Ⅱ
なんだか変な気分だった。
オーエンは開いていた日記帳を閉じる。そこに綴られていたのはカインの日常だった。そして――半分より少し後ろからはカインとオーエンの日常が、カインの視点で語られていた。
ところどころ不満を言いたくなる描写もあった。そんなこともあったっけと忘れていたこともあった。
カインの目を通した二人の日常はじんわりと光を放っているようだった。
不思議なことに日記を読んでいるとカインの声が聞こえてくる。そういう魔法がかけられているわけじゃない。幻聴みたいなものだ。
「変なの」
オーエンは日記帳をトランクに仕舞うとぽつりと口にした。
§
突然現れたオーエンのことをアーサーは歓迎した。
「どうしたんだ?」
「別に」
アーサーは十年ほど前に王城を出て、王都近くにある直轄領を治めて暮らしている。王城とは比べるべくもないが、十分大きな屋敷にオーエンは招かれた。三食昼寝とおやつ付き。アーサーが細かい事情を特に尋ねないのはオーエンにとって都合が良かった。何しろ、オーエンにもよくわからないのだ。
カインの元で暮らす日々は悪くなかった。やっぱり三食昼寝とおやつ付きの生活だったし、カインはオーエンの行動にとやかく言わない。何かと忙しそうに動いているカインのことを眺めていると飽きることもなかった。
ただ、ここにはいられないという気持ちになった。カインのそばにいたら、なんだか自分の形が溶けてしまうようなそんな気がする。
オーエンは北の魔法使いだ。誰にも頼らず、一人で生きていける。そのはずなのに、カインと共に過ごしていると考えることがある。
自分はカインのいない世界で生きていけるのだろうか。
「明日カインが来るよ」
アーサーの屋敷に転がり込んで数週間が経ったある日のことだ。オーエンはソファに寝転がってちょうどカインの書いた日記を読んでいるところだった。
「僕がいることは……」
「内緒、だな」
アーサーは悪戯をする子供の顔で笑う。
「きみのそういうところ面白くない」
「カインに伝えたほうが良かったか?」
「そうじゃないけど――カインの味方をしなくていいわけ?」
アーサーはきょとんとした顔をした。
「味方?」
「そう。だっておまえの騎士なんだろ」
「だが、オーエンは私の仲間で友人だ」
柔らかい苦笑がオーエンに向けられる。オーエンは苦いものを口に突っ込まれたような顔をした。
「今は会いたくないんだろう? それなら友達として匿ってやりたいと思うよ」
北の魔法使いを友人と呼ぶだなんてどうかしている。でも、アーサーはあのオズを養い親として慕っているのだ。最初からもう全部がおかしい。
「ねえ、紙とペンをちょうだい」
「ああ。構わないが、何をするんだ?」
「日記を書いてみる」
カインがやったように、オーエンも日記を書いてみることにした。
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騎士様は昼過ぎにやってきた。使用人が応接室に通すと、騎士様は来客用のソファに腰を下ろす。僕と家で過ごすときは軽装が多かったけれど、今日はきっちりと騎士としての格好をしていた。
アーサーが応接室に入ると、ぱっと騎士様の顔に笑みが浮かんだ。名前を呼び掛けて、抱き合って。主君にするにしては荒っぽい友人としての挨拶をする。
それから騎士様はアーサーに中央の国いろんな街の様子を話して聞かせた。ここ最近の騎士様はいろんな街を見て回っているらしい。楽しそうにも見える。
騎士様のするちょっとした冒険譚も悪くなかった。盗賊を成敗した話。呪われた剣の呪いを解いた話。前よりは魔法も上手くなったんじゃない?
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生まれて初めて書いてみた日記をオーエンは読み返してみた。別に面白くもなんともない。カインはこれのなにがいいんだろう。
「《クアーレ・モリト》」
呪文を唱えると日記を書いた紙はすっかり燃えてしまった。
§
アーサーの屋敷をカインは時々訪れた。その度にオーエンは姿を隠してカインの様子を眺める。そして、カインのように日記も書いてみた。
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おみやげだと言って騎士様はレモンパイを持ってきた。ブランシェット城に行ってきたらしい。ヒースクリフやシノの様子をアーサーに語って聞かせている。
僕は早くあのレモンパイが食べたい。
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真剣な顔をして騎士様はアーサーと話している。内容はよくわからないけれど、お城の人たちの話をしているようだった。一通り真面目な話をしてから、騎士様はルージュベリーのタルトを置いていった。アーサーの口にはほとんど入らず、僕が食べてしまうことを騎士様は気づいていないだろう。おかしい。
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日記を書いては、書いた紙をオーエンは燃やした。
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ある日、アーサーの屋敷で貴族や王族を招いてのパーティーが開かれることになった。
「カインも来るが、オーエンも参加するか?」
オーエンは首を振る。
「僕はいい」
また姿を隠して、カインのことを観察するつもりだった。
パーティーの日、カインはいつもより上等な衣装を着てやってきた。アーサーの騎士として、訪れた人たちに挨拶をしている。
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騎士様はアーサーの隣に立って、ずっと笑っている。なんだか面白くない。
騎士様がもっといい顔をしている瞬間を僕は知ってる。
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そのときだった。パーティーの会場である広間に悲鳴が上がった。オーエンが書きつけていた紙から顔を上げると、カインが一人の男を床に押さえつけているところだった。男の手にはナイフがある。カインはその手からナイフをもぎ取った。
「アーサー様、お怪我は?」
「大丈夫」
カインが取り押さえた男は屋敷の者たちの手によって騎士団に引き渡された。アーサーの命を狙う刺客だったのだろう。
「わかりやすい罠に引っかかってくれて良かった」
カインはアーサーにぼそっと耳打ちする。アーサーも無言で頷いた。オーエンは二人がこうなるように仕掛けをしていたことを思い出した。グランヴェル城に巣食う反アーサー派の貴族たちの手の者だ。彼らを捕まえるためにあえて泳がせていたのだ。
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アーサーを守ろうとする騎士様の顔は悪くないよ
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そう書いてからオーエンはいつも通り紙を燃やした。
アーサーの暗殺未遂騒動でパーティーはお開きになった。来客が帰った後の屋敷は静けさを取り戻している。
「ありがとう。おかげで大事にせず、裏から首謀者を辿れそうだ」
「あんたを囮にするのはもう懲り懲りだけどな」
応接室でアーサーとカインが話しているのをオーエンはいつも通りこっそりと隠れて聞いていた。
「そろそろ俺も行くよ」
カインが屋敷を出て行こうとする。そのときだった。ぱちっとカインの目とオーエンの目が合った気がした。そんなはずはない。オーエンは魔法で姿を消しているのに。
「オーエン?」
カインの問いかけを背にオーエンは慌てて応接室から抜け出した。
§
オーエンはバルコニーに逃げ込んだ。ちっと舌打ちする。なんで自分がカインから逃げなければならないのか。
会いたくないわけじゃない。ただ、会ったら嬉しくなってしまう。離れ難いと思ってしまう。カインのいない世界で生きていけなくなってしまう。
「オーエン」
バルコニーにカインが入ってきた。オーエンは姿を消したままだ。けれど彼は迷わずにオーエンの前に立った。
「どうして」
「こっちの目が教えてくれた」
カインは自身の左目を指差した。オーエンの瞳だ。
オーエンが姿を見せるとカインは嬉しそうに笑った。
「久しぶりだな。元気だったか?」
「まあまあ」
会話が途切れる。なんだかオーエンは気まずくなって顔を逸らした。
「そういえばあれ、返してくれよ。日記」
カインは苦笑して言った。
「気づいてたんだ」
「気づいてたよ。――読んだか?」
「うん」
まったく、とカインはため息をついた。
「人の日記を勝手に読むなよ」
「読まれたくないなら僕に取られるようなところに置いておくな」
オーエンはトランクから日記を取り出すとカインに渡した。
「……変な感じがした」
「変な感じ?」
「騎士様がいないのに、騎士様の声が聞こえるような気がした」
カインがそばにいないのに、すぐそこにいるような気がした。オーエンに向けられる柔らかな目線が、楽しげな声が、存在しているような気がした。
「でも、きみはいない。きみがいないのに言葉だけが残っている。それが――」
そのとき初めてオーエンは自分が抱いていた違和感の名前がわかった。
「嫌だったんだ」
日記は雄弁だ。こうやって記録として魂が残されていくのなら、不変にだってなれるのかもしれない。でも、オーエンがほしいものはそうじゃない。
記録になんて意味はない。今ここで生きているカインの瞳に、そしてオーエンの瞳に映るものだけが真実であってほしい。たとえそれが永遠でなくても。完璧なものでなくても。
そばにいたい。終わりの日にどうなってしまうのか、想像もできないのに。
「そばにいろよ」
オーエンの言葉にカインは困惑した。
「おまえがいなくなるんじゃないか」
「だから僕を留めて」
めちゃくちゃなことを言っていた。自分でも少しわかっている。
そばにいたい。でも変わっていくのが怖い。相反する力がオーエンを動かす。
「僕を留められるくらいに強くなってよ」
カインはその言葉を噛み締めるように頷いた。
「強くなるよ。オーエンのそばにいられるくらい」
それはまるで永遠の冬を望んでみるように。
