真実に試される

 カインが雑踏の中でオーエンを見つけるのは容易いことだった。
 魔法舎のある王都はこの国の中でも特に人の往来が多い。にもかかわらず、カインの目に映るのは無人の街並みだけだった。その中で、オーエンの白い姿だけがカインにははっきりと見える。カインは惹かれるようにオーエンの姿を追う。声をかけるつもりだった。外出の目的だった買い物も終わったところだったので、躊躇いはない。
 オーエンは誰かと話しているように見えた。隣に誰かいるのだろうかと目を凝らしたが、当然ながらカインにはそこにいるかもしれない人間もしくは魔法使いの姿は見えなかった。
 すれ違い、人と肩がぶつかる度に視界は賑やかになっていく。そして、オーエンが路地を入ったところでカインは一瞬彼の姿を見失った。ほんの少し歩くスピードを速めてカインも路地に入る。ちょうどその時だった。
「ああああ!」
 尋常でない男の叫び声だ。カインの視界の中には真っ白なオーエンの姿、それに赤い血が見えた。
「何があった!?」
 それはオーエンに向けたものでもあったし、そこにいるはずの他の誰かに向けたものでもあった。
 オーエン以外に人の気配がする。カインは神経を研ぎ澄ませてあたりの状況を窺った。立っている人間が一人、動かず地面に伏せている人間が一人。赤い血が地面に流れているから、怪我をしているのかもしれない。
 目の前でオーエンがよろめいた。そしてカインの横を誰かが走り去った。
「待て!」
 カインの伸ばした腕はその誰かに触れることはない。追いかけたかったが、姿が見えない人物を追いかけるのは難しい。路地の入り口で足を止め、諦めてカインはオーエンのいる方を振り返った。
 オーエンの他にもう一人──先ほどまでは見えなかった人の姿がカインの視界に入った。地面に伏せたその人の状態と、触れずとも目に映っている事実の両方からカインは何が起こってしまったのかを知った。
 カインはオーエンに視線をやった。彼は静かに息絶えた死体を見下ろしている。
「何があった?」
 カインは短く尋ねた。オーエンは少し迷ってから、不機嫌そうに答えた。
「わからない」
 
 
 
 路地裏にカインとオーエン、それに物言わぬ死体がひとつ。
 カインは死体を検分する。年齢は三十歳くらいか。体格はカインと変わらないくらい。服装は特別高級でも粗末でもなく、このあたりを歩いていて特に違和感はない。ズボンのポケットに財布が入っていたが、所持金も通常持ち歩く程度の金額だ。
 ナイフが胸部に刺さっている。よく見れば刺し傷は一つでなく、上半身にいくつか傷がある。ナイフの突き刺さった傷が致命傷かと思ったが、出血が激しいのは首の付け根あたりについた傷だった。傷の形は妙に歪でカインの目を引く。ナイフで切ったり刺した傷であれば、もっと綺麗な傷跡になっているのが普通だろう。また、右腕にも切り裂いたような跡がある。ナイフを持った相手に抵抗した際に見られる形の傷だ。
「どこまで覚えてる?」
 カインは調べながらオーエンに問いかける。彼は魔道具のトランクの上に腰を下ろしていた。不機嫌を隠しもせずに膝の上で頬杖をついている。
「魔法舎の外でに出て、市場の方に向かうところまでは」
「その後はもう俺が目の前にいた?」
「そうだよ」
 厄災の傷による人格の交代だ。カインが見かけたオーエンは「小さいオーエン」だったのだ。
「僕が殺したのかもね」
 オーエンは皮肉っぽく言った。カインはその意見を即座に却下する。
「違う。ここから走って逃げたやつがいる」
 普通に考えれば容疑者の第一候補だ。カインの制止を振り切って犯行現場から逃げるなんて怪しすぎる。
「そいつは?」
「逃げた。……俺には姿が見えなかったからどこに行ったかはわからない」
 それを聞くとオーエンは深く息をついた。カインもため息をつきたい気持ちはわかる。犯行現場にいたオーエンも、そこから逃げる犯人を見ているはずのカインも、厄災の傷のせいでなんの情報も得られていない。
「それで、騎士様はどうするの?」
「どうする……?」
「死体がひとつ、北の魔法使いがひとり」
 オーエンは歌うように唱える。口調には面白がるような色があった。
「目撃者はきみ。でも、きみは何も見ていない。これを訴えるべきところに訴えたらどうなる?」
 カインもオーエンの言わんとしていることがわかった。通常変死体を発見したら管轄の騎士団に届けることになる。しかし、捜査が始まれば真っ先に疑われるのはオーエンだ。カインが証言したところで、姿を見ていない逃走者を信じてもらえるとも思えない。そうでなくても魔法使い同士庇いあってると言われてもおかしくない立場なのだ。
「……見つけるしかない」
「何を?」
「犯人を」
 オーエンは眉を顰めた。
「別に僕が疑われたところでどうもしない。人間にはどうにもできないだろ」
「そうかもしれない。でも、賢者の魔法使いに殺人の容疑がかけられるのは困る」
 それに──とカインは言葉を続けた。
「やってもいない殺人の罪を着せられるのは嫌だろ」
オーエンは何かを確かめるようにカインをじっと見ていたが、結局何も言わずに視線を逸らした。
「それでどうやって見つけるの?」
 カインは考えをまとめるために考えていること口にする。
「ここにいたのは小さいオーエンと被害者と犯人。こんな路地裏に偶然三人が集まってってことは考えにくいと思う」
 小さいオーエンは見知らぬ人に対しては警戒心が強い。カインも含め、魔法舎で知り合った面々に対しては人懐っこい振る舞いもするが、出会ったばかりの人間についてこんなところにいるとは思えなかった。
「それに俺がオーエンを見つけたとき、隣にいる誰かと話しているように見えた」
 残念ながらオーエンの姿しか見えていないので確かではない。ただ、目線の動かし方や口の動きからカインはそう判断した。
「あっちの僕が犯人かこの死体と知り合いだったってこと?」
「ああ」
 オーエンは顎に手を当ててしばらく考えてから口を開く。
「気がついた時にこのあたりにいたことは何度かあった。先月と今月で数度。外に出たときに記憶がなくなって、目を覚ましたらちょうどこの近くだった。偶然だと思っていたけど……」
 傷の人格がこの辺りで犯人か被害者の男に出会い、以後人格が交代したタイミングで彼らに会うために移動した可能性はあるということだ。
「一応聞くけどこの男に見覚えは?」
「ない」
 この辺りで知り合ったとすれば、住居か職場が近いのかもしれない。そう頭に入れてカインは死体を再度調べることにした。オーエンもその様子をカインの背後から窺っている。
「指に何かついてる」
 オーエンが死体の指先を示した。彼の言う通り、油っぽい汚れが指先を黒ずませている。何かの職人だろうかと思った時にひらめくものがあった。
 カインは死体の胸に刺さったナイフに躊躇いながら手をかけた。
「それ、抜いていいの?」
「通報するなら良くないけど、俺たちで犯人を捕まえるならしょうがない」
 貴重な手がかりだ。カインはひと思いにナイフを引き抜く。ナイフを抜くのには結構な力が必要だった。凶器を残していったのは、犯人が咄嗟に抜くことができなかったからだろう。
 ナイフは不思議な形状をしていた。刃幅が広く、刃渡りはそれほど長くない。体についた傷は歪な形状をしているのはそのせいだろう。剣や通常のナイフで切ったのであればこうはならない。
「何に使うナイフだと思う?」
 オーエンもぴんと来ないようで首を傾げた。
「表通りに刃物屋があるから聞いてみよう。ここから絞ることができるかもしれない」
 カインはハンカチで刃物を包んだ。この死体をどうしようかと考えているとオーエンが呪文を唱えた。
「《クーレ・メミニ》」
 オーエンの魔力が路地に広がるのを感じた。
「ちょっとした目眩し。人間ならこの路地にはしばらく近寄らない」
「ありがとう。犯人を見つけて戻ってこよう」
「ねえ、このまま死体を隠せばいい話じゃない?」
 オーエンはなんでもないように言った。
 確かに死体さえ隠してしまえば、オーエンが疑われることはない。
「だめだ。この人の家族や友人に遺体を返してやらないといけないし、殺害犯は裁かれるべきだ」
「それって意味があること?」
 その言葉に揶揄いや皮肉の意図はなかった。純粋な疑問に対してカインは素直に答えた。
「俺はあると思ってるよ」
 
 
 
 刃物屋に持って行くと凶器のナイフが何物かはすぐにわかった。
「革包丁だね」
「革包丁?」
「革細工の職人が使うやつさ」
 カインは礼をして店を出た。軒先で待っていたオーエンにナイフの正体を告げる。
「このあたりで革細工屋ならそう多くない。全部回って確かめよう」
「もうすでに行方をくらませてるんじゃない」
「そうかもしれないけど、周りの人に話を訊くことはできるだろ」
 オーエンの疑惑を晴らすためなら犯人を捕まえるのが一番だが、そうでなくても相当に怪しい人物が失踪しているのなら説明は立つ。
 殺害現場に近いところから革細工の店や工房を訪れる。職人は同業者には詳しい。最初に訪れた工房で被害者の容貌を伝えると、話を聞いていた職人が「ああ」と声を上げた。
「エドモンドのことか?」
「エドモンド?」
「同業の工房主だよ。腕はいい男さ」
「腕は?」
 オーエンが言葉尻を捉えて問い返すと職人は唸るように声を絞り出した。
「あんまり同業者の悪口は言いたくないんだが……。昔気質の厳しい男でな。口が悪い」
 当たりだ、とカインは思う。
「直近で誰かとトラブルになっていなかったか?」
「うーん……。俺たち職人の間じゃ口の悪さは承知だったから恨むも何も……。強いてあげるなら工房の弟子かな」
「弟子?」
「ああ。何人か弟子がいたんだが、みんなあいつの嫌味に耐えかねて辞めてったんだよ。でも一人だけあいつのところに残ってるのがいて」
「名前は知ってるか?」
「なんだったかな……。ロー……ローレンスだったか。灰色の髪をした陰気な感じの若い男だよ。何を考えてるのかよく分からなかったな」
「わかった。ありがとう」
 カインとオーエンは職人に訊いたエドモンドの工房へと向かう。工房は殺害現場の路地からもさほど遠くない。これなら路地に呼び出すのも苦労しないだろう。
「中にいると思うか?」
 カインとオーエンに姿を目撃されている以上、普通に考えればすぐに逃亡しているだろう。
「まともならとっくに街を出てる」
 オーエンはそう言った。その言葉にはローレンスがまともではないことを示唆するようだった。
「馬鹿みたいな僕と知り合いだったのはいいとしても、僕の前で殺すのは尋常じゃない」
 彼の言う通りだ。たとえ殺すだけの動機があったとして、なぜオーエンのいる場で殺したのか。
「中を調べよう」
 カインは警戒しつつ工房の扉に手をかけた。
「《グラディアス・プロセーラ》」
 扉には鍵がかかっていたが難なく解錠することができる。二人は工房の中に忍び込んだ。
 
 工房の中は暗く、皮革の臭いがした。
 カインは逃走した男に触れていないから、中にいたところで姿は見えない。それでも室内であれば気配を察知するのはそう難しくない。中に入った瞬間から、人の気配がすることにカインとオーエンは気づいていた。
「いた」
 オーエンは工房の奥に目を向けると、短く告げた。
「武器は?」
「ない。座り込んでる」
 オーエンは無造作に近づいた。カインも後に続く。
 そこにいた男はオーエンに気がつくと張り詰めた表情を緩めてオーエンに近づいた。
「オーエン。あいつを倒したよ……。きみが言った通りに」
 男がオーエンの腕にすがる。オーエンは険しい顔でその腕を払いのけようとした。
「知らない」
 オーエンの目線を頼りにカインは男に触れた。姿が見えるようになる。
「エドモンドを殺したのはあんたか?」
 カインが問いかけると男──ローレンスは怯えたように縮こまった。そこにいるのが逃走する自分を見ていた男だということに気づいたのだろう。声にならない悲鳴が喉の奥から漏れた。
「殺したかったわけじゃない! もう黙っているだけは嫌だって! ここじゃあいつには勝てないけど、外なら勝てるかもしれないって。革包丁を振り上げたら刺さったんだ……。そうしたらあいつ、悲鳴を上げて……もう怖くなかった……。俺は勝った!勝ったんだ!」
 ローレンスの様子は常軌を逸していた。地に足がついていないような言動だったが、とにかく、彼が犯人であるのは間違いない。
「僕はおまえに何を言ったの?」
 オーエンは苛立たしげに問いかけた。
「俺が磨いていた革包丁を見て、『それがあればやっつけられるのか』って訊いたじゃないか。あいつを『やっちゃえ』って」
 ローレンスは困惑していた。目の前にいるのは彼の知っているオーエンではない。オーエンは目を細めて全てを理解したという風に頷いた。
「ふうん。それでやっつけたんだ。きみは」
「どういうことなんだ?」
 カインの問いにオーエンは答えなかった。
 
 ローレンスを拘束すると、騎士団の詰め所に彼とエドモンドの死体を揃えて報告した。ローレンスは大人しく自白したようで、その後カインやオーエンに疑惑がかかることはなかった。
 数日経ってカインが昔の騎士団の仲間に聞いたところによれば、ローレンスは師匠のエドモンドからの暴言や暴力に晒されていたらしい。以前からの恨み耐えかねての犯行だろうと判断しているようだった。
 確かに直接の原因は怨恨かもしれない。けれど、今までは耐えていた彼が犯行に至ったひと押しがなんだったのかはわからないままだった。
 
 
 
 魔法舎の屋根の上には時々魔法使いがいる。
 オーエンを探していたカインは、魔法舎中を見て回って最後にここに辿り着いた。
「オーエン」
 カインが屋根に上ってきても、それからオーエンの横に腰を下ろしても、彼は何も言わなかった。夕暮れの沈みかけた太陽がオーエンを赤銅色に照らす。
「この間の事件、結局ローレンスが自分を虐げてきた師匠を恨んでの犯行だったということで処理されるらしい」
「そう」
 カインはどう言葉を継ぐか迷った。気にするなというのも、忘れてしまえというのも違う気がした。オーエンの方がひとりごとのように口を開いた。
「他人を呪ったり、憎悪していたりする人間を操るのはそう難しくない。人を殺すように働きかけるのは得意だよ。僕も、多分あっちの僕も」
 小さいオーエンにそうする理由はないじゃないか。そう問い返そうとしてカインははっとした。今ここにいるオーエンにどんな理由があるのかもカインは知らない。北の魔法使いオーエンならやってもおかしくないと、カインが勝手に思っているだけだ。
「どうして?」
 どうしてローレンスの背中を押したのか。聞くべきは厄災の傷によって生み出されたオーエンだが、彼にはしばらく会っていない。答えは推測するしかない。そして、目の前にいるオーエンはその答えに辿り着いているようだった。
 オーエンは小さく呪文を唱えると指先で目の前を払った。それだけで目の前にいる羽虫が一匹蒸発した。
「不都合なものを排除する力があるのに、どうして殺さないのかが不思議なんだ。きみのいう通り、もう一人の僕が子供の僕なら同じように不思議に思うはずだろう」
 北の国で生き抜くために選択肢は少ない。従うか、逃げるか、倒すか。目の前にいるものが自分より弱いのなら──もしくは対抗する手段があるのなら、倒してしまえばいい。
「僕らの流儀を教えてあげただけなんだ。きっと。ねえ、カイン。きみは忘れてしまっているのかもしれないけど──」
 赤い夕日を背にしてオーエンは鮮やかに笑った。
「僕は人間も魔法使いも、何人も殺してきたよ」
 罪の告白にしては明るく、とっておきの秘密の開示にしてはつまらなさそうだった。
 カインがオーエンの潔白を証明しようと告げた時に、彼がカインの様子を窺っていた理由が今更わかった。初めから潔白ではないのだ。オーエンはローレンスを殺してはいないけれど、罪がないわけではない。
「……俺だって、アーサー様や賢者様の敵なら殺せる」
 カインの言葉にオーエンは興味を惹かれた顔をした。
「だから、俺は過去のことを問わない。どんな行いも正当化される瞬間はあるんだ。俺よりも何百年、何千年と長く生きてきた魔法使いの過去を問うような資格が俺にはない」
 カインの生きてきた二十年やそこらの価値観を彼らに押し付けるつもりはない。なにしろ法も倫理も異なる時代と場所を生きてきた魔法使いだ。異世界から来た賢者がそうするように、カインも自分の知っている規範に当てはめてて解釈しようとはしなかた。
「でも、俺はアーサー様とこの国に忠誠を誓っていて、この街には大事な人もいる。だから、今この国で起きた事件を放ってはおけない。おまえが関わってるなら尚更」
 オーエンと魔法舎で暮らしてきて、彼が伝承で語られるような化物でもなければ、誰彼構わず人間を襲ったり子供を攫うような魔法使いでもないとカインは知っている。恐ろしい魔法使いであることは確かだが、彼の中には彼なりの規範と秩序がある。オーエンの生き方がは確かにこの国のルールと馴染まない。それでも、彼がそのルールの中で行動する限りは擁護してやりたかった
「それが犯人を捕まえようとした理由?」
「そうかも」
「馬鹿みたい」
「おまえと付き合う上での意地みたいなもんだよ」
 オーエンは意表を突かれたようにきょとんとした。その隙にカインはオーエンの体を引き寄せて、唇を重ねた。一瞬オーエンが抗議するようにカインの肩を押したが、上顎を舌でくすぐるように舐めると大人しくなった。
「……んっ」
 唇を離すと、オーエンは明らかに狼狽した様子で文句を言った。
「突然なんだよ」
「ここ数日俺を避けてただろ」
「それがなんだって……」
「傷つく」
 オーエンは変な顔をした。カインが焦れったい思いで自分を求めてきたことによる照れ臭さと、傷つくとまで言わせた優越感、ほんのひと匙申し訳ないなという気持ちを混ぜ込んだ顔だった。オーエンははーっと息をつくとカインの腕にもたれかかった。
「これからもきみが見つけた真実を教えて。それがどんなものでも目を瞑らないで」
 呪文を唱えるのと同じ響きでオーエンは告げた。カインの内側に刻み込むように。
「わかった」
 カインが頷くのを見て、オーエンは自嘲した。
「きっときみは今よりも傷つく」
 真実はナイフよりも鋭く、氷よりも透明だ。
 予言みたいに響く言葉にカインは眉を寄せて静かに笑った。