「面白いもの買ってきちゃった」
そう言ってムルが持ってきたものは、賢者の目には缶詰に見えた。軽く一ダースある缶詰をムルは食堂のテーブルに積み上げている。
「これは缶詰……? 食べ物が中に入ってるんですか?」
「賢者様面白いこと言うね。これは夢が入ってるんだよ」
「夢……ですか?」
賢者は首を傾げた。同じくその場にいたカインとリケも首を傾げている。この世界一般に馴染みのあるものではないらしい。
「この缶の中には魔法が込められています。眠る時にこの缶を開けると、夢の中で物語を楽しむことができるという仕掛けなんですよ」
シャイロックがてっぺんの缶を手に取って説明した。
「へえー! 面白そうですね」
缶は空気が入っているように軽い。外側に貼り付けられているラベルはどれも違う絵が描かれていた。
「危なくないのか?」
「この缶の作り手は界隈で有名な夢職人ですから。早々無粋な真似はしないはずですが」
カインの問いにシャイロックが答えた。
「これは正規品だから大丈夫だよ。闇市に流れてるやつは保証できないけどね」
なんだか元いた世界の偽ブランド品みたいだなあと思いながら、賢者は缶を手に取った。文字は読めなくても、絵からなんとなくジャンルを察することができる。
「たくさんあるからみんなにも配ってくる」
ムルはともかくシャイロックが止めないところを見ると危ないものではなさそうだ。それどころか、食堂を通りかかったブラッドリーまでもが缶の前で足を止めて、「新作じゃねえか」とこちらに寄ってきた。本当に有名な商品らしい。
「ブラッドリーも知ってるんですか?」
「ああ。牢屋にぶち込まれてから全然見てなかったが──お、このシリーズ四作目から見てねえな」
「はは……なんかレンタルDVDみたい」
「なんですか? レンタルDVDというのは?」
リケに尋ねられて、賢者は答えに窮した。
「えっと……私のいた世界ではお芝居を記録して、本を開くみたいに何回でも見られるようにするDVDというものがあるんです。そのDVDを貸し出してくれるサービスのことをレンタルDVDって言うんですが……」
リケの頭には疑問符が未だ浮かんでいたので、「DVDは多分この缶詰に似てますよ」と賢者は補足した。
「賢者様もー。はい」
「ありがとうございます。これって夜寝るときに開ければいいんですか?」
「昼寝して見るほうがいいな。夢が終わると目が覚めるんだが、大体一時間ってところだし、面白い夢を見てそのまま二度寝って気分にはならねえだろ」
「なるほど」
ブラッドリーの言う通り、映画のようなものだとすればむしろ昼間に見たほうが良いのかもしれない。彼はお目当ての缶詰を見つけるとそれを持って部屋に戻っていった。
ムルに手渡された缶詰には猫の絵がラベルに描かれており、全体的にパステルトーンでほのぼのとした雰囲気が漂っている。リケも缶詰をひとつ手に取ると「ミチルを誘って二人で見ます」と食堂を出ていった。
「俺はどうしようかな」
「カインは初めてですか?」
「ああ。こんなものがあるなんて知らなかった」
「それなら一緒に見ませんか?」
取り合えずこのパッケージなら怖いことは起こらなさそうだし、初心者にはちょうど良さそうだった。
「賢者様がいいなら是非」
カインはにっと笑った。早速賢者の部屋で開けてみようかと話していたとき、はたと問題に気がついた。
「ところで全然眠くないんだよな」
「私もです……」
時刻は昼下がり。普段なら多少眠気も感じる時間帯だが、いざこの缶詰を前にするとわくわくとした高揚感が勝ってしまってちっとも眠くならない。
「こういうのって魔法でなんとかならないんですか?」
カインに尋ねると彼はバツの悪そうな顔でうーんと唸った。
「多分できる……と思うんだが、俺は使ったことがない」
「そうですか……」
缶を前に途方に暮れているとカインが「あ!」と声を上げた。
「オーエンに頼んでみよう」
「オーエンにですか?」
「あいつならこれくらい難なくできるだろうし」
「それはそうだと思いますけど……」
魔法舎に頼みごとをしやすい相手はいくらでもいるのに、カインはこの魔法舎の中でも一等頼み事をするのに向かない魔法使いの名前を上げた。
「オーエン、動物好きだから」
「ああ。たまに中庭で猫撫でてますよね」
「一緒にどうかなって」
カインはいつ頃からか屈託なくオーエンを食事や買い物に誘うようになっていた。オーエンの方は嫌な顔を見せつつ、三回に一回くらいは付き合ってやっている。それで仲良くなっているという風もなく、これまでと同じだけの距離感を保っているように見えるところが賢者には不思議だった。たいてい一緒に過ごすようになれば、仲良くなるか──ともすれば仲が悪くなるもので、同じだけの間隔を保った付き合いというのはなんだがとても稀有なものに思える。
今もこうしてカインはなんの衒いもなくオーエンの名前をあげた。特別に近しいほどでなく、カインが賢者や他の魔法使いたちにかけるのと同じ親しみのこもったトーンで。
カインが魔法舎の五階にあるオーエンの私室の扉を叩くと、少し経ってから不機嫌そうな顔のオーエンが出てきた。
「何?」
「オーエン、暇か? 暇だったらちょっと俺と賢者様とお前と寝たいんだけど」
「は? 真っ昼間にどういう性癖の話?」
「そうではなくて……!」
語弊が過ぎると賢者はカインの口を塞ぎながら事の次第を説明した。夢の詰まった缶詰をオーエンに手渡した。
「え、やだ。これ全然趣味じゃないし」
オーエンも夢の缶詰自体は知っているらしい。
「そう言わずにさ」
「お願いします」
賢者とカインが手を合わせると、最後にはオーエンが折れた。彼は渋々二人を部屋の中に招き入れる。
オーエンの部屋はいつもながらすっきりと片付いていた。ソファにカインと賢者が腰を下ろす。
「じゃあ、やるよ」
「頼む」
オーエンは缶をとんとんと叩いて、それから呪文を唱えた。
「<クーレ・メミニ>」
缶の蓋が開く。すると次第に眠気が襲ってくる。ふああ、と欠伸をして賢者は目を瞑った。
「というわけで我が軍は明日奇襲をかけますにゃ」
猫が目の前で話をしていた。よくよく見れば二足歩行な上に帯剣までしているので、とんだ化け猫である。
「そうか。しかし兵力が二倍……」
そしてカインが猫と話をしている。カインの頭には猫の耳、尻からは猫の尻尾が生えている。つまり彼が話している二足歩行の猫と同じスタイルだ。
「我らは精鋭揃い。奇襲であれば勝てるとの見込みがあります」
「状況的に引けないか。それなら後詰めの陣形を……」
オーエンはしらーっとした目で猫たちを眺めている。腹立たしい事にオーエンにも猫の耳と猫の尻尾があった。その上猫たちはオーエンやカインとほとんど同じ大きさをしている。周りの風景から察するにオーエンたちがこの猫たちと同じサイズになったようである。
「参考になりました。この戦いが終わった暁には是非我が国にお迎えしたい」
「ありがとう。考えておくよ」
黒猫が熱くカインを抱擁している。
「裏切り者だ。王子様がかわいそう」
「裏切ってない裏切ってない。そういうストーリーなんだろ。これ」
パッケージ通り猫が出てくる話ではあった。しかし、なんというかテイストは完全にハードボイルドな戦記物である。
「ところで賢者様は」
「多分賢者様は向こうにいるんじゃない? なんか途中に挟まってたシーンにそれっぽいのがいたよ」
カインとオーエンのいるねこねこ王国は小国ながら挙兵し、にゃんにゃん帝国に挑まんとしている。ここに至るまでも、仲間との絆、裏切り、ラブロマンス……と色々あったのだ。おそらく賢者がいるにゃんにゃん帝国サイドでも同じ密度の大スペクタクルが展開されているに違いない。
正直こんなに大巨編を見ることになるとは、カインもオーエンも全く思っていなかった。夢の中での彼らは完全な傍観者ではなく、物語の脇役として登場人物と言葉を交わすことができる。味方陣営がピンチになれば同じく追い詰められるようなスリルを感じるし、敵を打ち破れば心臓が高鳴った。臨場感や没入かんのある演出は、文句のつけようがないほどに面白い。
しかし、なぜ猫なのだろうか。
オーエンは頭上の耳をぴょこんと動かした。灰色のつやつやとした毛に元の髪と同じ透き通った白い毛が混ざっている。カインの方も縞模様の入った尻尾を揺らしながらあたりを窺っていた。
「これ、絶対スパイがいて、向こうに奇襲がバレてるパターンだと思うんだよね」
「おまえもそう思う?」
これまでの展開からすれば、もうひと捻りあってもおかしくはなさそうだが果たして──。オーエンがそんな風に思いを巡らしていると、カインがオーエンの手を掴んだ。
「あっちで話が進みそうだし行こうぜ」
「わざわざ行かなくても必要なシーンには勝手に移動するようになってるんだよ」
「歩いていったほうがなんか登場人物になってる感あるだろ」
手を引かれてオーエンは少し早歩きでついて行く。カインはわかりやすくこの物語を楽しんでいるらしい。夢だと割り切れるタイプはこの『遊び』に向いている。
夢の中では魔法が使えない。けれど、どれだけ歩いても疲れないし、お腹も空かない。自分たちは半分猫で半分人型だ。にゃーんと声をあげることもできるし、そのくせ喋ることもできる。どこからどう見たって化け猫に違いない。ここにいる猫たちだって。どれだけ彼らが魅力的でも夢から覚めれば消え去ってしまう。作り物の歪な存在だ。
それなのに、握ったカインの手のひらは不思議なくらいいつもと同じ温かさだった。その虚構と現実の間にいることが、オーエンはほんの少し居心地が悪い。
「こんなことってあるか……」
目の前でカインが泣いている。縞模様のしっぽもしゅんとうなだれているし、途中からオーエンの手を握ったままだ。「いい加減離せよ」と何度か訴えたにも関わらず聞き入れられなかった。
「騎士様って作り話で泣けるタイプなんだ……」
「だって、まさかカルツェ将軍が……幼き頃に約束した相手が帝国のマオマオ姫だったなんて……」
「最後の台詞……胸にきましたね」
途中で合流した賢者も白いふわふわとした猫の姿になって感極まっていた。
物語はいよいよクライマックス。幼馴染だと発覚した帝国側にいる姫と王国側の将軍の別れが描かれていた。物語の出来としては確かに良い。しかし、オーエンは二人に比べると冷静で、「なんで……猫でやろうと思った……?」という戸惑いが感動に勝っている。
それでも、昔試したことのある夢よりはずっと面白かった気がする。もうどんな物語だったかは忘れてしまったけれど、一人で開けた缶詰の中身は、もっと甘くて退屈だった。その時は幸福でも、終わってみれば虚しいだけ。夢とはそういうものだ。
そうこうしているうちに物語が終わる。幕が降りてエンドロールが始まった。いつの間にかもう賢者の姿はない。一足先に目覚めたのだろう。
「そろそろ終わりの時間だよ」
オーエンは猫のものになった指先をカインの頬に伸ばす。扱いづらい猫の手は頬に落ちた涙を拭うよりパンチをしているようにしか見えない。だから、猫がそうするようにぺろりと舌先で涙を舐めとった。しょっぱい味がする。
「うわあ! ……びっくりした」
「にゃーん」
オーエンがひとつ鳴き声をあげてみると、カインも喉を鳴らした。
「夢から覚めたら猫じゃないんだけどな」
「知ってる」
カインは少し躊躇う素振りを見せてからオーエンに告げた。
「最後まで付き合ってくれてありがとう。あんまり楽しくなさそうだったから、付き合わせて悪かったな」
「なんで?」
「そんな感じがしたからだけど──違うか?」
どう答えるべきかオーエンは迷った。楽しいか楽しくなかったかと聞かれたら楽しかったのだ。物語を楽しむと言うよりは、目の前にいるカインと賢者がころころと表情を変えるところを見て楽しんでいたのだが。
「面白かったよ。騎士様の泣き顔も賢者様が怯えてるところも」
この缶詰の夢が面白かったのは、誰かと見た夢だったからなのかもしれない。ひとりなら呆気なく終わってしまう幻想も、ふたりなら思い出になる。ここにいた彼らとは、現実でだってこの先遊び尽くせるのだ。
起きて時計を見たら一時間半しか過ぎていなかった。賢者は長い映画を見た気持ちでぐっと伸びをした。確かにこれを見て、夜中に目を覚めても困るなとブラッドリーの忠告に感謝する。端的に言ってめちゃくちゃ面白かった。
ふっと横を見るとソファの上でカインとオーエンはまだ眠っていた。まだ二人ともこの夢の余韻に浸っているのかもしれない。いつの間にか片手を繋いでいる。
賢者はそっとソファから立ち上がると微睡む二人を起こさないようにして、日が西に傾き始めたオーエンの私室を出た。