よく晴れた日の朝、鳥の囀りと窓から差し込む陽の光でオーエンは目を覚ました。なんだか体が窮屈な心地がしてふと横を見ると、目の前に顔があった。よく見れば、カインの顔をしている。
「何これ」
驚いて体を起こす。二人で眠るのには狭いベッドの上で、オーエンはカインの顔から離れて足の方に腰掛けた。足が触れた床はひんやりと冷たく、思わず足を浮かせた。
眠りについた時は確かに一人だったはずだ。いつも通りの時間に眠くなったので、自室に戻ってベッドに潜り込んだ。そして今、目を覚ましたら何故かカインが隣で寝ている。
最初に疑ったのはオーエン自身の記憶だった。厄災のつけた傷のせいでオーエンの記憶は不確かに途切れ、その間に別の人格と入れ替わることがある。何日も自分でいられることもあれば、日に何度も記憶が途切れることもある。もしかしたら、眠っている間に自分ではない自分が何かしたのではないかと疑うことは自然なことだった。
とはいえ、自分の体や部屋を眺めても眠りにつく前と違うところは一つも見つけられなかった。ただ、すやすやと寝息を立てているカインだけが昨日とまるで違っていた。あんまり平和そうに眠りこけているものだから、オーエンはだんだん腹が立ってきて、カインの肩を乱暴に揺すった。動揺や不安に近しい感情をぐっと飲み込んでから呼びかけた。
「騎士様」
揺すられて、カインは目蓋を開き眩しそうにオーエンを見上げた。
「オーエン……?」
オーエンと同じように意外なものを見つけて驚いたのか、眠たげな眼はすぐにはっきりとオーエンの方を向いた。
「なんでお前が?」
「それはこっちの台詞なんだけど」
カインは部屋を見渡してここがオーエンの部屋だとわかると顔に一層の困惑を浮かべた。つまり、カインにもオーエンの部屋で眠っていたことについて覚えがないようだった。
カインが困惑を露わにするのに比例してオーエンは安堵の気持ちが強まった。奇妙な思いをしているのは自分だけでないのだ。 その時、ノックの音がした。オーエンがベッドから下りてドアを開けると双子と賢者がいた。
「おはよう、オーエン」
ホワイトの方がそう言った。
「それに、ハッピーバースデーじゃ」
スノウの方がそう言うとオーエンの部屋の奥の方に意味ありげな視線を向けた。
「プレゼントは受け取ったかの?」
ホワイトの言葉を聞いてオーエンは顔を顰めた。
「あれ、おまえたちの仕業?」
「ほっほっほ。良いプレゼントだったじゃろ」
「最悪なんだけど」
オーエンと双子の会話を聞きつけたのか、部屋の奥からカインが顔を出す。
「おはよう。双子先生に賢者様」
「おはようございます、カイン。あの……大丈夫でした?」
賢者の口調には申し訳ないという色があった。カインは一瞬きょとんとした顔をしてから合点がいったという風に頷いた。
「驚きはしたけど……。これってスノウ様とホワイト様の仕業なんだろ?」
「あのさ、寝ている間に勝手に移動させられたのに文句の一つも言えないわけ?」
オーエンがカインと賢者の会話に口を挟む。
「なんなら次は双子に寝込みを襲われるかもしれないよ」
「物騒なことを申すでないオーエン」
「それに我らちゃんとカインの承諾を得てるもんねー」
スノウとホワイトが「ねー」と顔を見合わせる。オーエンはカインを睨みつけた。
「もしかして数日前に『オーエンの誕生日に一日付き合ってやってくれ』って言われたやつのことか?」
「そうそう。カインは『もちろん大丈夫だ!』と言っておったからの。日付が変わってからこっそりオーエンのベッドの中に運んでおいたのじゃ」
カインは納得している風で頷いていたが、オーエンは一層顔を険しくする。
「そうだ! お腹空いてません? 朝ご飯の用意ができたから呼びに来たんですよ」
賢者はわざとらしくぱんと手を叩くとオーエンの表情とは不釣り合いな明るい声を出した。
「……着替えたら行く」
オーエンは不機嫌そうなままそう言うと、カインのことを廊下に押し出した。扉が閉められる直前、カインがオーエンに向かって言う。
「誕生日おめでとうオーエン」
部屋に差し込む朝日のように眩しく、曇りのない笑顔だ。
オーエンはそれに答える代わりに扉をぴしゃりと閉めた。閉めてから深く息を吐いてから、眩しげに目を細めた。
「というわけで我らオーエンが喜ぶ誕生日プレゼントを三日三晩考えたわけじゃが」
「カインを贈り物にするのが一番嬉しかろうと思ってな」
スノウとホワイトはきゃっきゃと笑っている。
「そうなのか?」
「うるさい。僕がお前を一日好きにしていいなら黙ってて」
オーエンはカリッと焼かれたワッフルに生クリームをたっぷり載せた朝ごはんを口に運ぶ。オーエンが望むままに生クリームを盛っていったせいで、皿は真っ白になっている。カインの皿の上にあるワッフルにはカリカリに焼かれたベーコンと目玉焼きが載せられていた。甘いワッフルの上にベーコンや卵を載せて食べると、甘いのとしょっぱいのとが混ざり合ってこれはこれで美味しい。賢者のおすすめに従って大正解だった。
「それで、今日はどうするんだ?」
カインはオーエンに向かって尋ねた。
「どうするって?」
「今日はお前の誕生日だから一日付き合うよ。朝はちょっと想定外だったけど……、もとよりそのつもりだったしな」
カインはからっと笑う。
「なんでもしてくれるって?」
オーエンは意地の悪い聞き方をする。するとカインは笑みを崩さないまま告げた。
「ただし、誕生日らしいことな。誰かを不幸にするのはなしで」
「何それ」
オーエンはつまらなさそうにふいと顔を背けた。誕生日らしいことなんて知らない。誰も不幸にならないことなんて面白くもなんともない。
カインが賢者に目をやると、賢者は少し苦笑してオーエンに話しかけた。
「今日は天気もいいですし、街を散歩してきたらどうですか? ここだけの話なんですけどね、オーエンのためにとびきり大きくて甘いケーキを用意しようと思ってるんです。俺たちみんなでこれから用意するんですけど、主役には出来上がってから披露したいんです。だから、ちょっとだけカインと出かけてもらえませんか?」
「追い出すんだ僕のこと」
「そうです」
賢者はきっぱりと言った。オーエンに散々なじられてきたせいか、最近は賢者もオーエンに容赦がない。
「いい大人なんですから、空気を読んで……。というわけで、二人で楽しんできてくださいね!」
賢者の言葉に背中を押され、カインとオーエンは魔法舎を追い出された。
賢者の言うとおりよく晴れていた。空は高く、雲がうっすらと遠くにかかっている。風には秋の冷たさがあるが、陽の光には穏やかな暖かさがあった。
「散歩日和だな」
カインは大きく伸びをしながら言う。ここ最近は賢者の魔法使いとしての任務に忙しく、何もないぽっかり空いた一日は久しぶりだった。さて、どうしようかとカインは考える。魔法舎の周りをぶらぶらしてもいいし、街中を巡ってもいい。時間を潰すなら少し遠出だってしていいのだ。この天気なら箒に乗って、空を飛んでも気持ちいいだろう。
「今日は僕に付き合ってくれるんだよね」
「ああ。どこか行きたいところがあるならなんなりと」
王族に向ける騎士としての礼をするとオーエンは満更でもない顔でその手を取った。
「誕生日プレゼントを買いたいんだけど」
「お前の?」
「馬鹿なの? なんで僕が僕に買うんだよ」
「じゃあ誰に?」
オーエンは少し言い淀んでからぽつりと呟くように言った。
「クロエに……」
カインはそれを聞いて破顔した。
「それ、いい考えだ」
「そう?」
「もちろん! 何をあげるかもう決めてるのか?」
「何も。何をあげたら喜ぶのかもわかんないし……」
「そうだな……」
カインは真剣な顔で悩み始めた。
「クロエの好きなものがいいんじゃないか。洋服とかアクセサリーとか」
オーエンはまだしっくり来ないようで考え込んでいる。カインはオーエンの手を引いた。
「いろんなものを眺めているうちにこれだと思うものが見つかることもある。まずは市場の方に行ってみようぜ」
オーエンが頷いたので、そのまま二人は中央の国の王都の中でも最も賑やかな通りに向かう。魔法舎からはさして遠くない。天気が良いこともあってか、市場は多くの人で賑わっていた。
「とりあえず服とかアクセサリーを売ってる店を見ていくか」
カインにとって王都は騎士になってからずっと生活していた馴染みの街だ。いくつか思い浮かぶ店もある。
服屋から露天に並ぶ銀細工の店、靴屋や鞄屋も見て回る。しかし、オーエンの反応は芳しくない。そうこうするうちに、すでに服屋だけで四軒は回ったがプレゼントは決まらなかった。その全てに付き合っても、カインはさほど疲れていなかったが、オーエンは店を見て回るのに飽き始めたようだ。少し休憩しようとカインが提案して、二人は広場のベンチに腰を下ろした。いつの間にかオーエンの手には出店で買ったキャンディアップルが握られている
「なんか、退屈なものばっかり」
オーエンはキャンディアップルを頬張りながら、溜め息混じりにそう溢した。
「そうか? さっきの店のジャケットなんか良かったと思うけど」
「クロエはもっと鬱陶しいくらいにきらきらしてて、もっとへんてこ」
「へえ」
「騎士様、何笑ってるの……」
「クロエのことはよく見てるんだなあって」
オーエンは半眼でカインを睨みつけた。
「なんかむかつく……」
「別に悪いことじゃないだろ」
不機嫌な動物を宥めるようにカインは苦笑する。本当に悪いことではない。魔法舎での生活が続くにつれてクロエは物怖じせずにオーエンに声をかけにいくようになった。オーエンは邪険に追い払ったり、無言で姿を消したりすることも多いが、時々はクロエと言葉を交わしている。西の魔法使いたちは相手に構わず自分のペースに引き込むところがあるが、クロエもまたオーエンが素っ気ない返答をしようとも構わず、楽しげに話しかけていた。はたから見ているとなんだか微笑ましい二人なのだ。
「あれ」
「ん?」
オーエンが声を上げて指さす。その先を見ると広場の片隅で蚤の市が開かれている。王都では常設の市とは別に、こうして広場の一区画で店を出すことが認められている。多くは近隣の住人が不用品を出品する程度の店がほとんどだが、ときに別の街から来た行商人が商うこともあり、掘り出し物が見つかることも多い。
「蚤の市か。覗いていく?」
カインが問いかけるとオーエンは頷いた。
床に広げられた布や台の上に様々な物が置かれている。食器や古着、ガラクタのようなものも多い。その中でオーエンの足がぴたりと止まった店があった。
膝の高さの台の上に小皿が並べられ、その中に様々な色や材質のボタンが載っていた。
「いらっしゃい。どうぞ見ていって」
台の向こうに座った女性が声をかける。
布張りのくるみボタンや金細工の豊かな装飾の脚付きボタン、石を削った大きなボタンもあれば、白く艶めく小さなボタンもある。ほとんどのボタンは一つきりで同じものが二つ以上揃っているものは少なかった。
オーエンとカインは顔を見合わせると、互いに悪戯を思いついた風に小さく笑った。
「これにしよう」
オーエンはそう言うと、時間をかけてボタンを八つ選んだ。カインが口を出したうち、三つはオーエンに採用されて彼の手のひらに収まった。
そのどれも同じものはない、この店に一つきりのボタンだ。大きさも色も材質もバラバラのそれはとびきり賑やかでおかしかった。
別の店で買った包装紙に包むとオーエンはそれを大事にトランクに仕舞う。トランクの重さはボタン八つでは変わらない。けれど、誰かへの贈り物を持っているのは不思議な気持ちがした。
昼過ぎに魔法舎に戻ると、甘い匂いでいっぱいになっていた。カインとオーエンを出迎えたリケとミチルが二人を中庭へと引っ張っていく。
「お帰りなさい」
エプロンをした賢者が二人に声をかける。並べられたテーブルにはたくさんのお菓子とお茶が並んでいた。その中でも一際目立つのは、噴水の前にあるテーブルの上に置かれた巨大な真っ白のクリームで飾られたケーキだった。ケーキの向こう側が見えないほどに大きい。白いクリームの上に赤いベリーやチョコレートが飾られている。
「これはネロが作ったんですよ」
なぜかネロではなくリケが胸を張る。
「こんなでかいケーキ作るの初めてだったけど、クリームを泡立てるのは賢者さんも手伝ってくれたからな」
「へえ。最高」
オーエンはクリームを指で掬って舐めた。
「オーエン。行儀が悪いですよ。ちゃんと僕が切り分けてあげますから」
「へえ。だったら早くしてよ」
並べられた菓子類はネロが作ったものもあれば、王都で有名な菓子店のものもある。オーエンの誕生日なら菓子だろうと皆が王都中の店を回って買い集めてきたものだ。
「<エアニュー・ランブル>」
軽快な呪文が聞こえる。すると透き通った水が吹き出していた噴水の様子が変わった。茶色のとろとろとした液体が跳ねている。甘ったるい匂いが一層強くなった。
「俺からはキャラメルの噴水。どう? びっくりした!?」
ムルがからからと笑った。それならばと誰かが飴を空から降らせる。それに対抗するように花壇の花がチョコレートに変わった。しっちゃかめっちゃかの中庭でオーエンは両手いっぱいの菓子を頬張る。
「全部めちゃくちゃ。誕生日って馬鹿みたいな日」
オーエンは噴水のキャラメルをたっぷりかけたクッキーを齧ってカインに向かってそう言った。
「でも、楽しいだろ?」
「好きなだけ、甘いものが食べられるからね」
皿の上のケーキをとってまた一つ胃の中に収めた。
「オーエン!」
テーブルの向こうからクロエとラスティカが手を振っている。オーエンはカインに向かって人差し指立てて、唇の前に翳した。カインは委細承知と頷く。
「オーエン、誕生日おめでとう」
人懐っこくクロエが笑う。オーエンは秘密を漏らさぬようにひらりとカインの影に隠れた。
祭りはいつか終わる。甘ったるい空気の余韻はまだ魔法舎に満ちているが、噴水も花壇も何もかもがいつも通りになっていた。オーエンは噴水の縁に腰を下ろして、<大いなる厄災>の光を浴びている。雲がなく、眩しいくらいの月明かりがあたりを照らしていた。
つまらないな、とオーエンは地面を軽く蹴った。どうせおかしくなるのなら、ずっとおかしいままでいればいいのに。
「よう、隣いいか?」
カインはマグカップをオーエンに差し出してそう聞いた。オーエンはマグカップを受け取ることで肯定の意を示した。暖かいカップの中からミルクと蜂蜜の匂いがする。
「何? もうパーティーは終わったよ」
「パーティーがお開きになってもまだ誕生日が終わるまで時間があるだろ? 今日は一日付き合うって」
カインはオーエンの隣に腰を下ろした。
「変なの」
オーエンの口から今まで感じていた疑問が堰をきったように溢れ出した。
「誕生日ってそんなに特別? 自分の生まれた日なんて知らない。もう何百年も前のことだ。双子は今日が僕の誕生日だって言うけど僕は知らない」
オーエンの色違いの両の瞳がカインを刺す。
「ねえ、そんなに嬉しい? 騎士様は、自分の瞳を奪った僕が生まれてきて嬉しい? この先、おまえを、おまえが守りたいと思っているものをぐちゃぐちゃにするかもしれない僕が、ここにいて嬉しい?」
カインは真っ直ぐにオーエンの視線を受け止めて答えた。
「嬉しいよ」
「本当に? 一度も、僕が存在していなかったらと思わない?」
「思わない」
カインははっきりと告げる。
「これはもしもの話だ。もしも、賢者の魔法使いでなければ、俺がお前より強かったら、騎士としてこの国のためにお前のことを殺すのかもしれない。でも、俺はなかったことにはしない。いなければよかったとは言わない。お前を敵として排除する時は、俺が俺の意思で剣を掲げると決めた時だ」
オーエンは嘲るか詰るかどうするか迷った挙げ句、途方に暮れたようにただじっとカインを見た。それからぽつりと呆れ果てたように言葉を絞り出した。
「……馬鹿みたい」
「まあ、今は普通に仲間だしな。誕生日、祝うだろ」
「だからその感覚が全然わかんないんだって」
「でも、クロエに誕生日のプレゼント用意したじゃないか。そういう気持ちだよ。喜ばせてやりたいんだ。笑っていてほしい」
「僕は驚かせたかっただけだよ」
「それでもいいさ」
一年に一度くらい、何か特別なことをしてやりたいと思う気持ちが祝うということだ。
オーエンはマグカップの蜂蜜入りのホットミルクを飲むと鼻を啜った。夜風からはすっかり冬の匂いがする。
「騎士様」
「ん?」
オーエンはカインに向かって手を伸ばす。
「プレゼント」
「一日お前に付き合っただろ」
「それはスノウとホワイトのプレゼントじゃない」
「えー……。いや確かに……?そうか……」
カインは困った顔をする。それを見てオーエンは吹き出した。どこかさっぱりした表情になると、左手をカインの顔に伸ばす。親指がカインの右目の瞼に触れる。
「もう片方の目でももらってやろうか」
「それはやめてくれ」
カインの手がオーエンの左手首を掴んで顔から引き剥がそうとする。存外オーエンは簡単に諦めて、代わりに耳元で妖しく囁いた。
「……来年でいいよ。来年、今年の分と併せて二倍ちょうだい」
オーエンの言葉にカインは頷いた。
「わかった。約束はできないけど、とびきりいいものを用意するよ」
カインは胸を拳で叩く。
月明かりは二人分の影を作る。
日付が変わるまで影は寄って、離れて、波のように揺れていた。