酔いの戯れ

 ことの始まりはカインが賢者と連れ立ってシャイロックのバーを訪れたことだった。偶然廊下で行き合い、話しているうちに、明朝は予定もないからと魔法舎で彼が開いているバーを覗きに行くことになったのだ。
 扉を開けると見知った顔があった。ブラッドリーとオーエンだ。思わずカインと賢者は顔を見合わせた。しかし、シャイロックが「どうぞ」と椅子を勧めるので、回れ右をするのも気が咎めてそのまま座る。ブラッドリーとオーエンは向かって左端の座席かたひと席空けて並んで座っている。カインはオーエンの右側の席に、ひとつ空けて座る。賢者はカインの右隣に並んだ。
「シャイロックのおすすめをノンアルコールで」
「えっと……ビールを」
「承知しました」
 シャイロックは流れるような手つきでグラスを捌く。賢者の前に用意されたのはすみれ色のノンアルコールカクテル。カインの前にもグラスに注がれたビールが並べられた。
「ちょうど今面白い話をしていたんですよ」
「面白い話?」
 シャイロックはブラッドリーに目線をやる。
「信じられないような話をして、本当か嘘か当てるんだよ」
 答えたのはブラッドリーだった。
「もう少し早く来てればブラッドリーのほら話が聞けたのに」
 オーエンはグラスのカクテルに浮かべられた生クリームを舌で舐めとりながら笑った。酒のせいなのか、このバーの雰囲気によるものなのか、いつもより幾分表情が柔らかく感じられる。
「うるせえ。次はお前の番だろ。オーエン」
 オーエンは気乗りしない顔だったが、思い当たる話があったのか語り出した。

 北の国のとある村を訪れた時の話だよ。そこは人間が寄り集まって暮らす小さな村だった。北の国でマシな村といったら、中央の国や東の国、西の国にほど近いところにあるか、そうでなければ庇護者がいる村だ。
 その村は1人の魔法使いの縄張りだった。大した魔法使いではなかったけれど、人間からしたらいるといないでは大違いだ。
 その魔法使いが死んだという噂を聞いて、僕はその村に行った。なんでって? そりゃあ庇護者を失い右往左往する人間たちの様子なんてとってもいい見せ物じゃないか。ちょうど退屈してたんだ。
 その村を訪れると音楽が鳴っていた。祭りだ。どうしたことだろうと思って村に入ると歓迎された。北の国では旅人を歓迎する村は少ない。行商人ならともかく、食料や休息を求める旅人を受け入れる余裕なんてどこにもないからね。
 たくさんのお菓子を振る舞ってもらった。村の大人たちはみんなお酒を飲んでいた。子供たちもご馳走を食べて通りを駆けて遊んでいた。村長だという人に何があったのか尋ねると彼はこう答えたよ。
「これは遺言で、彼が残した遺産なのですよ」
 死んだ魔法使いは、自分の体が石になったら井戸に放り込んでくれという遺言を残していたのだそうだ。村長は言われた通りに彼の亡骸である石を井戸に放り込んだ。すると、井戸からは酒が湧き、彼の家は食料になった。街には音楽が流れ、光が灯った。
 信じられないようなとびきり奇妙な遺産。
「今宵が最後の夜なのです」
 魔法使いの残した祭りは三日三晩続く。明日からは庇護者のいない暮らしが始まる。それなのに刹那の祭りを彼らは目一杯楽しんでいた。

「それでどうなったんですか?」
 賢者の問いにオーエンは表情を変えずに答えた。
「祭りが終わり絶望した村の人たちは、刹那の幸福しかもたらさなかった魔法使いを恨むようになったよ。めでたしめでたし」
 そう告げてから、オーエンは手を広げた。
「さあ、ベットは?」
「信じられない」
 黙って話を聞いていたカインはそう答えた。
「その村の人たちは絶望なんてしてないだろう?」
 その答えを聞いてオーエンは目を眇めた。
「つまらない答え。騎士様はそんなに人間を信じている?」
「いや、わかんないよ。一時の夢が希望になるか絶望になるかなんて。俺は北の国を知らないし、そこで生きている人間の切実さもわからない。わかるなんて言えない」
 酒が回ってカインは少し饒舌になる。
「でも、それが真実ならお前はもっと楽しそうに語るだろ」
 カインはなんでもないように告げる。推測よりも、目の前に存在するもので判断したほうがいい。
 その答えを聞いたオーエンはグラスの酒を飲み干して、席を立った。生クリームの載った甘そうなカクテルだったのに、オーエンは苦いコーヒーを呷ったような顔をしていた。
「大正解!」