「パトロール行ってきます」
「おい」
カインはパトロールのためにフォルモーント・シティポリスの警官たちが詰めている部屋を出ようとした。それを遮ったのは上司のドスの聞いた声だ。
「なんですか。ボス」
「お前、パトロール終わったら直帰でいい」
「は?」
思わずまじまじと署長であるブラッドリーの顔を眺めた。いつもならなんだかんだと上から降ってきた仕事をそのまま下にいるカインに投げつけてくる彼が、こんな優しいことを言うだろうか。それとも部下への愛にとうとう目覚めたのか、はたまた悪いものでも食べたのか──。
「失礼なことを考えてる顔をするるな」
「えっ、なんでわかったんですか?」
「考えてたのかよ」
ブラッドリーはため息をひとつついた。
「さっきフォルモーント・ウェザーサービスから警報が出た。明朝までかなり天気が荒れるらしい」
「あー……つまり?」
「家近かっただろ。深夜になんかあった時の呼び出し要員だ。ちゃんと通信端末の電源入れとけ」
要するに帰宅していいが、いつでも出勤できるように準備しておけということだ。
「俺、明日日勤なんですけど……」
「だから?」
ボスがいつもと変わらない顔なのを見てとり、カインは大人しく敬礼をひとつ返した。
エアバイクを発進させ、決められた巡回コースを走る。街中のホロディスプレイには気象情報が流れていた。
『今夜から明朝にかけて低気圧の影響で強い雨風が予想されます。本日は早めのご帰宅を……』
まだ、気にならない程度の霧雨だがすでに雨は降り始めている。風も強い。
「何もなければいいけど……」
パトロールを半分ほど終えたところで通信機がアラートを通知した。
『A-16地区で通報あり。至急現場に急行してください』
合成音声はそう告げるとカインの手元のディスプレイにマップを表示した。
「了解。現場に向かう」
音声で承諾するとエアバイクのスピードを上げた。。A-16地区といえば、フォルモーントシティにただひとつある空港のすぐ近くだ。浮島にある空港とフォルモーントシティを繋ぐ連絡橋周辺。交通事故だろうかと考えながらマップを頼りに指示された場所に向かう。
そこは小さな公園になっていた。カインも何度か空港を利用したことはあったが、こんな場所があるとは知らなかった。
飛行機を見るにはちょうど良さそうな開けた場所には花壇とベンチ、それに桜の木が植えてある。手前のホログラムのプレートには「フォルモーントシティへようこそ」という文字が並んでいた。
強い風が吹いた。ちょうど満開の桜から花びらがこぼれ落ち、あたりを舞う。
「やあ、久しぶり」
桜の木の下でオーエンはひらひらと手を振った。
「それで、通報は?」
「フォルモーント・シティポリス通報センターのサーバーに割り込ませてもらった」
オーエンの左目はカインを見て、右目を二度ウインクするように瞬きした。通信終了(コネクション・クローズ)。後始末の合図だ。
「ログも消去したから大丈夫」
「あのなあ……」
ハッキングは立派な犯罪である。とはいえ、それを立証することは難しいだろう。オーエンの言う通り、痕跡は全部綺麗に消してあるのだろう。はあーっとカインは深いため息をついて、それから気を取り直してオーエンに右手を差し出した。
「久しぶり。元気だったか?」
「元気」
オーエンはカインの右手を自身の右手で軽く叩いた。ハイタッチという挨拶を教えたのはカインだった。
「で、なんでここに?」
「嵐が来るからって一日早めた飛行機に乗ったんだけど、フォルモーントシティ行きの電車は止まってるし、バスも乗れそうにないし。それで迎えに来てもらおうと」
「……そういうことなら次回は普通に俺の端末に連絡してくれ」
通信端末でニュースをチェックする。間の悪いことに、空港とフォルモーントシティを繋ぐメトロが停電で運休になっていた。そのせいで空港から出ようとする人で混乱しているらしい。
「とりあえず乗ってくれ。どこに行く?」
「カインの家」
「そうか。俺の家か──ってなんで?」
「なんでって……泊まるところないし。迷惑?」
「迷惑……ってわけじゃないけど、次から人を呼ぶために片付けるから事前に言ってくれ」
「人って……人じゃないでしょう」
サイドカーに乗り込んだオーエンはカインに向かって言った。カインは少し迷ってから言い直した。
「友達を呼ぶために片付けるから事前に言ってくれ」
「ふふ。いいよ」
エア・バイクを発進させる。
「今夜は呼び出されたら夜中でも出勤しないといけないんだ」
「警察も大変だね」
「まあな」
風が強くなってきた。風に負けない大声で会話をする。
「ところで、なんで帰ってきたんだ?」
「CBSCの季節だから。ねえ、帰りに寄ってよ」
「いいけど。この天気だから閉まってないかな」
「大丈夫。まだ開いてるよ」
オーエンは瞬きしてから答えた。
オーエンの言う通り、CBSCのワゴンはぎりぎり開いていた。二つ買って彼に渡す。
「俺の分、残しておいてくれよ」
「どうしようかな」
カインの家までエアバイクでフォルモーントシティ中心部を通るハイウェイを飛ばす。天気が悪いのですでに街は暗く、ホログラムとネオンの光が雨に滲んで光っている。その背後には千年樹がつけた薄紅の花が舞っていた。
「せっかく綺麗に咲いてたのに、この嵐で全部散るだろうな」
毎年のことなのに、毎年名残惜しい気持ちになる。
「だから、今日来たんだ。予定を早めて」
「そうなのか?」
「うん。CBSCとこの花を見に」
それからオーエンは意地の悪い笑みを浮かべた。
「カインはついで」
「あっそう」
「怒った?」
「怒ってないよ。お前が見たいものを一緒に見る相手に選んでくれて光栄だと思ってるよ」
「何それ。僕、そこまで言ってないんだけど」
「けど、そういうことだろ? お前ならいくらでも裏技でタクシーだって捕まえられただろうし」
「……両方食べてやる」
オーエンは二つ分のアイスをペロリと舐めた。それから少し迷いつつ片方をカインの口元に差し出した。
「サンキュ」
カインは器用に冷たいアイスクリームを頬張る。
エアバイクは直にカインの自宅に着く。まずは風呂に入って、夕飯にして、それから──。
「たくさん話を聞かせてくれよ」
オーエンは目を細めてそれから「いいよ」と歌うように告げた。
結局呼び出しはなかった。ソファの上で体を伸ばしたカインは、ベッドを貸した友人の姿が見えないことに気づく。
代わりに、通信端末にメッセージが一通。
「さよなら。また今度」