明るさと暗さ(カイオエの話)

最近のカイオエに思ってることツイート。Twitterがなくなっちゃったからね。

大森静佳の『ヘクタール』という歌集の中に次の短歌がある。

根雪、と今ならおもう傷つけてほしいと言われた夜のあかるさ

大森静佳「真正面」より

私はこれをすごくカイオエだなと思っていて、傷つけてほしいのがどちらであってもそうだなと思う。

光か闇かと言われたら、カインもオーエンも私の中では光のようだ。オーエンが影を許さぬほどの眩く暴き立てるような明るさなら、カインは影を生むことを許す陽光だと思っている。オーエンの明るさはまっさらな雪原が跳ね返す光だと思っていて、今までも確か何度も小説で書いてきた。(それくらい私の中の強いイメージなのだと思ってください)

実際オーエンは人の闇を増幅させることはできるけれど、本人に深い闇はないのかもしれない。闇ならば照らし出せる。ただ空虚に白く光るものをどうやって掬い上げられるのだろう。私はカインがオーエンの持っている何かに(それは過去なの傷なのか痛みなのかわからないけれど)影を作り、形を与えられたらいいと思っている。

カインは眩しい、太陽のようであって、でも浮かび上がる日陰の心地良さを知っているということが私は好きです。2部の本当に良かったところ。

そういえば私は日が長くなった春から夏にかけての夜、夕暮れの一歩手前の時間がすごく好きなのですが、カインのことを夏の夜の明るさだと思う時もある。基本的には輝かしい晴れの空が似合うんだけど、一方で真夏の夜の手前の明るさは、どんなものでも許されて守られる明かりだと思うから。白夜の話も書きましたね。めっちゃ癖だ。

まだエイプリルフールのストーリーが読めていないんだけど、多分アルテエーゴの2人はちゃんと闇に生きているようで、それが新鮮だなと思う。結構カインって今までのエイプリルフールでもそんなにキャラクターとしてガッツリ反転されることがなかったので、悪い男っぽいのがいいなと思っている。