果ての寂しさのようであれ

 誕生日プレゼントに何がほしいかと聞かれると少し困る。
 人並みにほしいものはたくさんあるけれど、あえて贈り物としてほしいものというのはなかなか難しい。

「何かないんですか?」
 リケが唇を尖らせる。カインは苦笑して答えた。
「プレゼントはなんでも嬉しいし、俺としては祝ってくれる気持ちだけで十分」
 別に遠慮しているわけではなく、カインの本音だ。どちらかといえばプレゼントを貰うより、パーティーを開いて美味しいものを食べたり飲んだり、時々踊ったりする方が好きだ。幸運なことに魔法舎では誕生日ともなると盛大なパーティーが開かれる。カインとしてはそれだけで十分嬉しかった。
「本当にないのか?」
 オズに問われて、少し驚いた。リケやアーサーならともかく、オズが自分の誕生日を気にしているとは思わなかった。ストレートに「ない」と答えるのもリケやオズに悪いと思って、うーんと唸りながらしばらく考える。
「あっ!」
「何かあるのか?」
 アーサーが興味津々という顔を向けてきた。
「物じゃないんだけどさ。昔、北の国では夏になると一日中太陽が沈まなくなるって聞いて、いつか見てみたいって思ったんだ。北の国なんてそうそう行ける場所じゃなかったけど、魔法舎には北の国に縁のある魔法使いがたくさんいるだろ? 案内してもらえたら嬉しいなーって」
「一日中太陽が沈まないだなんて、そんなこと本当にあるんですか?」
 リケは怪訝な顔をする。
「白夜のことだな。夏になると、北の国は中央の国より太陽の昇っている時間が長い。夏至になるとほとんど太陽が沈まない日が何日も続くんだ」
 北の国で育ったアーサーはリケに説明した。カインも最初は伝説か何かの類だと思っていたが、大人になってから北の国では実際に起こる現象だと聞いて驚いた。
「私の城で完全な白夜はを見るなら八月は遅いが……」
「それは残念。まあ、いつかの話……」
「太陽が二時間ほどしか沈まない様子なら見られるだろう」
 オズの言葉にカインよりもリケが飛びついた。
「夜が二時間しかないんですか? 僕見てみたいです!」
 オズは「どうする?」とカインに視線を向ける。話がとんとん拍子で進むなあと苦笑しながら答えた。
「あんたが良ければ是非行ってみたい。真夜中まで明るいなんて、頭がおかしくなりそうだ」

 

 カインの誕生日パーティーをオズの城でやることになったのは自然な流れだった。どうせなら真夜中まで、太陽が浮かぶ限り盛大にお祝いをすればいいとアーサーが言い出したのだ。
「オズの城で料理をする日が来るなんてな」
 ネロはそう言いながらもキッチンで料理をしている。フライパンの上では香ばしく焼けたベーコンが良い匂いを漂わせている。
「ようやくこの城で楽しい思い出ができそうです」
 ほんの少し表情を引き攣らせながらグラスを磨いているのはシャイロック。
「オズの城なんてそうそう入れねえからな」
「そうですよ。昨日寝ずにたくさん呪いを用意してきました」
「オズの鼻を明かしてやらなきゃ」
 ブラッドリー、ミスラ、オーエンはオズの城の探索に消えていった。
 城のバルコニーから見える景色は以前訪れた時と同じく美しい。何より今日は快晴だ。ずっと先まで見渡すことができる。
「おぬしに似合いの天気じゃの」
「オズも教え子には甘いようじゃ」
 カインに声をかけたのはスノウとホワイトだった。
「お二人も今日は額縁の中に入らなくていいんだな」
「そうじゃそうじゃ。日が沈むまで自由の身じゃ。そう考えると夏場は北の国にいると便利なのか」
「冬は額縁の中に入りっぱなしになってしまうがな」
 時刻はもう夜の七時を回っている。中央の国ではすでに薄暗くなる時間帯だが、ここでは真昼と変わらない明るさだ。
「カイン、乾杯しましょう」
 バルコニーに顔を出したのは賢者だった。飲み物の入ったグラスを掲げている。
「ああ。今行く」

 

 白夜というのは本当に不思議な現象だ。もう深夜と呼んでいい時間帯なのに、ようやく太陽が沈みかけているところだった。《大いなる厄災》も、ここでは空に薄い影を広げるだけだ。
 パーティーはまだ続いている。ラスティカが奏るチェンバロに合わせて、ステップを踏む。カインも何度踊ったかわからない。
「ありがとな」
 喧騒の中を掻い潜り、ソファで一人酒を飲んでいたオズの隣に座った。
「すごく良い誕生日になったよ」
「本当の白夜を見たいか?」
「え?」
 オズはぽつりとぽつりと言葉をつなぐ。
「ここよりもっと北へ、この国の北の果てまで行けばこの時期でも一日中太陽が沈むことのない白夜が見られる。行きたいか?」
 このパーティーだけで十分楽しかった。しかし、尋ねられると好奇心と冒険心が湧いた。
「ああ。行けるなら行ってみたいな」
 カインとしては「いつか」の話というつもりだった。しかし、オズは神妙に頷く。
「私は日が沈めば魔法が使えなくなる」
 だから、という肝心のその先を言わずにオズは呪文を唱えた。
《ヴォクスノク》
 呪文に呼応して、カインとオズの前に現れたのはオーエンだった。
「は? おまえが呼んだの?」
 オーエンはクリームがたっぷり乗ったケーキの皿を掴んでいた。デザートを食べているところを、オズの魔法で強制的に呼び出されたらしい。
「カインが北の果てに行きたいそうだ」
 オーエンは怪訝な顔でカインを見て言った。北の果てというのは普通の人間や魔法使いが行くところではない。
「……騎士様死にたいの?」
「違う!」
 カインはオズからここからもっと北に行けば本当の白夜を見られると教えてもらったことをオーエンにも話した。
「ふうん。別にそんなに面白いものでもないと思うけど」
 オーエンは大きく口を開けてケーキを放り込んだ。
「連れて行ってやれ」
「は?」
 オズの言葉にオーエンは口をへの字に曲げた。
「もしかして、それでオーエンを呼び出したのか?」
 カインは頭の中でオズの言葉を繋げた。日が落ちて、オズはもうすぐ魔法が使えなくなる。だから、カインを無事に北の国の果てまで連れていく案内人としてオーエンを呼び出した、ということらしい。
 オズはカインの顔をじっと眺めてから、そっと呪文を唱えた。
《ヴォクスノク》
 まだ夜ではないから、オズは魔法を使っても眠ることがない。カインの体に強力な守護の魔法がかけられた。気のせいかもしれないが、なんだかぽかぽかとした心地がする。
「無事に帰ってこい」
 その言葉はカインとオーエン二人に向けられたものだった。オーエンは面白くなさそうな顔をしたが、カインの顔をしばらく眺めてからぱっと身を翻した。
「暗くなる前に行くよ」
「ん……ああ……」

 

 バルコニーに出ようとしたところで二人はクロエとシャイロックに呼び止められた。
「カイン、オーエン。どこかに出かけるの?」
「ああ。ちょっとな」
「それじゃあ──《スイスピシーボ・ヴォイティンゴーク》」
 クロエが呪文を唱えると、カインとオーエンの服装はふかふかと暖かな防寒着へと変わった。
「私からはこれを」
 シャイロックは固く密閉された金属製の瓶をかざしてみせた。
「乾杯したくなるかもしれません」
 瓶とグラスを一揃い──袋に入れて持たせてくれた。
「いってらっしゃい」
「良い夜を」
 カインは手を振って応えた。
「これって……オーエンは何か聞いてるか?」
「知らない」
 オーエンも困惑しているようだった。何やら自分達以外の魔法使いはこうなることを知っていたようである。

 バルコニーには東の魔法使いたちがいた。室内の喧騒から逃れて、のんびりと喋っている。
「二人はこれから探検に?」
 傾けたグラスに入ったワインのせいか、ほんのりと頬を赤く染めたファウストが尋ねる。
「そんなところ」
 カインが答えると、ネロはそっとバスケットを差し出した。彼も酒が入っているせいかいつもより表情が緩んでいる。
「探検したらお腹が減るだろ?」
「ああ……。ありがとう」
 よくわからないままバスケットを受け取る。ここまで来ると何かお膳立てされていることがわかった。

 次に現れたのは北の魔法使いたちだった。
「突然消えたからてめえもどこかに飛んでいったのかと思ったぜ」
 ブラッドリーは親しげにオーエンに話しかけた。元々オーエンは彼らと共にいたらしい。
「一緒にするなよ」
 オーエンは唇を尖らせる。
「オズのやり方が大雑把ですまんの」
「これに免じて許してやってくれ」
 スノウとホワイトがよいしょと持ち上げたのは金属でできた丸い板だった。カインの両手を広げたくらいのサイズがあり、持ち上げるとずっしりとした重みがある。
「何これ?」
 オーエンが尋ねるとよくぞ聞いてくれたとばかりにスノウは胸を張った。
「オズが作った鏡じゃ。それはもう強大な力が込められておる」
「そこに魔法陣を刻んだんですよ。あなたたちの魔力で起動すれば勝手に動きます」
 ミスラがつまらなさそうに答えた。
「なにが起こるんだ?」
 強大な力が込められているというからには、何かとんでもないことが起こるんじゃないか。そう心配してカインは尋ねた。
「よく晴れます」
「なるほど……?」
「本来は天候を変えるには長く複雑な儀式が必要なんじゃがそうも言ってられないからの。オズのパワーと我らの技術でなんとかしたのじゃ」
 ホワイトもスノウと同じように胸を張った。
「こんなことに使うのには勿体無い鏡なんですけどね」
「もう。ミスラちゃんにはいらない魔道具あげたでしょ」
 要するにこれも防寒着やバスケットと同じようにカインへのプレゼントということだ。
「それ、見つけたの僕なんだけど」
「最終的に賭けで巻き上げたのは俺様だろ?」
 オーエンの文句をブラッドリーは一笑した。
「ま、ぱあっと使っちまうのもいいだろ」
 オーエンは鏡を受け取って、ちぇっと小さく舌打ちした。

 なんとなく予想はしていたが、今度はルチルとフィガロが手を振っている。
「私たちからはこれです。じゃーん!」
 ルチルは小さい小瓶と植物の茎を乾かしたものを取り出した。
「ピクニックに行くって聞いたので、ピクニックが楽しくなるものを用意しました。この茎の先に小瓶の中の液体をつけてください。反対側からそっと息を吹き込むと、きっと楽しいことが起きますよ」
 果たしてピクニックという表現で良いのだろうか。北の果てはカインにとって想像のできない世界だ。オズの城の周りですら、人間が暮らすのには過酷な土地だが、北の国の果てはもはや人間が住む世界ではない。大抵の魔法使いにとっても辛い土地だろう。
「まあ、オーエンもいるしちょっと遊んでくるにはいいんじゃない? 誰もいないことは請け負いだからさ。本当に何にもないよ? 人間も魔法使いも、動物も。植物だってほんのちょっと生えてるくらい」
 フィガロは苦笑して言った。
「これ、誰の企み?」
 オーエンはフィガロを睨む。
「言っておくけど俺じゃないよ。そうだな、俺からはこれがプレゼント。──黒幕はオズだよ」
 予想していた答えだったけれど、カインにとってそれは十分なプレゼントだった。不器用で周りくどいお祝いだ。
「ありがとうって言わなくちゃな」
「僕は最悪なんだけど」
「文句はオズに言って」
 フィガロはオーエンの不満を切って捨てた。
「楽しんできてくださいね」
 ルチルがポンとオーエンの背中を押した。それにオーエンは毒気を抜かれたようで、「もう早く行こう」とカインを急かした。
 最後に、箒を出してバルコニーの先から外に向かって飛び立とうとした時に現れたのはアーサーとリケだった。
「カイン、誕生日おめでとう」
 アーサーはオーエンを目を留めて、祈るように告げた。
「カインをよろしく」
「言われなくても」
 オーエンはアーサーから目をそらして短く一言答えた。
「カインもオーエンも、戻ってきたらたくさん話を聞かせてくださいね」
 リケはちょっと眠たそうな顔だった。
 祝うように、道中の安全を祈るように二人の呪文が重なった。
「いってらっしゃい」

 

 太陽が沈むよりも速く、カインとオーエンは北に向かって飛び続ける。雲の切間から光が差し込んでいるが、オズの城を離れると吹雪が襲いかかってきた。魔法で防御してはいるものの、北に行けば行くほど天候は厳しくなっていく。
「オーエン」
 カインはすぐ横を飛んでいるオーエンに声をかけた。
「その……一緒に来てくれてありがとう」
 他の魔法使いたちはこうなることを知っていた。ただ、オーエンだけは特に聞かされていなかったらしい。日が沈まないとはいえ真夜中に、とんだ外出をさせていることに今更ながら申し訳なくなってきた。
「別に。北の果てなんて本当に何にもない。ここまでお膳立てしてもらったきみが、がっかりして微妙な顔になってるのを見るのは楽しそう」
「何もなくてもおまえと二人で真夜中に出かけること自体がすでにちょっと面白いよ」
 オーエンはふんと顔を逸らした。それからしばらくして「あっ」と声を上げる。
「下りるよ」
「ああ」
 オーエンを追って、地上に下り立つ。これまでと同じく、視界は真っ白だった。雪ではなく細かな氷の欠片のようなものが舞っている。
 北の魔法使いたちから託されたオズの鏡をオーエンは取り出した。
《クアーレ・モリト》
 鏡はオーエンの魔力を受けてほのかに光り始める。カインも鏡に手を添えると呪文を唱えた。
《グラディアス・プロセーラ》
 魔法を使ったときの感覚がいつもと違う。なんだか背中がぞわぞわとする。そのくせいつもより力が出るような気がするので、魔力を鏡に集中させるのも難しい。
「落ち着いて」
 オーエンの声が風の音に混じって、カインの耳に届いた。
 意識して深呼吸をする。息を吸って、吐いて。そうしていくうちに違和感が少しずつ抜けていく。魔力のコントロールが自分の手の中に戻ってきた感覚があった。この辺りはどこよりも精霊の気配が濃い。
 鏡は魔法を受けて一層強く光り、少しずつあたりの光景が変わっていった。風が弱まり視界が開けてくる。空にかかった雲が少しずつ晴れて、あたりに光が降り注いだ。
「すごい!」
 思わずカインの口から感嘆が漏れた。空気中を漂う氷の欠片が、陽の光を受けてきらきらと宝石を散らしたように光っている。
「どう?」
 オーエンは肩をすくめて聞いた。彼の銀の髪も光と風を受けて光りながら揺れていた。
「何もない……は嘘だろ」
「嘘じゃない。何にもないから、綺麗」
 目の前には海が広がっていた。海は金属のような鈍色をしていて、陽の光に照らされた部分だけが明るい。太陽は低く、中央の国で見るよりも光は柔らかい色をしていた。辺りに何もないこともあって、真っ白な世界はまるで夢のようだった。
 ここが世界の最北端。北の果ての岬。

 

 オーエンは南の魔法使いたちからもらった小瓶を興味深そうに陽に透かしていた。
「シャボン玉だな」
「シャボン玉?」
 カインは瓶の蓋を開けて、一緒に渡された植物の茎の先を浸す。乾燥させて中空になったそれは、先端から終端に向かって息を通すことができる。ふっとカインは優しく息を吹き込んだ。
 薄い膜を持った球体がふわりと風に流れて宙に浮かぶ。子供の頃にカインも遊んだことがある。
 普通のシャボン玉はいつか割れてしまう。けれど、カインから離れていったそれは、地面に落ちても形を保っていた。
「ここではシャボン玉も凍るんだ」
 カインとオーエンが身を守るために使っている魔法の効力の外に出ると、シャボン玉は一瞬で凍ってしまう。そのため、カインが息を吹きかけてシャボン玉を作るたびに、それは氷の球となって空中や地面を漂い続けた。
「僕もやりたい」
 オーエンが手を伸ばすので小瓶と茎を渡してやる。彼がふうっと吹くと小さなシャボン玉は風に乗り、それから同じように凍っていく。オーエンは風に浮かぶシャボン玉に手を伸ばした。手が触れるとシャボン玉はパリンと割れてしまう。
 シャボン玉が増えていくと、目の前は輪をかけて夢のような光景になっていく。オーエンはコツを覚えたのかゆっくりと息を吹きかけて大きなシャボン玉を作ると、魔法でそれを凍らせた。少しの衝撃では割れないそれを紙風船のように指先で遊んでいる。
 ネロから渡されたバスケットにはご丁寧に敷物が入っていた。カインはそれを敷いて、腰を下ろした。岬からは海と空がよく見える。本当に周りには何もない。
「満足した?」
 シャボン玉に飽きたのか、オーエンはカインの隣に座って尋ねた。彼らが作ったシャボン玉は風に流されて海へと消えていく。
「ああ」
 カインはシャイロックが入れてくれた瓶の栓を抜いた。ポンと気の抜ける音を立てて開いた瓶に入っていたのはビールのようだった。バスケットには甘いジュースも入っていて、二つのグラスにビールとジュースをそれぞれ注ぐ。
「乾杯」
 オーエンはグラスを揺らした。
「乾杯。──真夏なのに真冬みたいなところで飲むビール、悪くないな」
 カインはグラスの半分ほどを一気に飲み干した。
「全部あべこべでおかしくなりそう」
「そうだな」
 ここは真夏なのに真冬で、真夜中なのに真昼のようだった。
「カイン。大好き」
 オーエンは唐突にとびきりの、珍しく邪気のこもっていない笑顔をカインに向けた。
「お、おう」
「この流れで真面目に照れないで欲しいんだけど」
「おまえもちょっと照れてるだろ」
「はあ?」
 オーエンはオズの鏡を投げつけようとした。重くてカインまで届かなかったが、当たったら凶器になりかねないのでやめてほしい。
 本当だろうが嘘だろうが、ストレートに好意を語られれば誰だって少しは照れてしまうだろう。ましてやオーエンは普段こんな風に好意を口にすることはないから、余計にドキドキする。
「賢者の魔法使いに選ばれなければ、この景色も見られなかったんだろうな」
 人間として生活していたら、きっと北の果てまでやってくることはなかっただろう。オーエンに出会って、賢者の魔法使いに選ばれたから、この光景を目にすることができた。彼らを繋いだ《大いなる厄災》は、白く光る空の上で控えめに浮かび上がっている。
「忘れられない誕生日になったよ。ありがとう」
 持ってきた時計をみれば、もう誕生日は終わっていた。
 世界の果ては静かで美しかった。けれど、孤独ではなかった。隣にはオーエンがいて、この体にはオズのかけた守護の魔法がある。手の中のグラス、バスケットの中のサンドイッチ、宙を煌めくシャボン玉。その全てに、誰かの息遣いが宿っている。
「オズの城に戻れば、向こうは夜になっている。みんな眠ってしまって、戻ってきたきみの目には誰も映らない。それって寂しい?」
「少しは」
「ずっとここにいたい?」
 オーエンの問いかけは冗談のようでも本気のようでもあった。
「二人で?」
 彼は答えない。そのあたりはおまかせということらしい。オーエンは立ち上がると岬の端に近寄って海を見下ろした。よく描かれた絵画のように似合っている。それは彼の本質がこの場所に近しいことを示しているようだった。オーエンの中にある寂しさは、この場所によく似ている。
 そうであるならば、《大いなる厄災》の傷はカインを少しだけこの場所に近づけただろうか。
「帰るよ。寂しいって思うのはみんなのことが好きだからだ」
 寂しくなかったら、帰りたくないと思うのかもしれない。それならずっと寂しいままでいい。
 オーエンは海に背を向けた。光を浴びて、彼は眩しそうだった。靴が凍ったシャボン玉を踏んだ。踊るように、彼はシャボン玉の上を歩いていく。カインはオーエンの方に近寄るとシャボン玉を一つ、優しく指先で風に乗せると海の方へと飛ばしてやった。その指先をオーエンに伸ばす。彼はカインの手を取った。いつも冷たいオーエンの手もシャボン玉よりは確かで温かい。この温もりが、寂しさだ。
「ここはすごく綺麗だけど、俺はここによく似た景色を知ってるから」
 朝に目覚めて最初に見つけるオーエンはここの風景によく似ている。視界の中でただ一人、生きている彼は世界の果てのようだった。

 

 オズの城は、出ていった時とはうって変わって静かだった。二人が戻ってきた時にはもう太陽は昇り始めていたけれど、時刻はまだ夜と朝の境目だ。
 カインがあくびをすると、オーエンもつられて口を開けた。空の明るさに騙されているが、夜通し遊んでいた事になる。
「寝るか」
 すでに半ば瞼が落ちかかっているオーエンをカインは引っ張る。昨日のうちに用意していた寝室の一つに入るとベッドの上にオーエンを転がして自分も隣に寝そべった。

 眠れば名実ともに朝となる。魔法舎に戻れば、また朝と夜の巡る当たり前の一日が始まる。絵の具をぶちまけたような賑やかで色鮮やかな日々。
 北の岬で見た美しい景色を、それを見た己の感動をカインは上手に語れるだろう。それでも、言葉にできないものもある。

 果ての寂しさはカインとオーエン、二人の中にだけある。