Case1: 赤薔薇を誰が手折る?

 おはよう、賢者様。
 寝坊? 確かにいつもよりちょっと遅いような……。
 でも、昨日は南の国で任務だったんだよね。帰ってきたのが遅い時間だったみたいだから大変だったんだなって思ってたよ。
 俺? 今日は特に予定もないから部屋の整理をしようかなって。布やボタン、デザイン画なんかも時々整理しないと、どこにあったかわかんなくなっちゃうんだよね。
 賢者様は?
 そっか。今日は予定がないんだ。
 良ければ整理を手伝うから俺の話を聞かせてほしい?
 もちろん大歓迎。賢者様が書き留めている本のやつだよね。
 ラスティカと二人で旅をしていた時のこと? 何かあったかな……。
 あっ、そういえばまだ賢者様には怪盗メテオーラの話をしてなかったかも。
 気になる?
 じゃあ、俺の部屋でお茶でも飲みながら聞いてよ。
 俺とラスティカが出会った謎に満ちた事件の話を──。

§

 十七歳になったばかりの俺は、カフェでブラックのコーヒーに挑んでいた。
「どう?」
 目の前でコーヒー──もちろんブラックだ──の入ったカップを傾けるラスティカはそりゃあもう様になっている。このところの俺は、ラスティカのような紳士然とした態度に憧れを抱いていた。真似をしてはみるのだけれどラスティカのようにはならない。もちろん彼のような紳士になるのには、十年……二十……ううん、もしかしたら百年は早いのかもしれない。だけど、もうすぐ名実ともに大人と呼ばれる年齢なのだから味覚くらいは大人ぶりたい。
 そう思っていたのだけれど、口をつけたコーヒーはやっぱり苦かった。ローストされた香ばしさの中にほんの少しスパイシーなアクセントを感じる香りの良さは俺にもわかる。香りが良いことがわかるんだからいけるかもと思ったのは束の間、口に広がるのは強すぎる苦味だった。
 諦めてシュガーポットから砂糖をふた匙すくってカップに入れる。それからミルクを注いで黒と白を混ぜ合わせると、ようやく俺好みのマイルドな味わいになった。
「ミルクを入れても美味しいだろうね。僕にももらえるかな?」
 ラスティカは大人ぶって失敗した俺のことを滑稽だなんて笑ったりしない。本当に俺が真似をしたいのはきっとこういうところなんだろう。俺にとってラスティカは憧れの大人で、尊敬すべきお師匠様だ。
「はい」
 ミルクポットをラスティカの方に置く。半分ほど減ったコーヒーカップにラスティカはミルクを入れた。それからうっとりした調子で呟く。
「こんなに美味しいコーヒーを入れたのは誰だろう」
「そこのカウンターでドリップしてる人かな?」
「きっと僕の花嫁に違いない」
「違うって! 絶対違うから鳥籠は締まってよもう……」

 前言は撤回しないけど、補足。ラスティカは憧れの大人で、尊敬すべきお師匠様で、ちょっぴり困った友達だ。

 俺とラスティカは西の国のほぼ中央部にある街を訪れていた。ラスティカは以前にも滞在したことがあったそうだけど、俺にとっては初めて足を踏み入れた街だ。長い歴史があって、公園に飾られたモニュメントや大事にされた古い建物には、ここで暮らす人たちの矜持や愛着のようなものも感じられる。それでいて西の国らしく、流行にも敏感で街ゆく人々のファッションは相応に今風だった。
 秋めいたこの頃はテラスでお茶をするのに丁度良く、宿屋を探すよりも前に俺とラスティカはカフェに入った。このカフェも由緒正しく二百年前から営業しているのだという。
「失礼ながらラスティカ・フェルチ様でいらっしゃいますか?」
 不意にラスティカに向かった声がかけられた。俺とラスティカが座っているテーブルの横に黒のモーニングコートを着た紳士が立っていた。
「いかにも。僕はラスティカ・フェルチです」
「私めはマスカーニ家の執事でございます。あなた様がこの街にいらっしゃると聞いた我が主人より、屋敷にお招きしたいと言付かっております」
 執事だというその人が着ている服は、体にぴったり合っていて、皺もない。頭には白髪が目立つけど、丁寧に梳かれて撫で付けられている。これだけ服装や身なりがしっかりしている人が仕えているのだから、マスカーニ家というのは相当に立派なお家だろう。
「なぜ、僕を?」
「我が主人は音楽をこよなく愛しております。チェンバロ奏者として高名なフェルチ様を是非お招きしたいと」
 ラスティカはそれを聞くと一つ頷いて俺の方に視線を寄越した。
「クロエはどう思う? お招きに応じるかどうか」
 執事さんは俺を見てから軽く会釈をした。俺も慌てて頭を下げる。
 ラスティカがこうやって俺にも訊いてくれるのは、俺のことを対等な旅の同行者として認めてくれているからだと思う。俺の答えをラスティカは必ず尊重してくれる。けれど、だからこそ──気後れしてしまう。本当は俺に決める権利なんてないんじゃないかって。
「俺はせっかくだから行ってみてもいいと思う」
「それなら──お招き喜んでお受けいたします」
 ラスティカは優雅に一礼する。
「ありがとうございます。迎えのものをこの後寄越しましょう」
 執事さんは深々と頭を下げ、カフェから出ていった。

「ラスティカ。マスカーニ家っていうのは?」
「この街で長く続く貴族の家柄だよ。そういえば最近代替わりしたってニュースが」
 そう言ってラスティカが指差したのはラックに突っ込まれた新聞紙だった。俺は席を立つと、新聞紙や雑誌が立てかけられたラックから新聞を選ぶ。テーブルで広げると、その名前があった。
『ジョルジュ・マスカーニ氏、ロサ・ガリカを公開』
 知らない固有名詞に首を傾げつつ、新聞を読み進める。ひと月前に先代から当主の座を引き継いだジョルジュ氏は、近く近隣の貴族や有力商人を集めて夜会を催す予定。夜会の目玉が『ロサ・ガリカ』なるマスカーニ家の秘宝中の秘宝ということらしい。
「クロエ。そろそろ行こうか」
 そう思っているとラスティカが俺の肩を叩いて声をかけたきた。言われてみると、随分カフェに長居をしていたことに気づく。
 『ロサ・ガリカ』が結局なんなのかはわからず仕舞いだ。もう少し先まで読めば書いているのかもしれないけれど、俺は気にせずラスティカの後を追うことにした。
 支払いを済ませて店を出ると、カフェの前に停まった馬車の横で背筋を伸ばして立っている若い男性がいた。彼はラスティカに目を止めると、胸に手を当てて礼をした。
「ラスティカ・フェルチ様ですね。マスカーニ家よりお迎えにあがりました」
 テラスから見える通りに馬車が止まっていたことには気づいていたけれど、まさかこんなに早く迎えが来るなんて思わなかった。
 俺とラスティカは馬車に乗り込んだ。座席はふわふわとしてクッションが引かれている。今まで乗ったどの馬車よりも乗り心地が良い。
「ラスティカは行ったことがあるの?」
「以前同じようにお招きいただいたことがあるよ。先代……いや、先々代だったと思うけれど」
「へえ」
 それなら俺が生まれるよりもずっと前のはずだ。きっとラスティカは今と変わらない顔で馬車に乗っていたに違いない。ゆったりとくつろぐ彼の様子は、なんだかこの馬車の主人みたいだ。
 馬車は十分と経たずに停まった。馬車から降りると目の前には大きくて煌びやかな建物があった。象牙色の壁に赤茶の屋根。窓枠や扉には細やかな装飾が施されている。
「すごい!」
 目を丸くした俺の背中をラスティカがとんと軽く押した。
「中も案内してくれるようだよ」
 屋敷の入り口には先ほどカフェで声をかけてきた執事さんがいた。
「ようこそいらっしゃいました。お運びするお荷物は?」
「お気になさらず。小さく仕舞ってありますから」
 ラスティカが魔法使いであることを、この人は知っているようだった。何か問うことをせず、俺たちを屋敷の中へと案内する。
 屋敷の中は屋敷の外以上に豪華絢爛だった。窓枠にかけられた赤いカーテンも、金のレリーフが並べられた壁面も、どこかしこがくらくらするくらいに贅沢だった。階段の手すりにも薔薇とその蔦を模した装飾が施されていて、俺はとてもじゃないけど手すりをつかめそうにない。
 幅の広い階段の踊り場には何枚かの絵が飾られていた。
「ああ。この方だよ。以前僕を招いてくれたのは」
 つまり先々代の当主様というわけだ。豪快そうな男性で、古風な──いまこの時代に生まれた俺からすると古風に見える着こなしで、燕尾服を身に纏っていた。右の脇腹あたりに勲章を飾る古めかしいスタイルはこの絵画が描かれた頃にしたって古風な装いだ。屋敷全体も数百年前に西の国で流行った様式に合わせて設られているから、先々代の当主様のファッションも時代というだけではなく、この家の人たちの好みなのかもしれない。
「どうぞこちらに」
 俺とラスティカが通された部屋には真紅の布地が貼られたソファと金の枠と滑らかな大理石で作られたテーブルがあった。
「そちらの扉の奥が寝室でございます。本日は八時より夜会を催させていただきます。是非それまではお寛ぎください。何か入り用のものがありましたら、外におります使用人にお申し付けください」
 執事さんはそう言って部屋を出ていった。
 俺たちが用意された部屋も相応に豪華で、けれどくつろぎやすさにも気が配られた部屋だった。濃紺のカーテンを引いて見ると大きな窓が現れた。外は月が昇りはじめていた。今夜は月が煌々と空を照らす満月だ。秋の夜長に開催される夜会にはぴったりの。
 俺はカフェで見た新聞記事のことを思いだした。何かがお披露目されると書いていたっけ。
「夜会って普通何をするの?」
「挨拶をして、それから歌ったり踊ったりかな」
「本当に?」
 ラスティカは心配事が一つもなさそうに言う。別にラスティカが嘘をついているとは思わないけれど、きっとそれだけではないんじゃないかなと思う。
 それから俺は夜会に出るための衣装を考え始めた。今まで作った洋服やアクセサリーの中からぴったりのものを探して、合わせる。夜会だからベースはタキシード。首元の蝶ネクタイで流行りを取り入れて──と考えているとあっという間に外が暗くなっていた。
「ラスティカ。俺の準備はいいよ」
「ありがとう。それじゃあよろしく」
「《スイスピシーボ・ヴォイティンゴーク》」
 呪文を唱えると、ラスティカは白のコート姿から黒のタキシードへと姿を変える。タイは細かい模様が入った真紅のもの。クロエ自身も同じようなタキシードで、タイは光沢のある薄い金。
「素晴らしい」
 ラスティカは姿見の前でくるりと回ってみせた。
「ありがとう。このお屋敷に見合ってるといいんだけど」
「ぴったりだよ。このネクタイは薔薇の装飾に合わせているんだね?」
「そう! 建物の意匠に薔薇が使われていたから、薔薇色にしてみたんだけど」
「さすがクロエ」
 ラスティカの真っ直ぐな賞賛に気恥ずかしさと嬉しさで胸がいっぱいになった。
 照れ隠しのようにラスティカのタイを少しだけ直してやってから、俺は姿見に映った自分の姿を眺める。ラスティカのようにとはいかないまでも、胸を張って背筋を伸ばすとまあまあいい感じに見えた。
「行こうか」
 俺は頷いた。

 夜会はマスカーニ邸のサロンで行われる。サロンは明るい印象を与えるべっこう色の床板に白い壁。天井から吊されたシャンデリアはきらきらと輝いている。白いテーブルクロスをかけられたテーブルの上には軽食が並べられていた。
 マスカーニ家の使用人らしき男性がワインペールからワイン瓶を持ち上げると、俺とラスティカに目線を寄越した。「お飲み物はいかが?」の合図だ。ラスティカはワインの入ったグラスを1つもらい、俺も葡萄ジュースをもらった。
 奥には椅子が四脚、半円を描くように並べられている。椅子の正面には譜面台。音楽家のための席だろうとすぐにわかったのは、こうした席にラスティカが座っているところを何度となく見てきたからだ。
 もしもオーケストラならば指揮者が立つ位置には、何かを置く台のようなものが設置されている。高さは俺のおへそくらいで、台の部分は両の手のひらを広げたくらいの大きさがある。
「ようこそいらっしゃいました。私がマスカーニ家の当主、ジョルジュ・マスカーニでございます」
 俺たちの前にやってきたのはがっしりとした体つきの男性だった。身長はラスティカと同じくらいだけど、厚みは二倍くらいある。タキシードに濃い赤のクラバット、左胸には金のメダルが光っている。貴族のつけているメダルは西の国の王家から授与されるものだと、以前ラスティカに聞いたことがある。
「お招きいただきありがとうございます。ラスティカ・フェルチです」
 ジョルジュさんとラスティカは親しげな握手を交わす。それからラスティカが隣にいる俺を紹介した。
「こちらはクロエ。僕の友人です」
「こ、こんばんは! クロエ・コリンズです」
 俺は挨拶をすると首を引っ込めた亀のように頭を下げた。ジョルジュさんは俺をじろりと上から下まで眺めてから右手を差し出した。
「こんばんは。今日は楽しんでいってください」
 握手を交わすと彼は「失礼」と別の客のところへ去っていった。

 夜会の会場には大体三十名ほどの姿が見える。そのうちの半分はマスカーニ家の人たちとその使用人に見えた。彼らは忙しそうにお客さんの間を動き回っている。他の人たちはめいめいソファでくつろいで、グラスを傾けてお喋りに夢中になっている。
 俺とラスティカも部屋の隅にあるソファに座っていた。何人かが俺たちに遠巻きな視線を向けてくる。
「失礼。お隣よろしいかしら」
 俺とラスティカに声をかけてきたのはエメラルドグリーンのカクテルドレスを身につけた女性だった。俺よりも少し年上に見える。首元には白金にダイヤをあしらったネックレス。金の髪をアップにまとめ、銀の髪飾りを差している。グローブも銀糸で織り上げた繊細なもので彼女の白い肌によく似合っていた。派手さよりも繊細で透明感が際立つ美しさのある人で、俺は精巧なガラス細工を連想した。
「ええ、もちろんです」
 ラスティカは彼女に席を勧める。彼女はラスティカの向かい、俺の隣に座った。
「あなたラスティカ様でしょう? チェンバロ奏者の」
「そうです。あなたは音楽がお好きですか?」
「ええ! 大好きよ。今日も演奏なさるのかしら」
「求められればいつでも」
 彼女は嬉しそうに両手を合わせると俺に向かって微笑みかけた。最初の印象よりも明るく活発な印象を受ける仕草だ。
「今日はマスカーニ家のコレクションが披露されるというから、やはり最初は弦楽四重奏かしら」
「コレクション?」
 俺の疑問に彼女はすらすらと答えたくれた。
「マスカーニ家には代々の当主が収集してきた美術品や宝石のコレクションがあるの。その中でも特に著名なのが、音楽の街の名職人が作ったと言われる弦楽器コレクション。それとロサ・ガリカ」
 また『ロサ・ガリカ』の名前が出てきた。
「ロサ・ガリカっていうのは何なんですか?」
「マスカーニ家に代々伝わるネックレスよ。最高品質のルビーに二十二個のダイヤモンド、金でできているとか。何代か前のマスカーニ夫人のために作らせたもので時価は──」
 そう言って彼女は口を俺の耳に寄せた。
「……!」
 想像よりもゼロが四つほど多かった。
 驚いた俺の顔に気分を良くしたのか、彼女は自慢げに話を続けた。
「弦楽器コレクションはこうした夜会で目にすることもあったけど、ロサ・ガリカはほとんど公開されてこなかったから、実際どんなものか私もよく知らないの。でも今回は新しい当主様のお披露目ということもあって、特別に公開するみたい」
「お詳しいですね」
 ラスティカが彼女に向かって微笑みかける。
「それほどでも」
「ところであなたのお名前を伺っても……?」
 ちょうどその時だった。弦楽器の音が室内に響いた。チェロだ。それに合わせるように二台のヴァイオリンとヴィオラが音を重ねる。あらかじめ用意されていた座席に四人の演奏者が座っている。一番左端に座っているファーストヴァイオリンは女性で、他の三人は男性だ。
 最初に鳴る音はいつもAだと、以前ラスティカが教えてくれた。チェンバロの「ラ」の音にあたる。その響きが人々の話し声を潜めさせる。
「この度はお集まりいただきありがとうございます」
 ジョルジュさんは演奏者たちの前に達、俺たちに向かって挨拶をした。
「皆様と素敵な一夜を過ごせることを光栄に思います。本日は素敵な音楽と美しい宝石のマリアージュを楽しんでいただければと思います」
 彼の言葉に応じるように、お皿かお盆のようなものが運ばれてきた。指揮台の位置に置かれていた台に取り付けられると、皿の部分を傾けられるようになっていて、俺たちに何が載っているのかよく見えた。鮮血のように赤いルビーがあしらわれたネックレスだ。
「ピジョン・ブラッド・ルビーです」
「お詳しいですね」
 ラスティカの言葉にエメラルドのレディは唇を吊り上げるようにして笑った。
 ピジョン・ブラッドという言葉は聞いたことがある。濃く鮮やかな色をした最高級品のルビーに対して与えられる称号だ。ネックレスはそのルビーを主役にして周りを小粒のダイヤモンドで飾り立てている。ルビーはまるで真っ赤な薔薇のようだった。首の半分ほどは覆えるだろう太めで平らなベースの上に宝石が散りばめられている。ベース自体は金でできているようで、まるで金の糸で編んだニットのように細かな模様を描いていた。
 ジョルジュさんが横にはけると合奏が始まった。響いてきたのはほんの少し哀愁の漂うメロディラインだ。俺には音楽の素養はないし、楽器の良し悪しもよくわからない。それでも弾いているのが一流の演奏家で、楽器も素晴らしいものであることはわかった。
 余興としての音楽だというのに、いつの間にかサロンにいた人たちの喋り声はほとんど止んでいた。弦楽四重奏に耳を傾けながら、目線はネックレスに向いている。それから、俺のところまでは内容が聞こえてこないひそひそ声での会話。
 一曲終わるとサロンにいた人たちは盛大に拍手をした。その拍手を浴びるようにジョルジュさんはロサ・ガリカの載せられた台の横に進み出た。
「こちらはロサ・ガリカ。我がマスカーニ家の秘宝中の秘宝でございます。ネックレスの中央には西の国で産出された40.63カラットのピジョン・ブラッド・ルビー。そして紅い薔薇を彩るダイヤモンド」
 そして一度ジョルジュさんは言葉を切ると、懐から一枚のカードを取り出した。
「かの怪盗メテオーラもこの一品を狙って予告状を送ってきました。ですから、この度の夜会ではあえて皆様にロサ・ガリカを見守っていただくこととしました」
 怪盗メテオーラ! 俺は声を上げそうになるのを堪えて息を呑んだ。でも、驚いているのは俺だけではないようで、会場は途端にざわつき始めた。
 怪盗メテオーラは十年ほど前から西の国各地を騒がせている怪盗だ。ターゲットは名の知れた宝飾品や美術品で、どんな厳重に守られているものであっても、怪盗メテオーラは必ず盗み出してしまう。そして、彼の(もしくは彼女の)犯行の前には必ず予告状が届けられるという特徴があった。
「噂は本当だったんだ」
 若い紳士の興奮したような話し声が聞こえた。
「噂?」
 俺の疑問に答えてくれたのは隣に座る彼女だった。
「怪盗メテオーラの予告状がマスカーニ家に届いたという噂が流れていたんです。まさか本当だったなんて……」
 レディ・エメラルドは手のひらで口元を覆うと、静かに呟いた。それからちらっとジョルジュさんの方を横目で見る。
「ラスティカ。怪盗メテオーラだって。本当に現れたらどうしよう!」
 どうしようも何もないってわかってるのに俺は興奮が抑えられなかった。怪盗メテオーラのことを単なる泥棒だと言う人ももちろんいるけれど、多くの人たちは怪盗メテオーラに憧れた。彼がターゲットにしているのが、一般に評判のよくない貴族や裕福な商人であることも庶民の支持を集めている理由の一つだろう。
 でもそれだけじゃない。神出鬼没、華麗でロマンあふれる大怪盗をどうして嫌いになれるだろう!
 俺も怪盗メテオーラのちょっとしたファンで、彼について書かれた新聞や雑誌をこっそりと集めている。颯爽と現れてターゲットを盗み出す姿は流星メテオーラの名に相応しい。
 名前といえば、今まで怪盗メテオーラが盗みに入るのは、月が暗い新月や三日月の夜で、それも彼が星であることを意識しているように思える。そんな俺の見解をラスティカに披露するくらいには俺は怪盗メテオーラにハマっていた。
「ちゃんと挨拶をすればきっと握手をしてもらえるんじゃないかな」
「そうかな?」
「僕の想像する怪盗メテオーラならきっと」
 ラスティカは器用にウインクをした。
 いつの間にか演奏家たちは一曲奏終えていた。拍手の後に響いてきたのは一曲目よりも明るく、柔らかい曲調だった。サロンのざわめきは収まらず、音楽の響く合間合間に行き交う人々の噂話が聞こえてきた。
 気がつけばエメラルド色のドレスを着た彼女もいない。皆がロサ・ガリカを窺いながらお喋りに興じている。
 不意に俺は不安になってラスティカが隣にいることを確認した。ラスティカはちゃんと俺の隣にいて、弦楽四重奏の音色に耳を傾けていた。俺の視線に気がつくとラステカは微笑みを一つ浮かべ、それからぽつりと呟いた。
「でも、本当に怪盗メテオーラがやってくるなら、ロサ・ガリカはどうなってしまうんだろう」

 ことが起こったのは四曲目か五曲目か、夜会が一番盛り上がっていた頃だったと思う。
 ラスティカは何人かに声をかけられたり、囲まれたりしていた。そういう人たちは俺には目もくれない。ラスティカは俺を友人だと紹介してくれるけど、きっと俺の名前を覚えてくれる人はここにはいない。別に拗ねてるつもりはないけれど、そういうものだってことはちゃんと心得ている。
 代わりに俺は夜会にいる人たちの服装をつぶさに観察していた。おしゃれな色の合わせ方、今風の着こなし、そういうものを見ていると、飽きることは全然ない。だから、総合すると俺はこういう場所が嫌いではなかった。気後れはしてしまうけど、ラスティカと一緒ならどんな世界に飛び込んでみてもいいと思える。
 ロサ・ガリカは相変わらず主役の位置にいたけれど、人々の視線は少しずつロサ・ガリカから離れ始めていた。美しくとっつきにくい宝石よりも、下世話な噂話に興味が湧く気持ちは俺にもちょっぴりわかる。
 ロサ・ガリカはただ飾られているだけで、圧倒的な美しさがあった。ネックレスなのだから、身につけるために作られたのだろうけれど、これが似合う人はそういないだろう。これに合うドレスだって……どんな風にすればいいだろうか。俺がそんなことを思っていたその時だった。
 一瞬でサロンに闇が落ちた。
「何!?」
 悲鳴にも似た声が上がる。弦楽器の演奏も止まる。
「何かあったの?」
「まさか怪盗メテオーラ?」
 人々の不安そうなざわめきだけが場を支配している。
「クロエ。大丈夫?」
 俺は暗闇の中でラスティカがいることを確認すると、彼の手を取った。
「大丈夫」
 正直、俺がこの状況でも不安じゃないのは、今ここにラスティカがいるからだ。ラスティカと俺なら、大抵のことはなんとかなるんだって、これまでの旅路でよくわかっていたから。
 魔法で灯りをつけることは簡単だったけれど、俺とラスティカはしばらく様子を窺った。
「落ち着いてください。今確認しています」
 マスカーニ家の人と思われる声がこの場を宥めようとしていた。そして、明かりが消えたのと同じくらい唐突に明かりがついた。ちかちかと眩しくて、俺は一度目をぎゅっと瞑った。それから少しずつ瞼を持ち上げて室内の様子を見る。
 ラスティカは俺の隣にいて、俺と同じように室内を見渡していた。ぱっと見た感じ、そう様子は変わっていない。暗がりの中ではそう動き回れるものじゃないから、明かりが消える前と大きく移動している人もいないように見える。着席していた演奏家たちはその場で腰を浮かしていた。
「ロサ・ガリカが!」
 声を上げたのはジョルジュさんだった。彼の視線の先、ロサ・ガリカが飾られていた台は空っぽだった。真紅の輝きはどこにもなく、ぽっかりと空間が空いている。
「怪盗メテオーラ!」
 誰かのあげた声が合図となって、ざわめきが大きくなる。
「部屋を封鎖しろ!」
 ジョルジュさんの怒声が聞こえた。
「何人たりともこの部屋をでることは許さん! ロサ・ガリカを見つけるまでだ!」
 俺は未だ触れたままのラスティカの手をぎゅっと一度強く握った。

 サロンの入り口は一箇所。扉は閉じられており、戸を開けるための使用人が側に二人控えていた。彼らの証言によれば、暗闇の中で戸を開けたものはいなかったという。もちろん口裏を合わせて嘘をついている可能性はあるが、扉の近くにいた人たちも扉が開いた気配は感じなかったと証言したので、真実と見做してよさそうだった。
 俺たちは一人ずつジョルジュさんが信頼できるとした使用人たちによって念入りに調べられた。ロサ・ガリカを隠していないか、服の上からだってまさぐられるのは正直気持ちの良いものではなかったけれど、従わないわけにもいかない。
 そうして日付が変わっても俺たちはサロンに閉じ込められ続けた。
「まだ見つからないんだって」
 俺はラスティカに話しかけた。ロサ・ガリカは未だに見つかっていない。ジョルジュさんは苛立ちと焦りの表情を浮かべていた。夜会の出席者の誰も彼には逆らえないようで、大人しく彼に従っていた。
「困ったね」
 ラスティカはほんの少し眉を寄せた。彼の視線の先にいるジョルジュさんがこちらを向いた。つかつかと俺たちに向かって歩み寄る。
「ラスティカ・フェルチ殿」
「はい。なんでしょうか」
「あなたは魔法使いだ」
「そうですね」
 ジョルジュさんは底冷えのする声で告げた。
「怪盗メテオーラは魔法使いだと聞いたことがあります」
 その噂は俺も知っていた。神出鬼没な大怪盗を魔法使いだと疑うのはそうおかしなことではない。怪盗メテオーラは魔法を使ったとしか思えないくらい鮮やかな手口でターゲットを盗み出しているという話だった。俺自身、怪盗メテオーラは魔法使いなんじゃないかと疑っている。
「僕も噂話は知っていますよ」
「あなたたちが怪盗メテオーラなのでは? そしてロサ・ガリカを奪った」
 サロンが一層ざわつく。刺すような疑いの視線が俺とラスティカに向けられた。首をすくめる俺とは対照的にラスティカは静かに首を振った。
「残念ながら僕は怪盗メテオーラではありませんよ」
「証拠は!? 魔法使いなら私たちの目を欺くことなどいくらでもできるだろう!」
 西の国では露骨に魔法使いだからといって差別されることは少ない。奇妙でおかしなものとして、人々の生活のちょっとしたスパイスみたいに扱われることの方が多かった。けれど、何かが起きた時、真っ先に疑われるのはやっぱり魔法使い俺たちなのだ。
 誰も見ていなくたって、他人の持ち物を盗まない人間はたくさんいるだろう。同じように、たとえ俺たちが魔法を使えたとしても、ロサ・ガリカをこっそり盗むことができたとしても、そうはしない。人間なら当たり前に信じてもらえることを、信じてもらえないことは多かった。
 残念なことにこうやって糾弾されることに、俺は慣れていた。都合の悪いことはみんな魔法使いのせい。それでも、俺は律儀に毎回傷ついている。凍りついたように足は動かず、嵐が過ぎ去るのを待つように俺は唇を引き結んでいた。
「いいえ」
 それでも、ラスティカははっきりと否定した。感情的でも大声でもない。けれどその声はトランペットが明瞭なソロを奏るように響いた。激しく詰め寄られても、ラスティカはいつもと変わらずおっとりとした調子を崩さない。
「魔法が使えても僕はあなたたちを欺くことなんてしません」
 それを見て、俺も少しだけ胸を張ることにした。俺もラスティカも何もしていない。そういう時はちゃんと顔を上げなくちゃ。
「それならどこに……」
 ラスティカは言い募るジョルジュさんを手で制した。
「ロサ・ガリカはまだこの部屋の中にあります」
 ラスティカはジョルジュさんだけでなく、部屋中の人たちに伝わる声で告げた。「できる」ということは「やった」ということとイコールではない。それを証明するために、ラスティカは一歩部屋の中心へと足を踏み入れた。

「みなさまご機嫌よう。僕はラスティカ・フェルチと申します。僕と僕の大切な友人の潔白を証明するためにロサ・ガリカのありかを明かして見せましょう」
 サロン中の視線がラスティカに集まる。それは先ほどと同じく疑いの色が濃かったけれど、一方で何か面白いことが起こりそうだという期待もわずかに含まれ始めていた。
 俺に親しげに話しかけてきたレディ・エメラルドも離れたところから俺たちをじっと見つめている。
「さて、ロサ・ガリカが台から持ち出された時のことを考えてみましょう。つまり照明が消え、再び着くまでの間です。一分……二分もなかったでしょうか。この短時間でロサ・ガリカ置かれた台から入り口まで、怪しまれずに──つまり誰にもぶつかることもなく、こっそり扉を開けて出ていくのは普通の人には不可能でしょう」
「怪盗メテオーラならできるだろう」
 どこからかそんな声が聞こえ、そうだそうだと賛同する人たちがいる。
「ええ。僕達の知っている怪盗メテオーラなら、きっと難なくこなしてしまう。ですから、僕は今回の犯行は怪盗メテオーラの仕業ではないと思っています」 
「予告状があったんだぞ」
 ジョルジュさんが語気を強めた。
「偽物では」
「なぜそれがわかる」
 ラスティカは薄く微笑んだ。
「怪盗メテオーラは満月の夜に盗みはしません」
 俺はハッとした。確かに今日は満月の夜だ。怪盗メテオーラはいつだって月の暗い夜に現れる。
「僕の友人の研究によれば怪盗メテオーラは月が明るく星を隠す夜には現れません。偶然? そうかもしれませんね。でも、今までがそうだったなら今回もそうだと考えるのは自然では?」
 これは屁理屈だ。それでも柔らかく澱みのないラスティカの言葉に、皆がそうかもしれないと頷き始めていた。今やラスティカはこの場を操る指揮者だった。
「怪盗メテオーラの犯行でないのなら、ロサ・ガリカはまだこの部屋の中にあります」
 ラスティカはぐるりと部屋を見渡した。
「この部屋で探していないところなどない」
 ジョルジュさんは先ほどよりも弱気な声で訴えた。彼の言う通り、マスカーニ家の人たちは壁にかけられた絵画の裏からテーブルの下まで隈無くこの部屋を捜索していたはずだ。夜会の参加者が隠し持っていないことだって何重にも調べられているはずなのに。
「ロサ・ガリカはどこに?」
 レディ・エメラルドもほんの少し興奮した様子で尋ねる。
 ラスティカはロサ・ガリカが置かれていた台に、そしてその先にある音楽家たちが座っていた椅子へと近づいた。椅子の上には楽器が置かれている。彼らもまたネックレスを隠し持っていないか念入りに調べられていたところだった。
「この部屋でまだ調べられていないものがあります。ロサ・ガリカと同じようにマスカーニ家の宝として扱われているこの弦楽器コレクションです」
「楽器の中に隠したってこと?」
 俺が尋ねるとラスティカは頷くと椅子に立てかけられたチェロの棹を手に取った。
「このf字孔からネックレスを入れれば気づかれることはありません。バイオリンやヴィオラでは、f字孔が細すぎますが、チェロならぎりぎり入りそうです」
 f字孔は弦楽器の表面に刻まれた筆記体の「f」を象った切れ込みのことだ。確かにここからなら金具を外して一本の鎖状にすれば何とか入れることはできそうだ。
「この楽器もロサ・ガリカと同じほど貴重なコレクションですから、念入りに調べられることがないことは想像がついたはずです。あとは解放された段階でチェロごと盗み出す手筈だったのか、それとも──」
 ラスティカは悲しそうに眉を寄せた。
「チェロを破壊してロサ・ガリカを取り出すつもりだったのかはわかりませんが、とにかくそうやってジョルジュさんの目を盗むつもりだった」
 人々の視線はチェリストに向けられた。チェロを確認するまでもなく彼は明らかに狼狽した様子を見せる。
《アモレスト・ヴィエッセ》
 ラスティカが呪文を唱えると、おそらくは暗闇の中でチェリストがやったのと全く逆の手順でするするとネックレスが現れた。ラスティカはロサ・ガリカを手にすると、台の上にそっと戻した。
「クソっ!」
 声を上げてチェリストは出口の方へと動線上にいる人を突き飛ばしながら向かう。
《スイスピシーボ・ヴォイティンゴーク!》
 俺が呪文を唱えると、イメージした通りに魔道具の裁縫箱からシルクのスカーフが飛び出した。チェリストの足にそのスカーフが絡みつくと彼はつんのめってから、ぎゃっという声を上げて転んだ。それから慌てたようにマスカーニ家の使用人たちが彼を捕まえる。俺はふうと一つ深呼吸をした。
「お疲れ様」
 ラスティカは俺の隣にやってきて、大した仕事もしていない顔を浮かべていた。
「あの……ありがとうございました」
 ジョルジュさんは俺たちのところにやってくると深々と頭を下げた。
「いいえ。無事ロサ・ガリカが見つかってよかったです」
「なんとお礼を言って良いことか」
「いえいえ。あなたにお礼をされる理由はありませんよ。怪盗メテオーラ」
 ジョルジュさんはきょとんとした顔をした。けれど、じっと彼を見つめるラスティカの視線を受けて数秒、彼は軽快に笑った。その声は先ほどまでとは全く違う声をしていた。高めの若い男の声だ。
「よく、気づかれた」
 見た目はジョルジュさんのままだったのに表情は全く違っていた。気障な仕草で彼は胸に手を当ててラスティカに礼をする。
「なんでわかったの?」
 尋ねたのはジョルジュさん──怪盗メテオーラではなく、レディ・エメラルドだった。彼女は俺の横に並ぶと先ほどよりもさらに興奮した様子だった。
「最初に『おや?』と思ったのは左胸のメダルです。僕は先々代にも会ったことがありますが、彼は勲章やメダルは右脇腹につけていました。伝統的な付け方で、伝統を重んじるマスカーニ家では今でもそのやり方を通しているそうです」
 俺は階段で見かけた肖像画を思い出した。確かに絵の中にいた紳士の勲章は右脇腹に会った。
「もちろんジョルジュ・マスカーニ氏が今風のやり方に変えたのかもしれません。ですが、その時もしかしたらこの人は本物のジョルジュ氏ではないのかもしれないと」
「なるほど。ジョルジュ氏に正装を指南してもらわなかったのは私のミスですね」
「それからもう一つ」
 ラスティカはレディ・エメラルドを手のひらで指し示した。彼女は驚いた顔をラスティカに向けた。
「怪盗メテオーラの話をするとき、彼女はちらりとあなたの方に視線をやるので」
 それを聞いて彼女はさっと顔を青くした。そして彼女は怪盗メテオーラへ窺うような視線を向ける。
「まったく、この弟子ときたら」
 ため息混じりの台詞には呆れの他に親しみが混じっていた。
「ごめんなさい……師匠……」
 レディ・エメラルドはくしゃりと泣きそうな顔をして怪盗メテオーラに駆け寄った。楚々とした貴婦人の佇まいはなく、親鳥に置いていかれないように羽ばたく小鳥のようだった。
「勝手に配役を振ってしまって申し訳なかったね。ラスティカ君。ちょうどよくこの街で君の噂を聞いたものだから」
「いえ、探偵というのも面白い経験でした。次は是非音楽家の役をやりたいものですが」
 二人は握手を交わす。
「え、二人って知り合いなの?」
 俺の言葉に二人は同時に首を振った。
「いや、初対面だよ」
「お初にお目にかかったな」
 じゃあなんでこんな親しい感じになってるわけ!
「え、なんで意気投合しちゃってる感じ? お前の友達って何者なの?」
 一瞬心の声が口から飛び出したのかと勘違いした。その声は先ほどよりも幾分ハスキーに聞こえた。レディ・エメラルドは──もうレディなんて感じじゃなかったけれど──少年の声で俺に問いかけた。
「ラスティカは……俺の自慢のお師匠様だよ」
 それを聞くと怪盗の弟子はにんまりと笑った。
「へえ。ま、いいんじゃない? 俺の師匠ほどじゃないけどさ」
 失礼な物言いに俺は一瞬ぽかんとして、それから腹が立った。なんでこんなことを言われなくちゃいけないんだ。けど、何か言い返してやりたいのに言葉が出てこない。悔しいけど俺はあんまり喧嘩に慣れていないんだ。
 そうこうしている間にもサロンはざわめき出した。事件が解決したと思ったのになにやら屋敷の主人とラスティカが変な話をしているのだから当然だろう。
 怪盗メテオーラはサロンの人々に向かって朗々と宣言した。
「私は怪盗メテオーラ。月下を厭い、夜闇に落ちる流れ星。今宵は満月なれど、招待に預かり参上した」
 招待。彼は懐から偽物の招待状を取り出すと、指を鳴らした。一瞬、招待状が炎に包まれる。すると目の前にいるのはジョルジュさんではなく、背の高いマントを羽織った若い男だった。
「怪盗メテオーラ!」
 誰かが叫ぶ。彼は人々の間を踊るように進む。誰も彼を捕まえようとはしない。手を伸ばした人はいたけれど、その手をすり抜けていく。
「クロエ。握手してもらわなくて大丈夫だった?」
「今!? それ言う?」
 けれどラスティカは愉快そうに笑って俺の背中をぽんと叩いた。
 俺は彼の方に駆け寄った。
「初めまして、怪盗メテオーラ」
「初めまして、クロエ君。君には色々と悪いことをしたね。弟子も……後できつく言って聞かせよう」
 彼は俺に向かって右手を差し出した。俺はその手を取る。握手を交わした。
「えっと……ファンです!」
「ありがとう。君は随分おしゃれだね。もしかしてラスティカ君の衣装も?」
「はい、俺が作りました」
「そうかそうか。君の店はあるのかな?」
「いえ、まだ……。ラスティカと旅をしていて」
 彼は機嫌良さそうに頷く。
「君たちにはまたどこかで会えそうだ」
 それから怪盗メテオーラはロサ・ガリカを隠していたチェロのところまで行くと、それを手に取った。
「無事ロサ・ガリカも見つかったことだしね」
 それから怪盗メテオーラはパチっと指を鳴らした。再び照明が消える。けれど、今度は極々短い時間だった。数秒だったと思う。
 再び明かりがついた時、怪盗メテオーラの姿も、彼の弟子も、チェロも。すっかり姿を消していた。
 誰もが夢でも見ていたのではないかと瞼を擦るなか、ラスティカは俺の耳元で囁いた。多分俺たちにとって一番大事な、他の人たちにとって一番どうでも良いことを。
「怪盗メテオーラと握手ができてよかったね」

§

 それでどうなったかって?
 本物のジョルジュさんと執事さんは二人とも自室にいたよ。犯人が用意した偽物の予告状を受け取って、どうしようか悩んでいたところに本物の怪盗メテオーラが現れたんだって。
 ロサ・ガリカの公開を止めればよかったんだけど、もう夜会で公開するって言っちゃったから後に引けなくなっていたみたい。だから怪盗メテオーラが「自分に任せてくれ」って言い出したから思い切って彼に託してみたっていうのが真相。

 チェロは報酬として怪盗メテオーラに盗まれちゃったけど、ロサ・ガリカは無事だったからジョルジュさんは喜んでたよ。
 ロサ・ガリカを盗もうとしたチェリストは借金を返すためにこんなことを企んだんだけど、結局未遂で終わったからそんなに重い罪にはならなかった。きっと今も真面目に演奏家をしているはず。

 怪盗メテオーラはやっぱり魔法使いだったのかって?
 うーん……。少なくともあの場で怪盗メテオーラは一度も魔法を使わなかった。だから、人間なんだと思う。まあ、怪盗メテオーラの活躍を思い返すとにわかには信じられないんだけどね……。
 あのむかつく──じゃなくて、ちょっと口の悪い弟子の方は魔法使いだよ。それくらいは俺にもわかる。そんなに上手に隠してる感じじゃなかったしね。

 それから?
 怪盗メテオーラとその弟子にまた会うことがあったかって?
 それは──。
 あ、誰だろう。ちょっと待ってね。
 カイン? 賢者様ならいるけど。
 あ、賢者様。カインが急用だって。
 うん。続きはまた今度話すよ。

 俺とラスティカが旅を続ける中で、交わることになる怪盗とその弟子の物語を。