オーエンを待ちながら

 中央の国と北の国の国境にほど近い山間の村──そこを抜けてさらに山を登ったところにカインの屋敷があった。ここはかつ手アーサーより彼が賜った、元は王家の所領だ。昔は王族の避暑地として使われていたこともあったそうだが、<大いなる厄災>の影響でこのあたりの気候は以前よりも厳しく、カインに下賜された頃には荒れ果てた状態だった。
 それから手入れをして百年ほどカインはこの屋敷で暮らしている。中央の国にある魔法舎に滞在していることもあるし、時々はふらりと旧い仲間を訪ねて遠出をすることもある。それでも、彼が帰るのはこの家だった。もう故郷に家族はいない。
 冬ともなれば寒さの厳しい土地だが、魔法使いにとっては大して問題ではない。屋敷の一階には来客をもてなすための広いリビングがある。そこには大きな暖炉が設えてあって、夏以外は煌々と炎が燃えている。
 カインはソファに寛いで、本を読んでいた。近くの村の住人から、今年は獣害がひどいと相談されたので、役立ちそうな情報を探しているのだった。暖かな空気とパチパチと炎が弾ける音は眠気を誘う。大きな欠伸を一つしたところで、カランと鐘の音がした。それはこの屋敷に来客があったことを知らせる音だ。
 この屋敷を訪れるものは少ない。そして、その中のほとんどはちゃんと来訪の前に知らせを送ってくれる。なんの知らせもなくやってくる者をカインは一人しか知らない。
「<グラディアス・プロセーラ>」
 魔法を使って身支度を整える。以前寝起きのままで迎えたら散々揶揄われたので、それからはちゃんと身だしなみを整えて出迎えることにしている。
 玄関の扉を開けると予想通りの顔がそこにあった。
「やあ、騎士様。ご機嫌はいかが?」
 つい昨日会ったばかりのように彼は話す。会ったのはいつ以来だろう。少なくともここ一年ほどは顔を見ていなかった。
「俺は特に変わりない。久しぶり──オーエン」
 オーエンは白い外套を羽織っている。外は吹雪いているので、全身真っ白なオーエンは雪に紛れてしまいそうだった。リビングに案内すると帽子と外套を預かってハンガーにかける。
 紅茶を淹れて、チョコレートのたっぷり入ったケーキを切って出すとオーエンは笑った。
「粘土をこねくり回したみたいにねっとりしてて甘い」
 チョコレートケーキは彼にとって満足のいくものだったらしい。オーエンがカインの元を訪れるのは本当に気まぐれで、一週間置きに現れることもあれば年単位で姿を見せないこともある。一年以上居座ったかと思えば、お茶と菓子だけを口にして去っていくこともある。それでもカインは、オーエンのために菓子を用意することを忘れることはなかった。
「待ち疲れなかった?」
 オーエンはカインの反応を窺うように訊ねた。カインはふっと笑うと素直に答える。
「くたくたに疲れたよ」
 カインはオーエンが奪った片目を取り戻すために何度も追いかけた。オーエンを追い詰めようとしても返り討ちにされるか逃げられてしまう。何度か繰り返して、カインは作戦を変えることにした。かつて賢者から聞いた北風と太陽という逸話を思い出したのだ。
 追いかけるのではなく、オーエンの来訪を待つ。追いかけて来ないカインの元を、オーエンは予想通り訪れた。まだ、片目を奪い返せてはいない。
 待つのは苦手だった。じっと機を見ることが大事だと分かっていても、体が動いてしまうタイプだ。ましてや、約束をしたわけでもなく、来るかどうかもわからない相手を待ち続けることは焦ったかった。それでもカインはこの百年、この屋敷でオーエンを待っている。それはもはや意地のようなものだった。
 飽き飽きしたというカインの顔を見て、オーエンは愉快そうに笑った。オーエンは時を止めたようにいつ見ても変わらない。長く生きる魔法使いは大抵そうだ。

 翌日になってオーエンはここを去ると言う。
「それじゃあ、さようなら」
 オーエンはあっさりとした別れの挨拶を告げた。真っ白な外套は雪の中に溶けていく。
「ああ。またいつか」
 次の約束はないから、彼が再び顔を出すとは限らない。けれど、カインはいつかの未来を楽しみにしている。
「今度はなんの菓子がいいかな」
 カインは菓子のレシピ帳を開く。玄関のドアが開く時を、オーエンのそっけない挨拶を待ちながら。