それにオーエンがいた。珍しい組み合わせだと思う。
「ブラッドリーがいい酒を開けるっていうから集まったんだよ。オズ──カインにも話したの?」
「いや……」
「なんだよ。言ってくれよ」
 オズに向かってカインは唇を尖らせる。こっそり年長の魔法使いたちで美酒を楽しんでいたらしい。
「さっきまでファウスト様とネロもいた。すぐに自室に戻ってしまったが」
「ミスラは舌が馬鹿だから呼ばなかった」
 オーエンはべえっと舌を出した。
「きみが来るならルチルも誘えば良かった。アダルトな集まりだって聞いてたから」
 フィガロが肩を竦める。
「それ、双子を呼ばないための口実って聞いてるけど」
「え、そうなの?」
 オーエンは機嫌良さそうににっと笑うとカインに向かって酒の入ったグラスを振った。
「赤ちゃんの騎士様は? どうする?」
「そんなに美味い酒なら飲みたいよ」
 オーエンは余っていたグラスをブラッドリーの方へと指先で寄せた。ブラッドリーはその空のグラスに酒を注ぎ込む。
「ほら。てめえがこれまでの一生で飲んできた酒を後悔する味がすると思うぜ」
 カインはグラスを受け取ると、そっと口を付けた。色は透明に近い金色。度数の高い酒らしくむせかえるような酒精の香り。しかし口当たりは驚くほど柔らかい。ブラッドリーの物言いが大袈裟ではないと感じるほどに上等な酒だった。
「美味いなこれ!」
「だろ!?」
 カインの反応に気を良くしたブラッドリーは空になったカインのグラスに酒を注ぐ。大盤振る舞いである。
「飲み過ぎには気をつけたほうがいい。水だ」
 レノックスが水の入ったグラスを差し出す。
 酒に絆されたのかこの場にいる魔法使いたちは驚くほど和やかだった。カインもあまり目にしたことのない光景だ。主に会話をしているのはフィガロとブラッドリーで、オズとレノックスは時々相槌を求められては頷き、オーエンはチョコレートと酒を交互に口にしている。
「オーエンがいるの、珍しいな」
 自然とカインはオーエンの隣に座った。この中で一番静かで、会話に混ざっていないのが彼だった。
「チョコレートに合うって聞いたから」
 確かに甘いものにも合う味だろう。カインはテーブルの上にあったサラミソーセージを口にした。ピリッと辛くて美味い。これはこれでつまみにちょうどいい。
「もしかして実は俺の知らないところでよくこういうことに……?」
「なってないよ。こんなのいつもあったらたまらない」
 オーエンはソファの背もたれに深く体を預けた。いつもよりも彼の頬は血色良くなっている。
「騎士様には刺激が強い?」
「いや、楽しいよ」
「オズの肩でも叩く?」
「それはいつも……今日の朝も叩いたな」
「おまえってほんと……」
 オーエンは呆れたようにため息をついてから唐突に笑った。嘲笑でも苦笑でもない。からっとしたオーエンの笑顔がなんだか新鮮で夢を見ているようだった。
「……結構酔ってるだろ」
 オーエンがいつもと違う様子なのをカインは酒のせいにした。
「うん」
「これ、そんなにいい酒なんだな」
「そうだよ」
「なんでそんなものを開けることに」
「なんだっけ。ああ、刑期が五百五十五年短くなったお祝いだって。──そうでしょう?」
 オーエンが唐突にブラッドリーの方に話を振る。
「なんの話だ?」
「これがなんのお祝いかって」
「祝、俺様が恩赦五百五十五年を勝ち取った記念日」
「うわ、そんな理由なら来なかったよ」
「フィガロ様……」
 けらけらとブラッドリーは笑った。
「まあ、理由なんざどうでもいい。俺の機嫌がいいだけの日だ」
 彼は杯を空にすると粗野ではないが荒っぽい手つきで酒を注ぐ。
「今日は馬鹿馬鹿しい夜だけどブラッドリーに免じて許してあげる」
 オーエンは酒をブラッドリーと呼んだ。ブラッドリーは鷹揚に手を振る。
「お酒、なくなっちゃったみたい」
 フィガロが残念そうに空き瓶を振る。
「どうせてめえらもなんか隠してんだろ?」
「だってさ? どうするオズ?」
「なぜ、私に振る」
「オーエンは?」
 ブラッドリーに言われてオーエンは呪文で魔道具のトランクを呼び出した。探し出すように何かを引っ張り出す。
「これとか?」
 オーエンは怪しげな瓶をいくつか出す。
「甘いシロップみたいなのばっかじゃねえか」
「シャイロックがいればいい感じにしてくれたかも。ほら、オズ」
「魔法を使わないと取り出せないところにある」
「ちょっとそれずるくない?」
「フィガロ様。この間任務で行った街で何か買われていたような」
「おまえ……そういうことをこの場で言うんじゃないよ」
 結局フィガロが秘蔵の酒を部屋から魔法で呼び出した。グラスに酒を注いでどっと盛り上がっている横で、オーエンはまだトランクを掻き回していた。
「あ」
 オーエンの手がリボンを掴んでいる。地の色は金色で縁が赤紫色の糸で飾られた立派なものだ。
「どうしたんだそれ?」
 オーエンは記憶を辿るようにしばらく考えてからカインの顔を見た。僅かな逡巡の後、目を伏せてゆっくりと口を開いた。
「きみでいいや」
「なんだよこれ」
「大事なおもちゃにつけるといいんだってさ」
 オーエンがカインの髪に手を伸ばす。吐息にアルコールが混ざっているのがわかるほど、オーエンの顔が近づく。オーエンはカインの頭を抱くようにしてうなじのあたりにある髪留めを外す。
「クーレ・メミニ」
 オーエンの魔法はいつもの強さも激しさもなく、弱くささやかなものだった。それが何のための魔法なのかカインには理解できなかったが、悪意や敵意は感じない。
 それから手に持っていた金色のリボンでカインの髪を留めた。酔っているせいか、それとも手でリボンを結ぶことなんて滅多にないせいか、オーエンが結んだリボンの形は不恰好だ。その上、結び目が緩んでしまっていて、こめかみのあたりの髪が解けて落ちてくる。
「何だよ」
「似合ってるよ」
「おまえめちゃくちゃ笑ってるじゃないか」
 オーエンはカインの胸に顔を押し当てて笑っていた。酔うと笑い上戸になるタイプなのかとオーエンの意外な一面を見た気がする。
「今夜だけつけていてよ」
「別にいいけど」
 よくわからないけど、オーエンがこうして何かをくれるなんて多分目玉に次いで二度目だし。目玉に比べたら、同じ押し付けられるにしてもずっと穏当で綺麗なプレゼントだ。
 髪につけるかはともかく、このリボンを大事にしまっておこうか。そんな風に思う自分も大概酔っ払っているのかもしれない。

◇◇◇

 魔法舎に来て、まだ日が浅かった頃のこと。

 昼下がりの談話室に賑やかな声が響いている。
 強い魔法使いの気配がないのをいいことに、オーエンはするりと談話室に体を忍び込ませた。弱い奴らを揶揄うのは、良い暇つぶしになりそうだった。
「この緑色のリボンはどうですか? 大人っぽいと思います」
「じゃあフィガロ先生にはこれにしようかな」
 リケとミチルがテーブルの上に広げたリボンを前にして頭を悩ませている。
 クロエが箱の中から新しいリボンを一本取り出して二人に声をかけた。
「緑色ならね、こっちの柄がついてるやつもおしゃれじゃない?」
「本当だ! フィガロ先生はこれにします」
 クロエは裁縫箱を開けて何かを縫っていたようだった。再び手元に目を戻そうとした彼とオーエンの目が不意に合った。
「オーエン。こんにちは」
「……なにしてるの?」
「リボンを選んでるんだ」
「リボン?」
「雪のマーケットで連れてきた子たちにリボンを選んでるんです」
 リケは手の中にいるぬいぐるみの頭を撫でた。柔らかそうなぬいぐるみが四体並んでいる。
「これはミチルのために僕が選んだ子です」
 ぬいぐるみの首元には明るい黄色のリボンが巻かれている。
「呪いをかけて?」
「ち、違うよ!」
 慌てて答えたのはリケではなくクロエだった。
「失くしたときにちゃんと手元に返ってくるようにって魔法なんだ」
 リボンには糸で刺繍がされている。簡易的な魔法陣の役割を果たして、魔法の効果を長持ちさせるものだ。
「リケがボクのために選んでくれたぬいぐるみだから、大事にしたかったんです。そうしたらクロエさんがリボンを結んだらって」
 ミチルはむっとした顔でオーエンに言い返す。
「ふうん。ぬいぐるみなんてどれも同じじゃない」
「カインみたいなこと言わないでください」
「は? 騎士様みたいってなんだよ」
 四体のぬいぐるみのうち、二体は誇らしそうにリボンを首に巻いている。一つはミチルのものだ。
「オーエンはなにか大事なものはある? 俺の魔法だからあんまり当てにならないかもしれないけど、リボンもたくさんあるし良かったら……俺が刺繍しようか?」
 クロエが場を取りなすように言う。オーエンはなんの気もなくクロエが開いていた箱を覗き込む。様々な色のリボンが箱の中で出番を待っている。
 オーエンからすればクロエの魔法はおもちゃみたいなものだ。本当に大切なもの──例えば質の良いマナ石だとか強力な魔道具だとかには、当然他の魔法使いに見つからないように目眩しの魔法がかけられている。もしくは、この体の一部──血や髪の毛、もしくはもっと大きいもの──なら大体の場所を探ることも可能だ。
 このリボンの魔法はもっと弱々しくて頼りない。けれど、ぬいぐるみにつけるならそれでいいのかもしれない。ぬいぐるみのリボンからはリケやミチルが一生懸命に魔力を注ぎ込んだ痕跡が感じられる。オーエンにはよくわからないけれど、クロエたちはこういうおままごとめいたものを好んでいた。
「オーエンには大事なものがないんですか? 可哀想に」
「うるさいな」
 リケの言葉にオーエンはぴしゃりと返した。大事なものなどいくらでもある。それを守る方法も力もある。ただ、このささやかなまじないにふさわしいようなものをオーエンは持っていないだけだ。
「じゃあこれ」
 一本のリボンを選ぶ。別に欲しかったわけじゃないから適当に目についたものだ。あれこれ揶揄うつもりだったのに、急にオーエンは面倒な気持ちになって早くこの場を去りたくなった。
 クロエは何故か嬉しそうに刺繍を施す。そして丁寧に畳むとオーエンに手渡した。
「結びたいものが見つかったら魔力を込めて結んであげてね」

◇◇◇

 オーエンはクロエからもらったリボンをトランクの中に仕舞い込んで、その存在ごとすっかり忘れてしまっていた。
 いつしか時が経ち、魔法舎では色々なことが起きて、様々な物事が変わっていった。
 時には殺し合いを演じた相手と、宝石のように眩く愉快な夜を過ごすこともある。
 時には、因縁の相手に使うあてのなかったリボンを贈ることだって、あるかもしれない。