プロ野球コラボする闇夜衆

 晴れてよかった、と皋は空を見上げた。雲は西へと押しやられて、雲間から光が見える。先程までは霧のような雨が降ったり止んだりを繰り返していた。
「晴れてよかったですね」
 皋が思っていたのと同じことを隣に立っている昏見が口にした。くるくると手元の傘──雨傘ではなく小ぶりな和傘だ──を回している。
「濡れた人工芝は滑るから気をつけろよ」
 同じく側にいた萬燈が皋に笑みを向ける。それなんだよなあと皋は不安の面持ちを目の前のグラウンドに向ける。なにせこれから舞を披露する場所は舞奏社の舞台ではなく、野球場なのだ。

 話はひと月ほど前のことだった。
「プロ野球ですか……」
 社人から武蔵国闇夜衆に出演依頼の話があると言われ、闇夜衆の面々は稽古の前にこうして話を聞くことになった。以前のワクワク超パーリィのようなものだろうかと思ったら予想外のジャンルが飛び出してきた。
「なるほど。武蔵野グリーンパークといえばここからも近い」
 萬燈は話を持ちかけてきた球団の名前を聞いてピンときたらしい。譜中からもほど近い野球場を本拠地としている球団からのコラボレーションということだから丸っきり関係がないということもなさそうだ。
「でも野球と舞奏って全然ファン層がかぶるイメージないんだけど大丈夫? ブーイングとかされない?」
「大丈夫ですよ! 野球ファンはとんちきコラボに慣れてるってネットに書いてましたよ」
「っていうかそんなにコラボとかあるのか……」
 皋は八割不安だったが、昏見は乗り気の顔をしている。
「ブーイングがされるならいいもんだが、はっきり言って俺たちを見にくる客以外の態度は一つだ。無関心。俺たちが何をしようがおそらく大半の客はどうだっていい。──それでも出るかって話だな」
「萬燈先生はただの前座で終わるつもりはないんだろ?」
 萬燈は答えなかったが、言葉とは裏腹にその顔には面白いという文字が浮かんでいる。
「お前も興味あり?」
 昏見を伺えば「はい!」という元気な声が聞こえる。
「だってつば九郎、可愛いじゃないですか」
 企画書に書かれた球団情報のマスコットを指さして昏見はにこにこと笑っている。
「お前な……」
「それに、私たちらしくないですか?」
 昏見はとっておきの宝物を自慢するように手を広げる。
「もちろん私たちは武蔵國の観囃子の皆さんに歓心をを向けていただいて、応援していただいている。でも、闇夜衆の本質はもっと荒々しく、見た人の心を無理矢理掴んで引きづりこむ。そういうものでないかと思うんです。私たちのことを愛してくれる人の前で舞うだけじゃつまらないじゃないですか」
 それはまさしく最初の舞奏披が皋所縁と萬燈夜帳の対決であったように。
 不本意ながら昏見の言葉で闇夜衆の意思は固まった。

「午前中にリハさせてもらった時も思ったけど舞台とも全然勝手が違うんだよな」
「あまり違いを意識しすぎない方がいい。折角広くて360度の大舞台だ、今回は細かい部分を気にするよりダイナミックに動いた方がいい」
「ん。了解」
 手元の和傘もまた勝手が違う。「折角だから普段やらないものがいいですね」という昏見の提案で扇ではなく、和傘を舞に取り入れた。
「そういえばなんで傘」
「えー所縁くん全然調べてきてないんですね」
 そう言うと何も持っていなかったはずの昏見の手から小さな傘がポンと現れた。雨避けには小さすぎる傘。
「応援にこれを使うんですよ。ヒットが出たら広げて……あとで一緒に応援しましょうね」
 言われてみれば客席に派手な色の傘を持っている人が並んでいる。それで、と今更ながらに気づく。
「粋な演出じゃねえか。揺れる傘の大盤振る舞いと行こう」
 そうこうしているうちに出番を告げられる。できるだけ多くの歓心を向けられるように、皋は傘の柄をぎゅっと握った。

「きゃ所縁くん!見事なスリーバウンド右に逃げるシンカーボールでしたね」
「全然嬉しくないんだけど……」
 舞奏のパフォーマンスは上々だったと思う。おそらくは舞奏に興味がなかった野球ファンの目もある程度惹きつけられたのではないかと思う。
 問題はその後の始球式だった。皋の投げたボールは3回弾んで大きく右に逸れていった。それをちゃんと捕球するのだからプロ野球選手はすごい。
「お前と結構キャッチボールしたからせめて真っ直ぐに投げられるかと思ったんだけどな」
 緊張したせいか全然思った通りに投げられなかった。
「そんなものですよ。いいなあ。私もつば九郎に頭撫でられたかったなー」
 無念の顔をしていた皋の頭を隣を歩いていたつば九郎が撫でているのが面白かったのが、マウンドから降りて昏見と萬燈の元に戻ると、昏見は腹を抱えて笑っていた。
「折角座席を用意してもらったんですから、あとは楽しく応援しましょう。所縁くんの傘はどれがいいかな〜」
 言いながら昏見は次々と傘を出現させる。どれだけ仕込んでいたのかと呆れた顔をすると、昏見は様になったウインクを返した。
「結構楽しみにしてたんですよ。私」

 装束から着替えると試合は中盤に差し掛かっていた。日はすっかり落ちて、球場の照明が煌々と照りつけている。雨上がりの湿った風が頬を撫でた。もうすっかり空に雲はなく、満月が昇っていた。
 皋の隣で昏見と萬燈がビールを飲んでいた。所縁は野球のルールはよく知らないが、流石にホームランになれば点数が入ることはわかっている。
 ボールが宙を飛び、歓声が響く。広がった傘の波は眩しかった。