きみは特別

 居眠りをしていたと気づいたのは、開けた窓から吹き込んだ風が本のページをはためかせたときだった。その物音でシノははっと目を覚ました。
「……んっ」
 今日の授業は終わっていたが、シノは室内修行場に残って復習をしていた。部屋に戻っても森の中でも本は読める。けれど、元来机や本に向かうのに馴染めないシノに取っては、勉強する場所で復習するのが一番集中できる気がしていた。
 普段はヒースクリフが付き合ってくれることが多い。しかし、今日は買い物に行きたいと言っていたからシノ一人で室内修行場に残った。ちょうどよく差し込む昼下がりの陽光に誘われて眠りの世界に落ちたシノを責めるものはいない。ただ、そのことが失態に思えてシノは眉を寄せた。
 固い机に腕枕をしていたから、凝った首筋がほんの少し痛む。肩を回そうとするとはらりと地面に何かが落ちた。見覚えのない薄いブルーの柔らかいブランケット。
「なんだこれ」
 シノの持ち物ではない。床から拾い上げると、一旦それを机の上に置いた。
「もう少しだけやるか」
 シノは本のページを開き直すと、そっと呪文を口にした。

 

 夕食の後のことだ。ファウストは自室のドアをノックする音に気づくと、「どうぞ」と声を掛けた。結界の効果もあって、そこにいるのがシノであることに、ドアが開く前から彼は気づいていた。
「どうしたんだ?」
「これ、返しに来た」
 シノは畳んだブランケットをファウストの眼前に突き付けた。
「ああ。室内修行場に置いておいてくれてもよかったのに」
「それならそう言え」
 ファウストはシノからブランケットを受け取ると少しだけ意地の悪い笑みを口元に載せて尋ねた。
「これが僕だってどうしてわかった?」
「あんたが授業でやってただろ。持ち主の痕跡を辿る魔法。楽勝だった」
「上出来だ」
 ファウストはふっと表情を緩める。
「少し待っていて」
 ファウストはそう言うと一度部屋の奥に消えた。すぐに戻ってきたその手には派手な色を包み紙にくるまれた物が握られていた。
「はい」
 シノの手のひらの上にファウストはそれを置いた。
「なんだこれ」
「勉強熱心な生徒へのご褒美」
 どうも飴玉らしいということに気づくと、シノはにっと笑った。
「特別な?」
 どうもシノは「特別である」ということにこだわりがあるらしいと気づいたのは、魔法舎で共に生活するようになってすぐのことだった。しかし、ファウストは長い間「ヒースクリフにとっての」という接頭辞がつくものだと思っていた。必ずしもそうではないと気づいたのは迂闊なことに、本当に最近になってからだ。
 シノは期待で不安を覆い隠すように胸を張っていた。ファウストはそのいじらしさを無責任に可愛いとも思うし、年長の魔法使いとして危うさも覚える。別に出来が悪くたって、子供はそこにいるだけで特別な存在なのだと周りの大人が言ってあげるべきなのだ。
 そうであるなら自分は? ファウストは内心で問いかけて心の中でそっと首を振る。自分が真っ当な大人なら、子供を戦いの場に出したりなんかしない。結局のところ、自分はシノに対して彼を保護すべき大人にはなれないのだ。
「ああ。これはきみにだけ」
 こういう言葉遣いを自分はフィガロから習った。人を動かすための術。誰かの心を満たすための言葉。嘘偽りやごまかしを言ったことはないけれど、狡い振舞いだという苦さは消えない。
 それでも、シノは勲章をもらったように飴玉を大事そうに両の手のひらで捧げ持った。