オーエンは腹を立てていた。
カインの方から夕食に誘ってきたくせに、三日前になって予定を変えてくれと言ってきた。なんでも城で行われる舞踏会に呼ばれたらしい。自分よりも主君であるアーサーの体面を優先したことに、オーエンは怒り心頭だった。
もう二度とあいつの誘いを受けてやるものか。
しかし、その時オーエンの頭にひとつの考えが閃いた。いっそ、その舞踏会に行ってみたらどうだろう。招待客に扮して、騎士然としたカインの面を拝んでやる。なんならちょっと揶揄ってやってもいい。
その発想はなかなか良いものに思えた。
そんなわけで、オーエンは美しい女の身に扮して城の門をくぐる。マーガレットだかマリーゴールドだか、そんな名前の貴族の娘をたぶらかして招待状を手に入れた。白に近い金髪を結い上げて、雪のように白いドレスを身に纏う。
「こんばんは。レディ」
城のダンスホールに入ると、オーエンに向かってにこやかな笑顔を向ける男が幾人かいた。オーエンはそのうちの一人が差し出した手を取ると上品に微笑んだ。
「こんばんは。私お城でのダンスパーティは初めてで目が回ってしまいそう」
男と一曲踊りながらダンスホールの中を窺う。大抵ホールの奥に行くほど高位の貴族や王族がいることが多い。アーサーの姿はすぐに見つけられた。人々が自然と列を為して彼に挨拶している。そこから視線を移すと──見つけた。
カインはホール奥の壁際にいた。彼の周りにも人の輪ができている。
曲の切れ間で男と別れると、カインの方へと静かに歩いていく。途中でかけられる声を笑顔でいなす。まったくもって鬱陶しい。
カインは周りの人々と言葉を交わしていた。しばらく窺っていたが、彼が踊ることはない。人の輪が切れたところで、オーエンはカインの方へと一歩近づいた。
「こんばんは」
蠱惑的に笑いかけると、カインは一瞬見惚れたように息を呑んだ。それから彼は右手をオーエンに差し出した。
「こんばんは。いい夜ですね」
よそゆきの物言いで、カインも微笑む。
「一曲踊りませんか」
その手を取ると、オーエンは内心舌を出した。
「ええ。喜んで」
魔法舎で酒を飲みながら踊るダンスとは違う優雅な所作。背中に回された手は普段オーエンに対するものより遠慮がちに触れる。カインの横顔を眺めていると、ふっと目が合った。普段前髪に隠された左目がシャンデリアの明かりできらりと光る。
一曲踊りきるとカインは優雅に礼をした。
「少し外に出ませんか」
オーエンはこくりと頷くと、誘われるままにテラスに出た。テラスの人影はまばらだった。そのまま庭の方へ連れ出される。生垣の影で、カインはそっと今は金色になっているオーエンの髪に手を伸ばす。
「……!?」
カインの顔が近づいたと思うと、そのまま口づけされた。驚きと衝撃で身をよじろうとしたが、彼の手がオーエンの体を強く抱いている。小さな唇を喰むように吸い上げられて、思わずオーエンは音にならない吐息を漏らした。
何をやっているんだとか、会ったばかりの女に手を出す奴がいるかとか、とにかくあらゆる感情が去来した。それが、怒りなのか羞恥なのかわからないままに彼の手をなんとか振り解く。
「おまえ……!」
「オーエン」
名前を呼ばれて体が固まった。恐る恐るカインの顔を見上げる。彼はちょっと気まずそうな顔をした。
「い……いつから気づいてた?」
「最初から。ほら……おまえのことは触れなくても見えるから……」
固まっていた体が今度はわなわなと震え出した。こんな馬鹿みたいな格好をして、にこにこと笑って。全部最初から気づいていたなんて──。
「なんで言わないんだよ!」
「あの場で言えないだろ! なんでいるのかもわからないし」
傍から見たらまるで痴話喧嘩だ。カインは声を顰め、オーエンの耳元で囁いた。
「来るっていうなら言ってくれればいいのに」
「別に僕はダンスをしにきたわけじゃない」
おまえの間抜けな面を拝みにきたかっただけ。それなのに、とんだ災難だ。
「まあいいよ。オーエン、踊ろう。できればいつもの姿で」
「騎士様の仕事はいいわけ?」
睨みつけるとカインは降参というように両手を上げた。
「もう十分役目は果たしたさ。おまえとの先約を返上したのは俺だって不本意だ」
そう言うとカインは襟元を緩めた。ここからはプライベートということらしい。
「一曲踊りませんか」
オーエンは憮然とした顔でその手を取った。金の髪の美女はもういない。
「僕と踊るなんて最悪だね」
月明かりが照らす庭の隅で、二人は踊る。我流のステップ、鼻歌の音楽。魔法使いのダンスは、王城の人々が見たら眉を顰めるものだろう。
それでも、二人の表情は輝いていた。