1章 孤島への招待

「賢者様をお連れしたよ」
 その朝、私はカインに呼ばれて魔法舎の談話室に向かっていた。談話室にはすでに先客がいる。アーサーとドラモンドさん、クックロビンさん。中央の国から賢者と賢者の魔法使いへ依頼があるとはカインから聞いていたが、クックロビンさんはともかくとして、ドラモンドさんまでいるのは珍しい。三人とも揃って難しい顔をしていた。
「おはようございます。賢者様」
 私を見てドラモンドさんは表情を緩めた。
「おはようございます。急な依頼ということですが、何かあったんですか?」
 急な依頼自体は珍しいことでない。しかし、ドラモンドさんは「ううむ……」と深く唸っていて、どうにも様子がおかしい。
「ドラモンド。まずは賢者様に話してみよう」
「そうですな」
 アーサーが促すと、ドラモンドさんは私に向き直った。
「今回我が国が賢者様と賢者の魔法使いに依頼したいことは〈大いなる厄災〉とは関係のないことなのです」
「と、言いますと……?」
 はて、と私は首を傾げた。魔法舎に持ち込まれる依頼は〈大いなる厄災〉が関係していると思われる異変が常だった。調べてみて、〈大いなる厄災〉が無関係だったケースも中にはあるが、こうもはっきり関係がないと言いながら持ち込まれる依頼はない。
「単刀直入に申しあげます。賢者様にはカースン家次期当主の選定に立ち会っていただきたいのです」
「カースン家……?」
 私の頭の中に疑問符が並んだのを見てとって、アーサーが説明する。
「東の国との国境に近い海辺の地域を代々治めている中央の国の貴族です。正確にはカースン伯爵家と」
「なぜそれを私たちに……?」
「今のカースン伯爵は魔法使いなのです」
「魔法使い!?」
 この場で驚いているのは自分だけだった。
「城では有名だよ。魔法使いの領主様って呼ばれてた」
 カインがそう教えてくれる。
「カースン伯爵は百年近く領地を治めております。領主としての手腕は確かで、貧しい港町だったカースン領はこの百年の間に他国との重要な貿易拠点に成長しました。しかし……良くも悪くも癖の強いお方で……」
 ドラモンドさんは歯切れが悪い。
「現カースン伯爵が長く領主の地位にあることを問題視する貴族や─王族も多いのです」
 アーサーが言葉を継いだ。
「アーサー殿下……」
 アーサーの言葉とドラモンドさんの表情で察せることがある。
「魔法使いの……人間よりも長く生きる領主様を面白く思ってない人がいるってことですよね? ヴィンセントさんとか……」
「同じ者が長い間権力を独占すること自体は良くないことだと私も思っています」
 長く領主の地位にあるというだけではなく、カースン伯爵が魔法使いであることそのものが面白くないという人もいるのだろう。それでもアーサーは曖昧に微笑み、私の疑問に肯定も否定もしなかった。
「領主の任を子供たちに相続させるようにと、カースン伯爵に対しては城からも何度か説得をしていました。彼の子供たちは人間なので」
 クックロビンさんが言葉を挟んだ。
「返答は?」
 カインの言葉にクックロビンさんは首を振る。
「今までは応じていません」
「今まで……ですか?」
 私の問いにドラモンドさんが頷いた。
「先日、爵位や領地を含めたカースン家の全てを子供達の誰かに引き渡すと。ようやくそんな返事が返ってきました」
 そこでようやくドラモンドさんが告げた依頼に話が繋がった。
「カースン伯爵は次代領主、つまりカースン家の全てを相続する次の当主を、相続権を持つ子供たちの中から投票によって決めることにしたと言ってきました。そして、その選定にはアーサー王子に是非立ち会ってほしいと」
「アーサーにですか?」
「全く不遜な男です。普通ならこんな無礼な申し出、受けるわけがありません。よりによって自分の所有する館にアーサー殿下を呼びつけるなど……」
 自分の家まで王子であるアーサーを呼びつけるのが普通でないことくらいは、この世界のことに疎い私でも理解できた。
「それでも……断らないんですね」
 私は確認の意味を込めて訊いた。無礼な申し出だとわかっていてなお、断るつもりがない。つまり、この申し出を飲んででも、カースン伯爵を領主の座から下ろしたいものがいるのだ。それも、アーサーが断れないような関係にある誰かが。
 ドラモンドさんは苦々しく頷く。対照的にアーサーはからっとした顔で言った。
「私は構わないよ、ドラモンド。カースン伯爵には晩餐会でお会いしたことがあるけれど、話し上手で面白い方だ。領地の港町から離れた小島にあるという屋敷も楽しそうだし」
「そういうわけでアーサー殿下をカースン伯爵所有の島までお連れしなきゃいけない。といっても一人で行かせるわけにもいかないからな」
 カインが人差し指を立てた。だから、私たちということか。
「カースン伯爵からは『賢者様と賢者の魔法使いの皆様も是非』と。私はこんなことで皆を煩わせたくはないのですが……」
 クックロビンさんが立派な便箋を広げて見せてくれた。私はまだこちらの文字を読みこなすことはできないけれど、示してくれた一文に見知った単語が並んでいることはわかった。
「王子の護衛となればそれなりの人数を付けるべきです。しかし、伯爵はあくまでアーサー殿下と賢者様、賢者の魔法使いたちしか招待するつもりはないようで……」
「ま、不用意なことをしてヘソを曲げられても困るもんな」
 カインの軽口にドラモンドさんは憮然とした顔をする。
「事情はわかりました」
 本来なら賢者の魔法使いの仕事ではない。けれど他ならぬ賢者の魔法使いであるアーサーに関する問題だ。魔法使いたちとお城にいる人たちとの間で板挟みになりながらも私たちを助けてくれる彼を、今回は助けてあげたい。確かにすっきりしない事情ではあるけれど、これで中央の国の人たちの問題が丸く収まるなら協力するにやぶさかではなかった。
「ちょうど任務も落ち着いているので、私はアーサーに同行します。他にも誰か協力してくれる人を探しましょう」
「ありがとうございます。賢者様」
 ドラモンドさんとクックロビンさんは、何度も私に頭を下げて、それからお城に戻って行った。
「同行してくれる魔法使いを探さないといけないですね」
「ああ。俺は護衛としてアーサー様と一緒に行くつもりだ。他に数人いればいいだろう」
「伯爵は話好きな方だから、私たちに会って話を聞きたいのかもしれない」
 カインとアーサーの言葉を聞いて、私は考えを巡らす。社交的といえば西の魔法使いか南の魔法使いが浮かぶが、西の魔法使いたちはちょうど任務に出ている。
「うーん、それなら誰が……」
 その時、談話室にブラッドリーが入ってきた。
「よう。シケた面してんじゃねえか」
 彼は私に向かってにやりと笑った。
「なんだ? さっき出てった丸いのとひょろちいのとなんか話してたんじゃねえのか?」
 ドラモンドさんとクックロビンさんのことだろう。
「ブラッドリー、もしかして聞いてました?」
 彼は肩をすくめて答えない。
「人手がいるんだろ? 俺が付き合ってやってもいいぜ」
 絶対になにか企んでいる。具体的にいえばカースン伯爵邸にあるお宝とかそういったもの。けれど、アーサーとカインは私の嫌な予感には気づかないようで、二人して一度顔を見合わせてから笑った。
「ブラッドリーが付いて来てくれるなら心強い」
「ああ」
 それからアーサーとカインが事情を説明すると彼は口笛を吹くように相槌を打った。
「孤島にある魔法使いの館か。いいねえ」
 なにがいいのだろう……と私が考えている間に、ブラッドリーは何かを思いついたという顔で言い残し、さっさと部屋を出て行ってしまった。
「ネロも興味あるんじゃねえかな。俺様が誘っておくよ」

 

 どうにも嫌な予感がして、夕食前にネロの元を訪れた。彼はいつものようにキッチンで夕食の仕込みをしている。この匂いはクリームシチューだろうか。
「賢者さんか。どうした?」
「あの、今日ブラッドリーと話しませんでしたか?」
 私の言葉にネロははーっと深いため息をついた。息を吐きすぎて、彼が萎んでしまうんじゃないかと思うくらいに大きなため息だった。
「来たよ。中央の貴族の屋敷に行くんだろ?」
「はい。ブラッドリーはネロも誘って同行してくれると言っていたんですが」
 ネロはとびきり渋い果物を齧ったような顔をした。
「俺は断るつもりだったよ。けど……」
 ネロは鍋をかき混ぜていた手を止める。
「ちょうどあいつが来たときにヒースとシノもいてさ」
 ネロの話によると、東の国の魔法使いたちが授業を終えて休憩していたところにブラッドリーが現れたらしい。カースン伯爵の館に賢者の魔法使いが招かれているという話を聞いて、シノが「オレとヒースも行く」と言い出したのだそうだ。
「カースン領って東の国にも近いんだろ? ヒースも名前は知ってたみたいだった。シノは『だったらおまえも名前を売ってくればいい』ってヒースを焚きつけようとしたわけ」
 その様子は想像に難くない。
「それで……どうなったんですか?」
「ヒースは『名前を売るだなんてとんでもない』って感じだったよ。ただ、ブラッドが同行者探しでアーサーとあんたが困ってるって話したら、ヒースも協力したいって言い出して……」
 その様子も想像できる。ヒースクリフは魔法舎で誰かが困っていたら、手を差し伸べてくれる。決して社交的なたちではないにも関わらず、アーサーや私が困っているのならと同行を申し出てくれたのだろう。
「で、あいつらが行くのに俺が行かないっていうのもさ……」
「なるほど」
「ブラッドがなに考えてるかは知らないけど、俺はあいつに協力するつもりはないから」
 ネロはきっぱりと言った。
「はい。できればブラッドリーが何かしようとしたら止めてもらえると嬉しいんですが……」
「東の魔法使いにできる範囲でなら……」
 私たちの声はだんだんか細くなっていった。私たち二人とも、すでにとてつもなく弱気になっていた。
「スノウとホワイトは? お目付役にはぴったりだろ?」
「スノウとホワイトは西の魔法使いたちと一緒に西の国に調査に行ってもらってるんです。もうしばらくかかりそうとついさっき連絡があったところで」
「こんな時にな……」
「ですね……」
 オズにお願いすることも考えたが、彼もまた社交に向くタイプではない。何よりアーサーが王子として動くときに、オズは彼に関わりたがらない。おそらくアーサーがオズの元にいたという過去を、他の者たちに意識させたくないと考えているのだろう。そのオズなりの配慮がわかるので、私も無理に誘おうとは思わなかった。
「まあ、ブラッドもなにも大暴れするようなつもりはなさそうだし─むしろこっそりお宝でも盗み出してくる気なんだろうなあいつ……」
「むしろ……なんですか?」
 後半はもごもごとしていて聞き取れなかった。ネロは慌てたように手を振った。
「なんでもないよ、賢者さん。行くって言ったからには俺もちゃんと付き合うからさ」
「ありがとうございます」

 

 アーサー、カイン、ヒースクリフ、シノ、それにブラッドリーとネロ。カースン伯爵の館に行く魔法使いも無事集まった。
 出発前夜、私は荷造りを終えるとうーんと体を伸ばした。春も終わりに近づいたこの頃だが、夜はやはり温かいものが恋しくなる。温かいお茶を取りにキッチンに向かい、階段を降りた。すると、目の前にオーエンの姿が現れた。
 彼は上品な形の笑みを作って私に話しかけてくる。
「賢者様。ああ、ちょうどよかった」
「なんですか?」
 オーエンは嘘や偽りを一切許さない様子で私を見た。
「明日みんなで出かけるんでしょう?」
「はい。カースン伯爵という方に招待されて、アーサーと一緒に伺うことに」
「それ、僕もついていっていい?」
 予想外の申し出に私は驚いた。
「オーエンが、ですか?」
「おかしい?」
 おかしい。日頃魔法舎に来る依頼にすらなかなか協力しない彼が、到底賢者の魔法使い向けの仕事ではないことに付き合おうとするなんて。これが魔物か何かの討伐依頼ならば、これほど頼もしいことはない。けれど、今回の依頼において彼に協力を求めることが良いことなのか私は一瞬迷った。そして、その迷った様子がそのまま回答に現れた。
「私はオーエンにも来てもらえると心強いです。ただ、先方には七名で向かうとお知らせしているのでびっくりさせてしまうかも……」
 明日カースン伯爵の館へと向かう。けれど、当主選定の投票はさらにその二日後に行われる。部屋は先方が用意してくれるそうなので、突然人数が増えたら何かと困らせてしまうかもしれない。遠回しに断ろうとしたことはオーエンにも伝わったらしい。
「別に手厚くもてなしてもらおうなんて言ってない。なんなら─他の奴らに僕がいることは知らせなくてもいいよ」
 オーエンは口元に意味深な笑みを浮かべていた。
「こっそり見守らせてもらうから」
 そう言い残してオーエンは唐突に姿を消した。私には彼が近くにいるのか、どこかに行ってしまったのかもわからない。お茶を入れようと思っていたことさえどうでもよくなってしまって、私は自室に戻った。

 

 翌朝、いよいよ出発の段になっても、私はオーエンが側にいるのかどうかわからなかった。もしかしたら、オーエンの言ったことはまるで出鱈目で、彼は今でも自室のベッドの上で眠っているのかもしれない。狐につままれたような心地で、昨夜の会話を結局私は誰にも話さなかった。
「行きましょうか」
 アーサーに声をかけられて、ようやく私の意識はこれから始まる任務に向いた。
「カースン領までは箒で空を飛んでいくんですよね」
「はい。よろしければ賢者様は私の箒に乗ってください」
「ありがとうございます。是非」
 魔法使いたちは海の方へと向かって飛ぶ。王都から北東の方角へ。連なって飛ぶ魔法使いたちは、遠く離れた地上からすずめの一群と同じように見えるだろうか。
 近くで見ている分にはそれぞれの箒は個性豊かな動きをしている。スピードをあげて先頭を走りながらも、後ろの様子を伺うことを忘れないシノ。力強く時々風に任せるように飛ぶブラッドリー。アーサーは私が乗っているからか、速度を一定にして、落ち着いて飛んでいる。しばらくの空の旅の後、カースン領が見えてきた。
「綺麗な街ですね」
 空から見下ろしても立派な港町だった。よく整備された街道が町に向かって伸びていて、港には大きな船が何隻も接岸していた。
「このあたりは元々寂れた漁村だったそうですが、今では主に東の国との交易拠点になっています」
「すごい方なんですね。伯爵は」
「ええ。民からすれば領主の交代は嬉しい話ではないかもしれません。これだけ安定した領地経営が行われているのも伯爵の手腕あってこそですから」
 アーサーは難しい顔をしていた。
「アーサーはカースン家の人たちに会ったことは?」
「残念ながら伯爵にお会いしただけで、他の者たちのことはよく知らないのです」
「いい人たちだといいですね。次の領主に選ばれる方も、この町を大事にしてくれる人だったらいいなって思います」
 私の言葉にアーサーは微笑んだ。
「そうですね。賢者様のおっしゃる通りです」
 空を飛んでいる魔法使いたちは館のある島まで飛んでいくことができる。けれども、この街に迎えの船を用意してくれると言われていたので、私たちは港町に降り立った。約束の時間まで、まだ少しある。
「ヒース、でかい船だ!」
 シノの声は少し上ずっていて、興奮している様子が見てとれた。私も船を見上げて驚いた。こんなに大きな船を、この世界に来てから見たことがない。船は港に係留されていて、船内から荷物が運び出されているところだった。
「最新式の帆船だな」
 カインも同じように船を見上げている。
「栄光の街にもたくさん船がありましたけど、こちらの方がずっと大きいですね」
「栄光の街は河川の街だからな。ここまで大きい船は入らない」
「ああ、なるほど」
 港のあたりをゆったりと歩いていく。港近くにも何軒か食品や衣類を売る店があった。
「いらっしゃい。今朝入ってきたばかりの香辛料だよ」
 ネロが足を止める。「へえ」と小さく彼が感嘆したのがわかって、私も店を覗き込む。
「このあたりじゃ見ない品だな」
「お兄さんお目が高い。どうだい? 安くしておくよ?」
 ネロの目付けが良かったからか、店主は嬉しそうに笑っている。
「この後ちょいと野暮用でね。帰りにまた寄るよ」
 ネロは私に目配せした。
「良かったんですか?」
「帰りに寄るよ。しかし、街に活気もあるしそれでいて治安も良さそうだ」
 ネロは街を見回してそう言った。
「そうでもないみたいだぜ」
 先を歩いていたブラッドリーが私たちの会話に入ってきた。彼は建物の壁に貼られたポスターを示す。
「これは?」
「女の子が行方不明になっているって書いてる」
「ま、本当に治安の悪い街ならこんなポスターいくつ貼っても足りねえがな」
 この世界の文字がまだよく読めない私にネロが教えてくれた。ポスターには少女の似顔絵と詳細な情報が書かれている。ブラッドリーの言う通り、この手のポスターは治安がいい街にしか貼っていない。治安が悪い街では貼ってあったとして、破られてその辺りに落ちているか、落書きをされていることも多い。しかし、このポスターは綺麗なまま、街の住人の視線を集めている。
「早く見つかるといいですね」
「ああ。本当に」
 私の言葉にネロは頷いた。

 

「これがカースン伯爵の船ですね」
 船はすぐにわかった。立派な旗が掲げられていたからだ。桟橋には燕尾服を着た男性が立っている。彼はアーサーを目に留めると深々と礼をした。
「アーサー殿下。ご足労をお掛けし、申し訳ございませんでした。この度はカースン家当主選定の儀にお越しいただき誠にありがとうございます。私はカースン家の執事です。本日は殿下と賢者様、賢者の魔法使いの皆様を、島までお連れする任を主人より仰せ使っております」
 彼は私たちを船に招き入れた。
「こりゃすごいな」
 ブラッドリーは船を眺めて口笛を吹いた。
「そうか? オレはさっきのでかい船の方がかっこいいと思うぜ」
「見てくれに騙されんじゃねえ。この船は魔法科学で動いてる」
「へええ……!」
 船室は品の良い青を基調とした内装で整えられていた。私たち七人とカースン家の執事が乗り込んでもまだ少し座席に余裕がある。
「だから風向きが悪くてもよく進むんだ」
 ヒースクリフの言う通り、周りの船と比べても船足は速かった。風向きまでは気にしていなかったが、他の船が帆を調節している間にこの船は海面を滑るように進む。
「主人は新しいものを好んでおりまして、この船も西の国から買い受けたものになります」
 ヒースクリフとシノが話していると、執事が説明してくれた。想像がつかないほどの金額に違いない。
「俺はちょっと外で風に当たってくるよ」
「オレも。ヒースも来いよ」
 ネロを追いかけるようにしてシノとヒースクリフもデッキの方に向かった。天気が良いから潮風を浴びるのは気持ち良いだろう。けれど、私は目の前にいるカースン家の執事と話をすることにした。カースン家の人たちに会う前に情報集めておいて困ることはないだろう。
「伯爵はずっと島に住んでいるんですか?」
「港町にも別邸がありまして、半々といったところでしょうか」
 彼は私の問いに答えてくれる。
「そうなんですね。カースン家の人たちは一緒に住んでいるんですか?」
「ほとんどの皆様は島の外で暮らしておられますよ。現在島の屋敷で暮らしていらっしゃるのは、マリーお嬢様だけですね。ハロルド坊っちゃまも去年全寮制の学校に入学されて、島に戻るのは長期休みくらいです」
 つまり親元で暮らす年齢─成人していない子供は二人ということだ。何人兄弟なのかはわからないが、彼の口ぶりからするに成人した兄弟も何人かいるらしい。
「カースン家の家督相続権を持つのは七人の子どもたちと聞いています」
 アーサーは私に向かって告げ、それから確認するように執事を伺った。彼は黙って頷く。
「すでに島に着いているのだろうか?」
「いえ、皆様を島にお連れした後、もう一度この船は港に戻ります。まだ到着なさっていない方がいらっしゃいますので」
「それは大変ですね」
 私の言葉に執事は首を振った。
「この船であれば島までそう時間はかかりません。─もうすでに窓から島が見えます」
 彼が手で示した方向の窓を覗く。岩の塊のような島の姿が見える。
「島に名前はあるんですか?」
「正式な名前はありません。館が立つまでは何もない無人島でしたので。街では家名を取ってカースン島であるとか、魔法使いの島であるとか……そんなふうに呼ばれていますね」

 

 船は島の桟橋に船縁を寄せた。降り立ってみれば遠くから見た印象よりはずっと広い島だ。私の隣でブラッドリーがぐっと伸びをしている。
「皆様こちらへ」
 案内されて桟橋から屋敷に向かう。地面は岩や砂が多く、全体的にごつごつとしている。けれど、館に続くであろう道は平らに均され、整備されていた。ながらかな上り坂を進んでいくと洋館の姿が見えてくる。
「これはまた大層な……」
 ネロの言葉に私も頷いた。孤島に似つかわしくない重厚な館が私たちを出迎えた。館は両翼が緩くカーブした形の建物だ。窓の位置からして三階建てだろうか。殺風景な島だったけれど、屋敷の正面には庭園があった。草の一本も生えないような岩島なので、おそらく外から土も花も何もかもを持ち込んだのだろう。
 向かって右手には六角形のガラス張りの建物が、左手には二階建ての小さな建物があった。小さいと言っても正面の館と比べて小さいだけで、この世界のごく普通の民家よりはずっと大きい。
「ようこそおいでくださいました」
 館の前で私たちを出迎えたのはグレーのダブルスーツを着こなした紳士然とした男性だった。歳は四十前後に見える。彼は私たちひとりひとりに鳶色の瞳で視線を送り、それからアーサーに向かって膝を折った。
「お久しぶりでございます。アーサー殿下。この度は辺鄙な島まで足を運んでいただき恐悦至極にございます」
「頭を上げてくれ。カースン伯爵」
 彼は姿勢を正した。ひとつひとつの動きが優雅で様になっている。
「伯爵、こちらが賢者様だ」
「真木晶と言います。どうぞよろしくお願いします。カースン伯爵」
「ようこそ賢者様。お会いできて光栄です。私がこの島の─そしてこの館の主、クリストフ・カースンと申します。どうぞクリストフとお呼びください。皆様がこの島を出る時にはカースン伯爵は私ではないのですから」
 茶目っ気のある言い回しだった。次のカースン家の当主─つまり次の伯爵位の継承者は明後日決まるのだ。
 賢者の魔法使いたちは一通り名乗る。伯爵─クリストフさんは如才なく彼らと挨拶を交わしていった。
「カイン・ナイトレイと申します」
「騎士団長か。以前から殿下のお側にいたな」
「はい。『元』騎士団長ですが」
「お招きありがとうございます。カースン伯爵。俺はヒースクリフ・ブランシェットと言います」
「ブランシェット……東の国のブランシェット家か?」
「はい」
「ヒースは次のブランシェット家の当主だ。よく覚えておけ」
「シノ!」
 シノの言葉にクリストフさんは笑った。
「それなら次の伯爵にもよく言い含んでおくといい」
「そうさせてもらう。オレはシノだ。ブランシェット家に仕えている」
「ネロだ」
 ネロは短く名乗り、クリストフさんと握手を交わしている。
「ブラッドリー」
 ブラッドリーも短く名乗った。彼を前にした時、クリストフさんは僅かに目をすがめ、それから同じように片手を差し出した。
「どうぞ、よろしく」
 私は何の気なしにふと今歩いてきた道の方を振り返る。当然そこに人はいないはずだった。しかし、人影が見えたような気がして私はじっと姿を探す。
(女の子……?)
 しかし、瞬きをしてからよくよく見ても、そこには誰もいない。
「立ち話もなんですから、中でお話ししましょう。私の家族も紹介しなければ」
 クリストフさんに視線を向けられると執事は「では」と腰を折って桟橋の方へと戻っていった。私たちは館の中へと通される。ちょうどその時だった。私の背中に何かが触れる感触がした。ハッとして振り返るとよく知った魔法使いの姿があった。
「……ん!」
 思わず名前が口をついたけれど声にはならなかった。魔法で無理やり唇を閉じられたせいだ。彼は再び姿を消した。
(オーエン……! やっぱりついてきてたんだ)
 何事もありませんように。私はそう祈って館へと足を踏み入れた。