真白

 予言を授けられる魔法使いは稀だ。予言の力は単なる力の大小ではなく、一種の才能に近いものがある。当代最も有名な予言者はスノウとホワイトという双子の魔法使いで、彼らの予言は恐ろしく正確だった。

 真っ白な布が風に乗って宙を舞っていた。そして、それを追いかける人の姿。
「待って!」
 必死な顔が面白くて、オーエンは魔法を使ってその布をいっそう高く浮き上がらせた。
「なんで!?」
 布を掴もうとした手は宙を切る。
「面白いダンスだね。賢者様」
「オーエン!」
 宙をぴょこぴょこと跳ねる動きは風に煽られたわけではない。そのことに気づいた賢者は困惑の表情を浮かべていた。
「オーエン。シーツを返してください」
「賢者をやめて洗濯係になった?」
「これから雨が降るってスノウとホワイトが言うので、みんなで手分けして仕舞ってたんですよ」
 空は雲ひとつない快晴──洗濯日和とあって、何枚ものシーツやタオルが干されていた。雨が降るなんて信じられないが、スノウとホワイトの言うことはよく当たる。
「予言なんてろくなもんじゃない」
「確かにちょっと怖いですけど──あーもう返してください」
 賢者は律儀にぴょこぴょことジャンプしながらシーツを追いかけている。
「天気がわかるの便利じゃないですか!」
「そうかもね。ほら、早く魔法舎の中に入らないとずぶ濡れになっちゃうよ」
 オーエンが指を鳴らすとシーツが賢者の頭上の上に落ちた。
「わっ!」
 賢者が頭から被ったシーツからやっと顔を出した時、オーエンはもうそこにはいなかった。

 予言の力を持つ魔法使いは稀だが、全く出会えないというほどではない。オーエンはかつて予言の力を持つ魔法使いを倒して、その亡骸のマナ石を食べたことがある。随分昔の話でよく覚えてはいない。それが魔法使いだったのか、魔女だったのかも、もう定かではなかった。ただ、そこそこ力のある魔法使いだったことは覚えている。決着がつくまでにそれなりに時間がかかったし、マナ石を食らってお釣りが来たとはいえ、かなり消耗したような気がする。
 全ては曖昧になった出来事だが、つい最近妙に気になることを思い出した。それは、その魔法使いが最期に下した予言だ。
「ねえ、予言って当たるの?」
 窓の外は土砂降り。つい先程まで晴れていたのが嘘のようだった。
「なんじゃ? 予言が気になるのかの?」
「我らの予言が当たるのかは、窓の外を見ればわかるじゃろ?」
「お前たちの予言が当たることは知ってるよ」
 双子は両側から同じ顔で答える。オーエンは鬱陶しそうな顔を隠さない。
「昔予言できるっていう魔法使いを殺したことがあるんだけど」
「あーあの子ね。長生きだったし力のある魔法使いだったんだけど」
「もう三百年は前のことかの」
 よく覚えているものだとオーエンは思う。自分はとっくに顔も思い出せないというのに。
「さてはオーエン。あの子から予言を与えられたか」
「まあね」
 スノウは眉を顰めた。
「どれだけ正確に当たるかは魔法使いによるかの。けれど、少なくとも予言は外れないから予言なのじゃ」
 ホワイトは顔に興味を浮かべている。
「して、どんな予言だったのじゃ?」
「知ってるでしょ。大した魔法使いじゃなかった。ぼんやりしていてなんのことか全然わからない。どうせわかるんだったら明日の天気の方が良かったかもね」
「オーエン。予言には気をつけよ。どんな魔法使いであれ、下された予言は外れない。そればかりでなく、他の魔法使いが下した予言に関しては、我らですらもう一度見ることはできん」
 スノウの警告を聞いて、それならもうこの双子に用はないとオーエンは背を向けた。

 白い布を眼前にするのは本日二度目だった。
 食堂でミチルとリケがシーツの端と端を掴んで大きく広げている。回収したシーツを畳んでいるらしい。賢者もタオルを一枚ずつ丁寧に畳んでいた。そしてそれを眺めているカインがいる。
「騎士様クビになったの」
「う、うるさいな……」
「はい」
 カインの声と賢者の声が同時に響く。テーブルの上のぐちゃっと置かれたタオルがおそらく彼が畳もうとしたものだろう。
「こういう作業苦手なんだよ……。使うときは広げるんだから細かいことは別に良くないか?」
「駄目ですよ。カイン。カナリアさんの代わりにちゃんと綺麗に畳まないと。あ、オーエンがいるのですから一緒にシーツを畳んでください」
「は?」
 リケの言葉にオーエンは虚を突かれた。そうする間にシーツを渡される。
「端と端を持ってこうですよ」
 ミチルとリケが大きく腕を振る。
「いや、なあ……」
「ほら! 早く!」
 リケの勢いに気押されてオーエンとカインは目を見合わせるとシーツの端を端を掴んで大きく腕を振った。シーツは捻れて広がらない。
「捻れないようにちゃんと伸ばしましょう」
 ミチルがねじれた布を解いて端と端をカインとオーエンに握らせる。賢者がおかしそうに見つめている。リケは自分の方が得意なのが嬉しいのか胸を張っている。
「せーの!」
 リケの声に合わせてもう一度、大きく腕を振る。真っ白なシーツが翻った。

「お前にはなんにもない。なんの縁もない。運命もない。お前を殺すのも、お前の大事なものを奪うのも──全部お前の選択だ。良かったな、お前は自由だ」
 自分を呪うその言葉をオーエンはずっと忘れていた。予言と呼ぶにはあまりにもささやかなそれを思い出したのは、自分がカインを傷つけたことがきっかけだった。
 全ての因果は自分自身に帰する。自由と引き替えに。
 予言が必ず果たされるというのならば、結んだ縁は必ずいつか解れ失うのだろう。その痛みをオーエンはずっと知らなかったし、知らぬままだと思っていた。

 ぴんと張ったシーツの端と端を合わせる。
「うん……畳めば畳むほど汚くなりますね」
 リケとミチルの数倍の時間をかけて丁寧に畳んだはずのシーツはどうにも綺麗に辺が揃わない。カインとオーエンは苦々しく顔を見合わせた。
「今後に期待ということで」
 賢者は笑っている。はい、と差し出されたシーツに「まだあるのか」とカインは声を上げた。
「こうなったら完璧に畳んでやろうぜ」
「お前とやるくらいなら魔法を使った方がマシ」
「いや、魔法に頼りすぎるのも良くないってオズが言ってたぜ」
 せーの、と声が上がる。いつの間にかギャラリーが増えている。フィガロがにやにやとこちらを見つめている。「いつか殺してやる」と呟いてオーエンは睨みつけた。キッチンにいたはずのネロも顔を出しているし、双子もいつの間にか賢者の横に座っている。
 やけくそのようにオーエンは大きく腕を振る。
 何も持っていないはずだった。オーエンとカインの間に特別な運命はない。気まぐれで繋いだ縁は瞳の形をしてそこにあるけれども、それは綻ばぬ絆でもなければ、特別の繋がりでもない。
 それでも、二人の手と手の間にあるシーツは真っ白で、名前もなく、頼りなく──けれど確かにそこにある繋がりだった。彼らは、そういうもので結ばれている。