クマVSシノの話。
なんかしっくりこないのでボツるかなあと思いつつ勿体無いので残しておく。
冬は子供には厳しい季節だった。
シャーウッドの森は豊かだ。水源があり、狩ることのできる小動物がいて、木々は実をつける。シノは森から糧を得る術をよく知っていた。
けれど、冬の森は優しくない。動物たちと同じように眠りにつけたらよかったが、生憎シノは魔法使いだった。火を熾して凍った水を溶かし、魔力で生み出したシュガーで命を繋ぐ。飢えに耐えかねたときは街に出て残飯を漁った。感覚のなくなった指先や足先を丸めて、ボロボロの毛布を被って眠る。
それでも、春が来ないことはなかった。
「さっむ」
ネロが思わず、という風に声を上げた。ズボンのポケットに両手を突っ込んで鼻を啜る。
東の魔法使いたちは、ある村を訪れていた。例年ならば雪が溶け、春になるはずの村は未だ雪と氷に閉ざされていた。それが〈大いなる厄災〉によるものではないかと魔法舎に依頼が届いたのだった。
ふう、とシノが吐いた息も白い。雪は真上からひらひらと落ちてくる。賢者の魔法使いに選ばれてからは、任務で北の国に訪れることもあった。だから、シノにはこの気候が特段厳しいものには思えない。実際、シノたち東の魔法使いたちは魔法である程度寒さを遮断している。
それでも不意打ちのように頬に落ちる雪は冷たかった。
「これが原因か」
ファウストが示したのはシノよりも少し低い高さになるように木材に取り付けられた箱──村の人たちは祠と呼んでいるものだった。そこから禍々しい気配が漂ってくる。
「この辺りは農業が盛んなので、良い天候となるように祈りを捧げるために作られたそうです」
ヒースクリフが告げる。東の国でも都市部では法典によって民間信仰が禁じられている。けれど、都市から離れた村では、人々が好き勝手に神に祈っていた。ほどほどの雨、適切な日光。人間は天気という自分たちではどうしようもないものに生活の糧を預けている。正直なところ馬鹿馬鹿しいとシノは思う。祈ったところで嵐はやってくるのだから。
人々の祈りはそれ自体力を持たない。けれど、この祠の中にはマナ石が眠っているようで、それが人々の祈りという弱く乱雑な思念と〈大いなる厄災〉の影響を受けてこの長い冬を作り出しているようだった。
「授業でやった通りに浄化を」
ファウストに促されて東の魔法使いたちは準備を始める。魔法陣を描き、呪文を唱える。そう難しい任務ではない。浄化し終えると、頭上から降る雪が止んだ。
魔法舎に依頼を寄越した村長に浄化が終わったことを告げると、いたく感謝されて一晩の宿を提供してくれた。東の国ではこうして感謝されることは珍しい。異変を解決したところで、気まずげに通り一遍の礼を寄越して、早く出て行けと言わんばかりに追い立てられる。そういうことが普通だった。
「東の塔まで時間もかかるし、帰るのは明日にしようか」
人間と関わることを望まないファウストがそう言ったのは、すでに日が傾いていたし、初春とは思えない冬景色を目にしていたからだろう。ヒースクリフもネロも反対はしなかった。
用意された宿は小さいが暖かかった。暖炉に焚べる薪も潤沢に与えられたし、質素ではあるが食事も用意されていた。これがこの村では最上級のもてなしということがわかったから、東の魔法使いたちは黙って食べる。自分はともかくヒースクリフには似つかわしくない待遇だと思う。けれど、彼は一度たりともこうした状況で不満を言うことはなく、むしろ誰よりも感謝していた。その気高さがシノにとっての誇りだ。
シノにとっては何もかも満ち足りていた。凍えることのない家。十分な食事。けれど、何か足りないようなものがある気がして落ち着かない。
他の皆が眠りについてからシノは宿を抜け出した。あの祠がなぜか気になった。雪の上を走る。靴越しに感じる冷気を誤魔化すために魔法を使う。魔法舎に来て、自分は魔法が上手くなった。もう寒さに凍えて丸まることもないだろう。
「誰だ?」
シノは祠の前にいる影に問いかけた。影はシノの声に反応して素早く身を翻す。それはシノの背丈よりも大きな獣だった。反射的に魔道具の鎌を取り出すと、シノは獣に向かって振りかぶった。
獣は真っ直ぐにシノに向かってきた。体重は向こうの方が上、下手したら倍ほどもあるだろう。正攻法でぶつかっても質量で押し負けるだけだ。シノは鎌をくるりと引くと、体重をかけた獣の攻撃を交わして呪文を唱えた。
「《マッツァー・スティーバス》」
魔法によって鎌を軽くして振りかぶると、次に元の重さよりも重くして振り下ろす。渾身の一撃が獣に襲いかかる。それでも獣は止まらなかった。
「こいつ……」
今度は一度魔道具をしまって身軽な体ひとつで飛び退る。鎌は急所を貫いている。あと数瞬で決着はつくだろう。
「《サティルクナード・ムルクリード》」
けれど、それよりも早く獣の頭が光線に貫かれた。獣はどさりと地面に倒れ伏した。
シノは表情を動かさずに尋ねた。
「こんな夜更けにどうした?」
ファウストはため息まじりの声で答えた。
「それは僕の台詞だ。きみが外に出る気配がしたから慌てて追いかけたんだ」
彼は「足が速い」と褒めているのか叱っているのかわからない口調で溢す。
「山から下りてきたんだろう」
ほとんどの獣は冬になると眠りにつく。しかし、時々その法則から逸れた生き物も存在する。彼らは寒い冬の中をじっと耐えて春を待つ。生き延びるために、人の住む集落を襲ってでも。
「待ちきれなかったんだろう」
この村にやってくるまでに通ってきた森にも獣の足跡があった。もっと山の方で暮らしている獣だが、食料を求めて人里近くまで訪れたのだろう。
「気づいていたのか?」
「いや……何となく気になって外に出たらいただけだ」
何かに呼ばれるというのはこういうことなのかもしれない。シノは神もそれがもたらす予感も信じてはいなかったが。
「馬鹿だよな。もう少し待てば春になるのに」
違う、と言葉とは裏腹のことを思った。春の予感がしたからこそ、この獣はこの村までやってきたのだ。生き延びるという希望がそこにあったから耐えられなかった。愚かだと思う。けれどその愚かさは、シノもまた味わったことのある愚かさだった。
「ああ」
ファウストはそう言うとシノの背中を押した。帰ろうということらしい。厚い防寒具越しにも、その手が温かいことをシノは分かっていた。
それは、待ちきれないほどに優しい春の気配だ。