クリスマスがはじまらない!

「カイン、オーエン、事件です!」

 フォルモーント探偵社のオフィスで社長は重々しく告げた。カインは居住まいを正して神妙な顔をした。オーエン自身は疑わしげな目線を社長に向ける。この会社でアルバイトを始めて半年足らずのカインと違って、オーエンはもう何年もこの社長と付き合いがある。こんな風に社長が大げさな顔をして告げるときは、大体ろくな仕事じゃない。
「巨大サンタクロースです」
「巨大……サンタクロース?」
 カインは神妙な顔を数秒で崩した。口を開けて、眉を寄せている。なかなかに間抜けな顔だった。
「ふざけてる?」
 オーエンが冷たい目で社長に尋ねると、彼女はぶんぶんと首を横に振った。
「本当なんですって! 駅前通りの商店街で巨大サンタクロースがたびたび目撃されているんです」
「駅前通り商店街っていうと坂の上にある方か?」
「そうですそうです。商店街の組合長さんと面識があって、こういうトラブルには詳しいだろうからって相談されたんですよ」

 フォルモーント探偵社は普通の探偵事務所ではない。未だ原理の解明されていない超常現象を専門にしたトラブルシューターだ。持ちこまれる相談は、幽霊を見たであるとか、家の中で不審な物音がするであるとか──いわゆる怪奇現象のようなものが多い。今回の巨大サンタクロースも想像される絵面こそ愉快だが、目の当たりにしたら立派な超常現象だ。

 オーエンは社長を睨むのを止めた。彼女は大げさに「ふう」とひとつ息をついてからこの依頼について話し始めた。
 フォルモーント探偵社の最寄り駅は二つあり、そのうちの一つはオフィス近くの坂を登り切ったところにある。下町情緒の漂う街並みで、駅前の商店街や公園はいつも賑やかだ。半年前に入社したばかり、かつ普段の出勤には別の駅を利用しているカインも何度か訪れたことがある。
「始まりは二週間前です」
 日本の商業界において、ハロウィンが終わったら次はクリスマスというのはもはや常識だ。駅前通り商店街でも、ハロウィンが終わるとクリスマスの準備が始まる。今年は商店街全体で、近くの公園に子供向けの遊び場とイルミネーションを設置することになっていた。
「イルミネーションといっても大規模なものではなくて、木にちょっと飾り付けをするくらいなんですけどね」
 社長はそう言って説明を続ける。駅前通り商店街が帰り道の社長は、イルミネーションも遊具もすでに目にしているらしい。
「問題は遊具なんです。毎年業者さんに頼んでサンタクロースのエア遊具を設置していて──あ、エア遊具って知ってます? ビニールを膨らませて……」
 社長は手を大きく広げる。
「空気を入れて膨らませるやつだろ? 子供が中に入って飛び跳ねて遊ぶ……」
「それですそれ!」
「え、知らないんだけど……」
 オーエンがそう言うと社長は彼に微笑みかけた。
「じゃあ今年一緒に見に行きましょう」
「別に興味ない。──で、それの何が問題なの?」
「そのエア遊具のサンタクロースが夜な夜な商店街を徘徊しているそうなんです」
 遊具は膨らませるとおよそ三メートルの高さになる。見た目はお腹が膨らんだ巨大サンタクロース。それが真夜中の商店街を闊歩している。
「見間違い……とかじゃないよな」
「商店街の人たちも最初は風船か何かを見間違えたんじゃないかって思ったらしいんです。ただ、目撃証言が十件を超えたあたりでこれはおかしいぞとなり……」
「その遊具って風に飛ばされたりするようなもの?」
 オーエンの質問に社長は首を振った。
「いいえ。重さは百キロほどあるそうですから風に飛ばされたとは考えられません。遊具には空気を入れるための送風装置がついていますが、夜中は当然止められています。だから、そもそも自然に空気が入った状態になること事態がおかしいんです」
 それならば自然に風で運ばれて、商店街を闊歩した後に、偶然元の場所に戻ってきたということもないだろう。確かに奇妙でこの探偵社向きの事件だ。
「それだけじゃないんです。クリスマス当日に子供たちへ配布する予定のお菓子が忽然と消えてしまったんです」
「お菓子?」
 オーエンが聞き返すと社長は頷く。
「小袋に分けた状態で、商店街の振興組合事務所に置いてあったらしいんです。──事務所はあのたこ焼き屋さんの上です」
 カインは「ああ」と声を上げて頷いた。社長の言うたこ焼き屋にカインも行ったことがあった。ちょうど商店街の真ん中あたりに位置している。
「お菓子自体は事務所の中に広げてあったそうです。ただ、昼間は誰かいるそうですし、夜は当然扉が施錠されています。にも関わらずお菓子は全て消えてしまいました」
 そこで社長は一息ついた。
「商店街では巨大サンタクロースが、サンタクロースの名を騙ろうとした大人たちを成敗しようとしているだとか、行きすぎたクリスマスの商業化への警告だとか、そんな説が出ているらしいです」
「サンタクロースはそんなに心が狭くないだろ」
 思わずというようにカインがぼやく。
「うーん、そうだといいんですけど……。とにかく、この巨大サンタクロースとお菓子消失事件の謎を解決して、無事クリスマスを迎えられるようにするのが今回の依頼です」
 やってくれますよね。社長は有無を言わせぬ顔をオーエンとカインに向けた。
「こういうのは僕よりも向いてるやつがいるだろ? ヒースクリフとシノとか」
「あいにく師走なので、みんな出払っちゃってるんです。ヒースクリフとシノも実家に帰っちゃいましたし」
「最悪」
 ちっ、とオーエンは舌打ちするとカインを上から下まで眺めて言った。
「僕の足、引っ張るなよ」
「なんだよ、その言い方」
 カインもむっとして言い返す。
「はいはい。仲良くやってください」
 社長は小学校の先生よろしく手をパンパンと二回叩いた。

「とりあえず商店街に話を聞きに行くか?」
 カインはそう尋ねてから、オーエンが向き合っていたノートパソコンを覗き込んだ。彼の顔がオーエンの肩越しに寄る。前から思っていたが、カインはいわゆるパーソナルスペースが狭いのか、すぐに体を寄せてくる。オーエンは逃げるように体を少し引いた。
「わざわざ二人で行動する必要もないだろ。そっちは任せる」
 パソコンから顔を上げずにオーエンは答えた。かつては人の口に上った噂話も、現代では口の前にインタネーットに流れてくる。すでにオーエンは巨大サンタクロースの噂についてパソコンで情報収集を始めていた。
「じゃあ別行動な」
 カインはハンガーにかけていたダウンジャケットを手に取った。
「組合長さんに話を聞きに行くなら私も行きますよ」
 社長がカインに同行を申し出る。彼女はオーエンにちらと視線をやるが、オーエンは何も言わなかった。
「ありがとう。じゃあ現地を調べに行くか」
 カインと社長はオフィスを出て行った。

§

 オーエンがカインと初めて会ったのは暑い夏の盛りだった。
 オーエンが久しぶりにオフィスに出社すると、見知らぬ顔をした青年が書類の整理をしていた。なぜか「精神統一」と書かれた赤いTシャツを着ている。
 驚くべきはその瞳だった。まるで、鏡を見ているようにオーエンのそれと同じ赤と黄色の双眸。向こうもそれに気づいたのか一瞬呆気に取られたような顔をしていた。

 社長を除いて探偵社の社員たちは皆不思議の力を持っている。不思議の力を持っている人間の中には外見にもそれとわかる特徴を持つ者もいると聞いていたが、まさかお揃いの瞳を持っているとは思っていなかった。
 同い年ということもあって、カインとは何かと縁があった。オーエンが推測するに、社長がわざわざカインとオーエンを関わらせようとしているようにも思える。カインにオーエンの自宅まで書類を運ばせたり、今回のようにペアを組ませてみたり。
「ほんとお節介」
 思わず口から不満が漏れた。

 社長の晶は代々不思議の力を持つ人々を保護する役目を受け継いできた真木家の人間だ。不思議の力を持つ人間は時代によって崇められることもれば迫害されることもある。真木家は彼らを守ると同時に、その力を借りることで発展してきた。今や日本有数の資産家である真木家は、このフォルモーント探偵社の他にもいくつかの利益にならない会社や事業を行なっていた。
 オーエンは真木家の運営する養護施設で育った。ほとんど通うことのなかった中学を卒業した年に探偵社に入社して以来、社長は何かとオーエンを気にかけている。
 家族も友達もいない。オーエン自身は何とも思っていないのに、社長は何かと世話を焼こうとする。カインのことだってそうだ。同い年であることと瞳の色以外には何の共通点もない。それなのに、こうして一緒に仕事をさせようとする。
 別にカインのことが嫌いなわけではない。仕事ぶりが誠実なのも、意外と事務仕事がまめなのも知っている。距離感の近さが鬱陶しいと思わないでもないが、嫌悪を感じることはない。むしろ、自然と彼が側にいることを許している自分に驚いてしまう。
 別に誰かといたいなんて思っていないのに。

 オーエンはSNSで見つけた巨大サンタクロースにまつわる噂をまとめると、クラウド上に保存する。社長から話を聞いた時に感じた通り、これは当たりだ。自然現象や人間が故意に起こした事件ではない。
 人々が気づかないだけで、この世界には原理の解き明かされていない不思議な事象は数多存在する。オーエンたちだってその一部だ。フォルモーント探偵社の目的は、不可思議な事件を密かに解決し、そうした力を帯びた者たちが穏やかに暮らせる日々を守ることにある。

 化け物。
 耳の奥で女の声がする。現実のものではなく、時折記憶の奥から蘇ってくる声だった。かつて、オーエンに対して向けられた言葉。
 化け物。
 たぶんそれは本当なのだ。
 街を練り歩く巨大サンタクロースも不思議の力を持つ人間も化け物には違いない。

§

 カインと社長は駅前通り商店街を歩いていた。
「あの坂さえなければいいんですけどねー。このあたりはアップダウンが激しくて」
 白い息を一度大きく吐いてから社長はぼやいた。
「確かに」
 答えたカインの息はさほど上がっていない。それを社長は指摘する。
「カインは平気そうですけど」
「日頃鍛えてるから。筋トレとランニングくらいだけど」
「陸上部だったんですっけ」
「ああ」
 そんな雑談をしながら商店街の振興組合の事務所に到着する。すでに話は通っているのか、社長が顔を見せると応対した人はすぐに二人を事務所の中に通してくれた。
「悪いね。年の瀬に」
「いえいえ」
 振興組合の組合長だという男性はまだ三十代半ばに見えた。カインは彼と握手を交わしてから、ちらりと社長を見た。彼女は目線でカインを促す。あくまでも調査を任されたのはカインとオーエンだ。居住まいをただすとカインは組合長に尋ねた。
「早速ですが、この事務所で起こったお菓子の消失事件についてお話を聞かせてください」
 組合長の口から語られた内容は、事前に社長が説明したものと異なるところはない。クリスマスに子供たちに配るためのお菓子を事前に発注しておき、何種類かのお菓子を一組にして袋に入れる作業を行ったのが一昨日のこと。作業は商店街の店を閉めた後の夜に行われ、解散したのは大体二十一時頃だった。
「もちろん戸締まりはちゃんと確認したさ。窓と扉と。この辺りは治安がいいけど、それでも盗難事件がないわけじゃない。警察にも口を酸っぱくして言われてるしね。確かに鍵はちゃんとかかってた」
「その鍵を持っていたのは組合長さんですか?」
「ああ。俺と副組合長の二人が鍵を持ってる」
 彼は顎に手を当てて唸った。
「通帳や印鑑がなくなったっていうなら警察に行くし、そりゃ鍵を持ってる俺か副組合長が怪しいってのもわかる。でも事務所の金庫は手つかずだった。盗まれたのはそのへんで売ってる駄菓子──金額だってたかが知れてる」
 組合長の言う通りだった。盗みが目的なら、もっと価値のあるものが事務所の中にはある。
「そこに来て巨大サンタクロースの噂だろ。巨大サンタクロースも歩いてるだけならいいんだけど、子供が遊ぶものだから……。万が一危険なことがないようにってお宅の社長さんに相談したってわけ」
 その言葉を肯定するように社長は頷いた。「歩いてるだけ」と言う大雑把な物言いにカインは思わず苦笑する。
「ありがとうございます。最後に一つだけ。サンタクロースのエア遊具は毎年この時期に設置してるんですか?」
「ああ。もう七、八年になるかな。毎年同じ業者からレンタルして公園に出してるよ。お菓子と違ってこっちはまあまあお金がかかるんだが、子供たちも喜ぶし商店街の集客にもなるからさ」
 カインはその情報をメモした。
「ありがとうございます。何かわかったらお知らせします」
「よろしく頼むよ」

 振興組合の事務所を出て、カインと社長はサンタクロースのエア遊具が設置されている公園に来た。
「休日以外は膨らませていないんだな」
 サンタクロースのエア遊具はぺしゃんこになり、さらにその上に青いビニールシートがかけられていた。
「送風機を動かさないといけないので、土日だけって言ってました」
 事件が解決しなければこの週末──つまりクリスマスイブとクリスマス当日はエア遊具の使用を中止することも検討されているらしい。
「みんな楽しみにしているだろうし原因を突き止めないとな……」
 ざっと確認したが、遊具自体におかしなところは見受けられない。あとはオーエンと合流して相談するかとカインは汚れた手を払った。
「そういえばカインはクリスマスに何か予定ってあります?」
「特にないけど……」
「毎年オフィスで忘年会も兼ねたクリスマスパーティをやってるんです。この事件が解決したらカインも是非」
「ありがとう。もちろん参加させてくれ」
 そう答えてからカインは社長に尋ねる。
「それってオーエンも来るのか?」
「オーエンですか? 毎年誘ってはいるんですけど、三年に一回くらいかな」
「なんだそれ」
 カインは思わず苦笑を漏らした。
「オフィスで用事があったりなんかすると、隅の方にいたりするんですけどね。そうじゃなければ無視ですよ無視。今年はカインもオーエンのこと誘ってくださいよ」
「うん……」
 カインの声は僅かに沈んでいた。
「でも、俺はオーエンに嫌われてるみたいだから……」

 カインにとってオーエンは先輩社員であると同時に同い年の同僚で、それから──自分以外で初めて出会った不思議の力を持つ人間だった。
 幼い頃から少しだけ人と違うことができた。食べ物を温かいままにしたり、飲み物を冷たいままにしたり。「明日天気になあれ」と放り投げた靴を「晴れ」の向きに落としたり。それくらいのささやかな力。
 それに気づいた両親は、カインに決して人前では使ってはいけないと言い聞かせた。幼い頃から繰り返し言いつけられたそれをカインは律儀に守ってきた。成長するにつれて、両親の言いつけがカインを守るためのものであったことにも気がついた。
 けれど、心のどこかにずっとわだかまりがある。自分が当たり前にできることが、異端であると言う恐怖。誰かの役に立つかも知れない力なのに、隠し続けることへの後ろめたさ。誰かに「すごいね」と称賛されたい気持ち。そういうものを全部押し込めて生きてきた。
 フォルモーント探偵社の噂を耳にしたのはそんな時だった。カインが大学で専攻している民俗学の教授が飲み会でぽろっと零したのだ。曰く、不思議な現象を専門にした探偵社があると。カインは教授が噂話を聞いたという他の大学の教授にまで話を聞きに行き、フォルモーント探偵社を調べ出した。そして縁あって今に至る。
 探偵社の調査員はオフィスに毎日出社しているわけではない。別の本業があったり、地方へ調査に出かけていたり、オーエンのように自宅で勤務したりしている。だから、カインがアルバイトを始めて三日目に偶然オフィスへやってきたオーエンは、彼が始めて出会った自分と同じ力を持つ人間だった。その時の感動と衝撃をカインは今でもはっきりと思い出せる。
 しかし、その時に興奮のあまり性急に距離を縮めようとしたのがよくなかったのかも知れない。オーエンはカインを見ると不機嫌そうな顔になるのだ。

「いや、そんなことはないですよ!」
 カインの言葉を社長はきっぱり否定した。
「でも、俺が近づくとなんか不機嫌そうだし。今回だって俺と組むの嫌そうで……」
「まあ、オーエンはああいう人なので、口と態度はめちゃくちゃ悪いですけどね」
 でも、と社長は続けた。
「彼は本当に嫌な人とは絶対に仕事でペアなんて組みませんし、書類の受け渡しだとしても自分の家の玄関先に上げたりしません。だから、私はカインのことがオーエンは嫌いじゃないんだなって思ってます」
「そうなのか……?」
「はい。だから、あんまり気にせず普通に話しかけてあげてください。面倒な人ですけど」
「面倒か」
「はい。もちろん嫌になっちゃったっていうなら私に言ってください」
 ちゃんと配慮しますよと社長は胸を拳で叩いた。
「ありがとう。今のところは大丈夫」
 社長がそう言うのなら、まだオーエンの側にいても大丈夫なのかもしれない。
「では、私は用事があるので、これで」
「ああ」
「では、よろしくお願いします」
 社長と分かれて、カインはオーエンのいるオフィスへと向かった。

§

「ただいま」
 カインがオフィスに戻ると、オーエンはオフィスを出た時と変わらずパソコンの前にいた。
「おか……えり」
 チョコレート菓子を頬張って、ちょっと喋りにくそうな声が返ってきた。菓子を飲み込んでから、彼はカインに尋ねる。
「それで、どうだった?」
「ほとんど社長の話していた通りだったよ」
 組合長の話と公園で調べたエア遊具についてオーエンに説明する。オーエンは話を聞き終えると「なるほどね」と呟いた。
「今回は多分当たり。お菓子を盗み出したのは巨大サンタクロースだ。正確には巨大サンタクロースの中に宿った何か」
 オーエンはパソコンを操作した。SNS上の投稿がまとめられている。そこには巨大サンタクロースの目撃情報だけではなく、不鮮明ながら写真も載っていた。
「人形の類は思念が宿りやすいんだ。サンタクロースってことはおそらくクリスマス以外は使われていない遊具だろ? 七、八年もこの街でだけ使われていたなら、この街の空気や思念が宿ってもおかしくない」
 人間の想いや感情には力がある。一つ一つは小さすぎて、カインたちのような特別な人間でもなければそれとわかるような現象を起こすことはできない。けれど、多くの人間の思念が集まることで、超常現象が引き起こされることは稀にある。
「どうする?」
「巨大サンタクロースの目撃情報は夜だ。まあ……張るしかないだろ」
 後半をオーエンは嫌そうな顔で言った。巨大サンタクロースが動いているところを押え、カインとオーエンの力を持って思念を散らす。
「それなら、夕飯買いに行くか?」
 今夜は長そうだし。オーエンはそれを聞いてふんと鼻を鳴らした。
「出前を取ろう。ピザと寿司、どっちがいい? 経費は会社につければいいよ」

§

 カインは公園でエア遊具を見張る気満々だったが、オーエンはそうでなかった。
「そうだったら僕はもうこの仕事から手を引いてる」
 オーエンはパソコンで主要なSNSの投稿を監視できるようにセッティングしていた。巨大サンタクロースの目撃情報が見つかったらすぐに現場に急行するためだ。おかげさまでカインたちは暖かい室内でお腹いっぱい出前の寿司を平らげた上に、緑茶を啜ることができた。オーエンはプリンまで食べている。
「出た?」
「まだだよ。その質問もう三度目なんだけど……」
 カインはそわそわした気持ちでオーエンの右隣の席の椅子に座ると、彼の見ているパソコンの画面を覗き込んだ。
「ちょっと……近い……」
 オーエンはそう言って顔を背ける。いつの間にかカインの左頬のすぐ横に、オーエンの顔があった。
「わ、悪い」
 カインはそう言って飛び退けると、椅子ごとオーエンの左側に回った。
「左目が悪いからつい寄っちまうんだよ」
「え……?」
 オーエンが首を傾げた。ぽかんとした仕草には邪気がなくて、いつもこうしていてくれたらいいのにとカインは場違いに思った。
「言ってなかったっけ。左目があんまり見えないんだ。だからつい寄って見るからこうなっちゃって」
 生まれたときから視力の弱かった左目は、小学校に上がる頃にはほとんど見えなくなっていた。代わりに、普通の人が見えないものが見えるときがある。両親がカインを心配するのは不思議の力だけではなく、この目のせいでもあっただろう。
「言ってくれればいいのに……」
「勝手にあんたには言った気になってたんだよ」
 昔からの友達みたいに。
 そう思うのは傲慢だろうか。カインは不思議の力だけではなく、目のことも周囲には言っていない。心配されたり気遣われるのがなんとなく億劫にも感じるし、見えないことは話せても見えるもののことはどうせ話せないのだ。だからこそ、不思議の力を隠さなくてもいいオーエンに対しては、勝手に話した気になっていた。
「左目で普通の人には見えないものが見えるって話は聞いたよ。初めて会った時に」
「あー言ったかも……」
 同じオッドアイであるからてっきりオーエンも自分と同じなのかと思っていたが、彼は特別不思議なものが見えるということはないらしかった。
 オーエンはノートパソコンをほんの少しカインの方に寄せた。
「オーエンはクリスマスの予定、何かあるのか?」
「ケーキ食べる」
「誰と?」
「誰とだっていいだろ」
「え、本当に誰?」
 カインが色めき立つとオーエンはむすっとした顔で答えた。
「……一人だよ」
「そっか。じゃあ一人で食べる分は一人で食べる分として、オフィスのクリスマスパーティー、オーエンも参加してくれよ」
「社長に言われた?」
「そう。でも俺もオーエンとパーティーしたいよ」
「きみはせっかくのクリスマスなのに予定ないの?」
 揶揄うようなオーエンにカインは憮然とした表情で答えた。
「その通りだよ。就職した友達は忙しいし、大学院に残ってる奴らも恋人や家族と過ごすっていうからさ」
「可哀想」
 言葉とは対照的にオーエンはなんだか嬉しそうだった。
「だからこの事件を解決したら、お祝いにパーっとやろうぜ。クリスマス」
「クリスマスなんて馬鹿馬鹿しい」
 オーエンは目を細めてパソコンの画面を見つめながらそう言った。
「オーエン……」
「それに、僕は悪い子だからさ、サンタクロースなんてお呼びじゃないんだよ」
 オーエンは皮肉っぽく笑った。そこには寂しさと彼らしい太々しさが同居していた。
「……お前が呼ばないんだ」
「そうだよ。こっちから願い下げ」
 悪戯っ子のようなオーエンの顔にカインも思わず笑みをこぼす。

 結局その夜に巨大サンタクロースは現れなかった。

§

 調査依頼を引き受けてから三日、カインとオーエンは昼夜逆転の生活を送っていた。巨大サンタクロースの目撃情報は深夜に限られている。だから二人とも昼は家に戻って休息をとり、夜になるとオフィスで張り込みをしていた。
 「人間が意識すると不思議な現象は起きづらくなる」というのはオーエンの言で、いざ調べ始めると起こらなくなるのはこうした超常現象にはよくあることらしい。
「クリスマスまでに何事もなければいいんだけどな」
 今日は十二月二十三日だ。あと一時間もすれば十二月二十四日。クリスマスイブである。
「サンタクロースのエア遊具は十二月二十五日の夕方に業者に返却される予定なんだろ?」
「ああ。そう聞いてる」
「それならどのみち今夜か明日か……」
 オーエンはそう呟いて、SNSの監視を再開した。昼間に眠っているはずとはいえ、顔には疲労の色が滲んでいる。体力のある方だと自負しているカインも流石に慣れない昼夜逆転生活は堪えた。寿司とピザと鰻の次に頼む出前も思いつかないし。
 どうせなら今夜のうちに解決してすっきりとした気持ちでクリスマスを迎えたい。なにしろカインにはちょっとした計画があるのだ。
「出た」
 オーエンが鋭く告げた。パソコン上のSNSの投稿を彼が示す。

『何あれ。宣伝かな』

 背後に映っているのはあのエア遊具だ。ぷかりと宙に浮かんでいるように見える。
「行こう!」
 カインはダウンジャケットを引っ掴んだ。オーエンもコートを羽織って、マフラーを巻きつけた。
「車出してるからパソコン持ってきて」
「了解」
 オーエンに言われてカインはノートパソコンの電源を抜くと小脇に抱えた。無人になるオフィスを施錠して外に出る。通りにはすでにオーエンが乗っている社用車が停まっていた。すぐ向かいの月極駐車場に停めているものだ。カインは助手席に乗るとシートベルトを締めた。
「投稿は?」
「三分前に一件。ただ場所がわからないな」
 安全を考えればSNSに詳細な現在地をアップしないに越したことはないのだが、こんな仕事をしていると、どうにか場所が特定できる情報を残してくれと思ってしまう。
「他のユーザーとのやり取りはない?」
「あ、ちょっと待って」
 投稿に対して他のユーザーからリプライがついている。友人同士らしく、巨大サンタクロースについてやり取りしている。
「学校の方……って言ってるけど」
「学校ね……」
 車は駅前通り商店街に向かって坂を登る。
「学校っていうと右に曲がった先にある高校が一番近いけど」
「そこだと思う。プロフィールには高三って書いてるから」
 右折した先はなだらかな下り坂になっていた。以前、この辺りはアップダウンが激しいと社長がぼやいていたとおりだ。下った先に大きな影が見える。
「いた!」
 オーエンが車を道路の脇に寄せて停めると、カインは助手席を飛び出した。
「待てって!」
 後ろからオーエンの声が追いかけてきた。
 目の前にサンタクロースがいる。思わずカインの足が止まった。遊具の大きさは約三メートルと聞いていたが、宙に浮いているせいでそれよりも大きく見えた。送風機がないにもかかわらず、胴体は膨らんでいる。
「ぼうっとするなよ」
 オーエンに腕を引っ張られた。
「悪い」
 始めはオーエンに引っ張られていたが、すぐにカインがオーエンを追い越して彼の手を引く。巨大サンタクロースの動く速度はそれほど速くなく、高校の手前にある橋の上で追いついた。
「おい」
 オーエンはサンタクロースに声をかけた。言葉が通じるものなのだろうかと思ったが、サンタクロースはオーエンの方を向いた。
「お菓子を返して公園に戻れ」
 有無を言わせぬ命令口調だ。無数の思念は力を持ち、こうして百キロを超える遊具を動かすまでになる。しかし、一つ一つの思念は弱く、強力ではっきりとした意志に流されやすい。だからあえて何をすべきかはっきりと指示をするのがこういったケースの対処法だった。もっともオーエンは普段からこんな物言いであるのだが。
「オマエハワルイコ?」
 その声は妙な聞こえ方をした。まるで直接頭の中に響いているような。オーエンも顔を顰めている。
「聞こえないのか? 公園に戻れ」
 その時だった。カインの目に金色の光が見えた。それは見えないはずの左目の視界に広がっている。
「オーエン!」
 握っていたオーエンの手を強く引っ張った。彼が足を縺れさせて、カインの方に倒れ込んでくる。カインはすんでのところでバランスをとって彼の体を受け止めた。
 オーエンがいたその場所にサンタクロースがいた。本来の遊具であれば子供たちがドームの中に入る入り口部分がぽっかり開いている。カインが引っ張らなければあそこに飲み込まれていたに違いない。
「なんなんだあれ……」
「負の思念に支配されてるんだ」
 頭の中にはまだ声が響いている。
「ワルイコ? ワルイコニハプレゼントアゲナイ?」
 カインの左目はまだ見えている。昼間の公園の情景だ。子供たちが遊んでいる。

『いい子にしてないとサンタクロース来ないわよ』
『やだー!』

 子供の泣き声だ。自分も子供の頃にこんなやり取りをした気がする。悪い子のところにはサンタクロースは来ない。その言葉をこのサンタクロースは聞いてきたのだ。生まれてきたばかりの魂で。
「良い子にしかプレゼントをくれないって心が狭くない?」
 オーエンの声は静かな夜の空気の中で鋭く響いた。
「良い子とか悪い子とかサンタクロースごときが決められると本当に思ってる? 別に四六時中行動を監視してるわけでもないのに、ちょっと傲慢がすぎるんじゃないの」
 彼の言葉は妙に生き生きとしていた。まるでこの幼いサンタクロースこれまで聴いてきた言葉を引っぺがすみたいに語りかける。
「ワルイコ、ダメ?」
「駄目じゃない」
 カインも声を張り上げた。
「子供なんて結局はみんな良い子だよ。それにたとえ悪い子がいたっていいじゃないか。オーエンの言う通り、悪い子だってずっと悪いやつじゃない。誰かにとっての……救いになるかもしれないだろ」
「イイノ? ミンナトアソンデイイ?」
「ああ」
 その瞬間だった。一気にサンタクロースが縮み始めた。空気が排出されていく。
「うわあ!」
 強い風に煽られて思わず目を閉じる。痛いほどの風が吹いた。
「カイン!」
 声が聞こえた方に首を向けて、薄く目を開ける。同じく風に煽られたオーエンがいた。側まで這うようにして近づく。橋の上にぽとぽとと何かが落ちている。お菓子の入った袋だ。
 一件落着だという確信があった。空高く巨大サンタクロースの抜け殻がふわりと浮かび上がって、公園の方向へと流されて行った。
「大丈夫か?」
 カインはオーエンに手を差し出した。オーエンはその手とカインを二度、交互に見てからその手を取った。
「後片付けをしないとだな」
 橋の上にはお菓子が落ちている。拾い集めなければなるまい。橋の上に落ちたそれを拾おうと身を屈めた、そのときだった。先ほどとは逆向きに風が強く吹く。バランスを崩してカインは橋の欄干にぶつかった。その拍子に、髪を後ろで括っていた髪留めが外れて川へと落下する。
「あっ」
 カインは慌てて手を伸ばす。髪留めには手が届いた。しかし──。
「馬鹿!」
 オーエンの声を聞きながら、カインは自分の体が宙に投げ出されたのを感じた。下は冷たい冬の川。思わず体を縮める。しかし、カインの体が川に投げ出されることはなかった。
「あれ?」
「『あれ?』じゃない!」
 カインの体は宙に浮いていた。そして必死の形相でこちらを睨んでいるオーエンの顔がある。
「おまえ重い」
「わ、悪い」
 答えるとカインの体がぐらりと半回転して頭が下になった。不可視の腕で足をつかまれた宙吊りの姿勢でオーエンの目の前まで連れてこられる。そして容赦なく地面へと落とされた。
「本当に最悪」
 オーエンは肩で息をした。
 人間相当の大きさのものを動かすのはかなり強い力だ。少なくともカインにはできないし、他の社員でも同じ芸当ができる者は少ないだろう。
 不思議の力は本来人間の持ち得ない力で、ささやかな願いを叶える程度の能力であることが普通だ。そうでなければ体の方が保たないと、長く探偵社に勤めているスノウとホワイトに聞いたことがあった。
「馬鹿じゃないの?」
「悪い。あと、ありがと……」
 その時、オーエンの様子がおかしいことに気づいた。彼はぜえぜえと息を吐きながらカインを睨みつけている。呼吸が苦しいからなのだろう、目がわずかに潤んでいた。彼の背中に伸ばしたカインの手はすげなく振り払われた。
「大丈夫か?」
「休めば……良くなる……」
 休むといっても十二月の屋外では体が冷える一方だ。元々白いオーエンの顔色は、血の気を失って青ざめている。
「ごめん」
 そう一言告げてオーエンの腕を自分の肩に回し、彼の体を引きずるようにして車まで戻った。先ほどと違って振り払われることはなかった。それがオーエンの具合が相当悪いことを示しているようで、カインは余計に焦る気持ちになる。助手席にオーエンの体を押し込め、運転席に回る。
「免許ある?」
「ある」
 じゃあお願い、とカインの手に社用車のキーが押しつけられた。たまに実家に帰った時にしか運転していないが、オフィスに戻るくらいならなんとかなるだろう。
「オフィス戻ったら社長に連絡して……。橋の上のお菓子の片付けとか公園に飛んで行ったサンタクロースとかはなんとかしてくれるはずだから」
「わかった」
「僕のことは言うなよ。力を使いすぎただけ……。少し休めば良くなる」
 わざわざ釘を刺されたくらいだから、カインが動揺していることには気づいているのだろう。
「俺のせいだよな……」
「自惚れるな。仕事を完遂するのに必要だから力を使っただけだ。おまえじゃなくても……必要ならこうした」
 多分それは本当だ。口では面倒だのなんだのと言いながらも仕事はきっちりと果たす。オーエンがそういうプライドを持っていることをカインは知っている。だからこそ、こんな風に足を引っ張ってしまったことが申し訳なかった。

 オフィスに着くと来客用のソファにオーエンを寝かせて、カインは社長に事の次第を報告した。オーエンのことを告げるかは迷ったが、とりあえず何も言わないでおく。社長からは、すぐに後片付けのために人を手配すると連絡が返ってきた。
 そうこうしているうちにオーエンの呼吸はだいぶ落ち着いていた。顔色も幾分かマシになっている。
「お茶、飲めるか?」
「砂糖とミルクたっぷり入れて」
「わかった」
 スティックシュガーを三本分とミルクを入れた紅茶を、オーエンは美味しそうに飲んだ。体を起こせるくらいには回復したらしい。
「それ、そんなに大事なものだったの?」
 オーエンの尋ねた「それ」が自分の髪留めであると気づくのに少し時間がかかった。
「大事というか……これから大事になるっていうか……」
「は?」
 こんな状況になるとは想定していなかったが、カインは意を決すると鞄の中に締まっていた〈それ〉を取り出した。
「オーエンにクリスマスプレゼントがあって……」
「僕に?」
 オーエンは珍しくきょとんとした素の表情で、カインの顔と彼が差し出した小さな包み紙を交互に見遣っている。
「開けてみてもらえるか?」
「うん」
 プレゼントの中身はピアスだった。「あっ」とオーエンは声を上げる。それから、あの時と同じ台詞を口にした。

「お揃いだね」

§

 初めてオーエンを前にしたとき、カインは言葉を失った。まるで鏡を覗き込んだかのように、自分のものと同じ色の瞳がそこにあった。光を集めたような黄色と鮮血のように眩い赤。カインが他の人と同じではないことを決定的にしたそれを、同じように持っている人がそこにいた。
 オーエンも驚いているようだった。けれど、カインよりも一瞬早く我に返ると、彼は笑みを作った。愉快なものを見るようでも、大事なものを慈しむようでもあった。そして、ちょっぴり太々しい自慢げなようでもある笑顔で彼は告げる。

「お揃いだね」

 その言葉でカインが生きていきた孤独の日々は確かに報われたのだ。

§

 ピアスはカインの髪留めと同じ形をしていた。
「オーエンが何をもらったら喜ぶかわかんなくて……。初めて会った時に『お揃い』って嬉しそうだったから……。それで焦って髪留めを取ろうとしたんだけど、あんなことしなくてよかったよな」
「嬉しそうだった?」
 オーエンは困惑の顔でカインの台詞を問い返した。
「嬉しくなかった?」
「いや……。うん、嬉しかったの……かも?」
 オーエンは口元を綻ばせた。
「ねえ、これつけてくれる?」
 彼はカインにピアスを握らせた。
「いいのか?」
「うん」
 オーエンの耳たぶに触れる。シンプルなシルバーのピアスを外して、自分が贈ったピアスを耳たぶに通す。傷つけないよう丁寧に。
 間近で見たオーエンの顔は、今までで一番穏やかで、こんな顔をしてずっと側にいてくれたらいいのにと思ってしまうほどだった。

§

 オーエンを最初に化け物と呼んだのは母だった。
 不思議の力が強かったオーエンは、赤ん坊の頃からその力を存分に発揮していた。泣き喚くたびに、部屋中が台風でも通ったかのようにめちゃくちゃになる。笑いながら宙を泳ぐ。そういう普通でない子供を前にして、耐えられなかったのだろう。
 施設に預けられたのは三歳の時だったが、その直前に母がオーエンに向けた言葉だけは覚えている。
 化け物。
 確かにオーエンは化け物だった。

 真木家の運営する養護施設では、オーエン以外にも不思議の力を持つ子供たちが保護されていた。だから、周りの大人たちがオーエンを化け物と呼ぶことはない。それでも、オーエンの力は特別に強く、内心で彼を恐れている人は大人にも子供にも多かった。それがわかっていたから、オーエンの方も人となるべく関わらないようにしてきた。
 どれだけ誤魔化してみても、結局のところ不思議の力を持つ彼は化け物なのだ。だから、一人でいい。
 それなのに、半年前に事務所に現れたカインは、何かとオーエンに近づいてきた。瞳の色こそ同じだが、その他は何もかもオーエンとは違う。彼は一人ぼっちの化け物なんかじゃなくて、誰かと一緒にいられる人間だ。それなのに──。
 カインはオーエンの言葉にいちいち反応して表情をころころ変える。昔からの友達みたいに寄ってきて、笑いかけてくる。そういうところ全部を払い除けたいのに、上手くできない。まるで、胸の奥をぎゅっと掴まれたみたいだ。

 カインの指先がピアスを通す位置を探るようにオーエンの耳たぶをなぞる。くすぐったくて思わず笑ってしまう。カインの指先はじんわりと温かく、耳たぶだけでなくその手が触れた頬も熱く感じられた。
「よし」
 片耳にピアスをつけ終えて、カインは誇らしげにオーエンの顔を見つめた。
「メリークリスマス」
 その言葉を口にするのは初めてだった。クリスマスなんて好きじゃなかった。でも、こんな素敵なプレゼントを貰ったら、きっとこれからは好きになってしまう。
「メリークリスマス! オーエン!」
 カインはくしゃりと笑う。

 不思議の力を持っていなければ彼と巡り合うことはきっとなかった。この瞳がなければ互いに触れ合うことはなかった。
 それなら、化け物だって構わない。

§

「メリークリスマス! アンド、一年間お疲れ様でした。乾杯!」
 社長の号令に合わせてオフィスの中にいる社員たちが飲み物を掲げた。
 十二月二十五日。クリスマス当日である。
「乾杯」
 カインの持っているビールの缶にオーエンはワイングラスをコツンと当てた。ワイングラスにはとびきり甘いデザートワインが入っている。
「二人ともずっと調査してたんでしょ? お疲れ様」
 そう労ったのはカインと同じく学生兼アルバイトをしているクロエ。
「師走ってよく言ったものだよね。忙しくて忙しくて」
「私もようやく冬休みに入ってほっとしてます」
 そんな風に言葉を交わしているのは近くの病院で医師をしているフィガロと小学校の教師をしているルチル。二人ともフォルモーント探偵社の協力者だ。
「こちらの声は聞こえていますか?」
「聞こえていますよ。アーサー」
 デスクの上のパソコンには現在ヨーロッパで調査に当たっているアーサーとオズの姿がある。

 あの夜、カインとオーエンが対峙したサンタクロースは無事公園に戻ったらしい。翌日はなんの変哲もない姿でビニールシートの下に折り畳まれていたそうだ。この週末は空気を入れられて、子供たちの遊び場となっている。
 菓子も社長が手配した人によって回収され、無事商店街の振興組合に届けられた。こちらも今頃無事に子供たちの手に渡っていることだろう。
 カインとオーエンは自宅に帰宅し、泥のように眠った。それから社長によってクリスマスパーティーの準備を命じられて、今日は朝から出社している。食べ物や飲み物はすでに社長が手配してくれていたから、机や椅子の片付け程度で済んだのは幸いだった。
 オーエンの耳には、カインから贈られたお揃いのピアスが付けられている。普段は髪に隠れて見えないが、オーエンの横に並ぶと見える。カインは思わずにやりと口元を緩めた。
「何? 変な顔して」
「変な顔ってなんだよ」
「にやーって笑ってて、気持ち悪い」
「うるさいな」
 カインとオーエンが言い合っていると、「クリスマスに喧嘩は禁止じゃぞ」と古株社員のスノウとホワイトが寄ってきた。
「喧嘩じゃないよ」
「それなら良い。ほら、我らが買ってきたケーキもあるぞ」
「やった」
 オーエンはテーブルに並べられたケーキに目をつける。そして、なんとそのうちの一つ──ホールケーキを丸ごと手に取った
「あ」
 彼は目にも止まらぬ早業でフォークを差すと黙々と食べ始めた。
「どう考えても一人分じゃないだろ……」
「いっふぁいあるはりゃいいでひょ」
「食べてから話してくれ」
 ホールケーキを半分平らげてからオーエンはにこりと笑った。
「僕は悪い子だからね」
「そうだったな」
 カインはやれやれと肩をすくめた。これを見逃す自分も結局のところ同じ穴の狢なのだ。

 良い子も、そうでない子も。メリークリスマス!