風切るスピード、己がいる場所と地上との距離。遥か高い空の上は不安だ。放り出されたら何もできずに真っ逆さ様に落ちていくしかない。想像するだけで恐怖を感じ、俺は思わず彼の腰に回した腕をぎゅっと縮めた。
「怖いか」
問いかける声は粗雑さと軽さが感じられる。
「はい。ブラッドリーを信用していないわけではないんですが」
「ああ。人間は空を飛ばないから、そりゃあ怖いだろ」
言葉を交わしながらも、飛行するスピードはどんどん増していく。箒の柄は細いが、体が揺れたりはしない。風圧も実際のものほどではない。空を飛ぶための魔法。そのための儀式。
ブラッドリーが俺を落っことしたりしないってわかっている。それでも、怖いものは怖い。たとえば、展望台の足元に突然現れる真下がよく見えるガラス板。割れるわけがないってわかっていても、足を踏み出すのに覚える抵抗感のようなもの。空を飛んでいるとそういうものがまとわりついてくる。
ちょっとした事故で、俺はブラッドリーと共に飛ばされた。そして、共に任務を行っていた場所へと急ぎ向かっている。
厄災の傷は本当に面倒だ。どうか、また彼がくしゃみをしませんように。そう祈りながら俺は薄く闇の帷が落ちた空を飛行している。
「魔法使いは空を飛びたがる生き物だ」
ブラッドリーはぽつりと言った。
「そうなんですか?」
「さあ。俺が言った言葉じゃない。俺の兄弟が昔言ってた」
ブラッドリーにはたくさんの兄弟がいた。魔法使いは末っ子の彼だけで、兄も姉もみんな人間だったのだとか。
「魔法使いと人間の違いなんざ他にもたくさんある。でも、一番は空を飛びたがるところだって。てめえはどう思う?」
「俺は──」
ぶらりと揺らした足の下で雲が流れていく。月明かりのおかげで雲の影ははっきりしていた。大地に模様を書いたように広がっている。
人間は空を飛ばない。重力に縛られて、大地に足をつけて生きていく。そこには、自分を繋ぎ止めてくれるものがあるという安心感がある。
空を目指す魔法使いを繋ぎ止めるものはない。重力に逆らって、空へと向かう力がある。それは勇敢で少し寂しい。
「俺は元いた世界で空を飛んだことがありますよ」
驚いたような反応がブラッドリーの背中から伝わってきた。
「鉄の船に乗って空を飛ぶんです。百人か二百人くらい乗ってるんでしょうか。空をものすごいスピードで駆けて、どんな遠いところにでも行けるんです」
もっとも俺が飛行機に乗ったのは修学旅行や家族旅行で数度だけ。ささやかで安全な冒険。それでも空から地上を眺める興奮をいつだって覚える。地上を離れることは怖いのに、同じくらい胸が高鳴る。
「だから、人間も空を飛びたがってるんですよ」
魔法使いと同じように。この世界でも空飛ぶ船に焦がれた人間がいた。
「そうか。なら、ここは特等席だな」
「はい」
飛行機では味わえない広い視界。空の風。その全てにドキドキする。
地上にぽつぽつと見えた明かりは星のよう。それを時折覆う雲の影は、黒という概念を纏ったように暗い。
その中を抜ける自分とブラッドリーは──喩える必要もなく、魔法使い。