プロローグ

 あの事件のことを時折思い出す。
 よく晴れた雲一つない朝、夕立で湿った空気、夜明けの地平線。そういうものに再会した時、私は記憶の中に眠った事件のことを思い出し、ささくれを引っ張ったような痛みを覚える。

「ラスティカってば、また知らない人を鳥籠に閉じ込めちゃったの?」
「とても素敵な声で歌っていたから、僕の花嫁に違いないと思ってね」
「だから違うってば。ほら、出してあげよう?」
 賑やかなクロエとラスティカの声が聞こえる。この二人のやりとりは、不思議とうるさく感じない。華やかなお祭りがやってきたようで、わくわくして、起きなくっちゃと思えてくる。私はまだ重い瞼を指で擦った。いつの間にか談話室にあるソファの上で居眠りしていたらしい。
「どうしたんですか?」
「あ、賢者様。起こしちゃった?」
 クロエは慌てた様子で私の方を向いた。気にしなくていいよと首を振る。
「もしかしてまた……」
「そう!」
 ラスティカは鳥籠を開けて、中にいた青い鳥を指先に載せた。
「僕の花嫁……ではないみたいだ」
「ほらね」
 そうしてラスティカは窓を開け、小鳥を載せた指先を差し出す。鳥は大空へと羽ばたいていく。
「本当に鳥だったんですね」
 私は驚いて、飛び去る鳥を目で追った。ラスティカが鳥籠にしまい込む花嫁たちは、大抵鳥ではない。一番多いのは人間で、時々動物だったり物だったりする。
 魔法舎を去った鳥の姿はどんどん小さくなり、雲ひとつない空の青に溶けて消えてしまった。あの事件を思い出すのはこういう時だ。微睡の中で想起された記憶が次々と蘇った。
「賢者様、どうかした?」
「少し思い出したことがあって」
 顔が曇っているように見えたのだろうか。クロエが心配そうに私の手を取った。
「よろしければお伺いしても?」
 ラスティカの問いに頷く。そういえば彼らには話したことがなかった。ことの始まりは三ヶ月前、中央の国より依頼された特殊な依頼。
「長い話になるかもしれません。それでもいいですか?」
 話してすっきりするような物語ではない。聞いていて愉快な話でもない。
 俯いた私にラスティカは笑いかけた。それでも私が誰かに話したいと思っていることを受け入れるように。
「それではお茶の用意をしましょうか。─《アモレスト・ヴィエッセ》」
 ラスティカが呪文を唱えるとテーブルに茶器が並んだ。
 お湯が沸くまでの間に、私は私室に戻って気になったことを書き取っている本を─賢者の書を取りに行った。私はあの事件のことも詳しく書き連ねていた。語るのならば、正確にあの事件のことを伝えたい。
 談話室に戻ると、花の香りがした。
「お茶をどうぞ。賢者様。西の国で流行ってるっていうローズティーを入れたんだけど」
 クロエがティーセットを並べて微笑んだ。お茶をひと口飲んで、覚悟して本を開いた。最初に語るべきはそう─。

「あれはまるで、春の終わり夏の始まり、そんな風に思う日のことでした」