1. きみを守るたったひとつのやりかた
その年、辛くも〈大いなる厄災〉を撃退した。賢者の魔法使いは誰も石になることはなかったが、カインは深い傷を負った。それはもう半年が経っても癒える気配がない。
カインの目には生きている人間も魔法使いも決して映ることはない。この手が触れたとしても。
最初はいつか治るんじゃないかと思っていたけれど、ひと月が経ちふた月が経ち、相変わらずカインの瞳に生きているひとたちは映らなかった。フィガロにも手立てはないようで、目を見てもらうたびに悔しそうに謝られる。それが何より辛かった。フィガロだけではなく、カインを気遣ってくれるアーサーやオズが、買い出しなど街に出るときに付き添ってくれるリケが、有り難くて同時に苦しい。
そうこうするうちに上手く呼吸することができなくなった。街に出ると心臓の音が耳いっぱいに広がって、呼吸が苦しくなる。生まれた時から当たり前にしていた、息を吸って吐くやり方がわからなくなってしまったようだった。初めてそうなったときは、一緒にいたリケがびっくりして、多分泣いていたと思う。申し訳ないことをした。
フィガロからは精神的なものだろうと言われた。目のことが、カイン自身が思っている以上に心の負担になっているのだという。そうか、と思ってもそれ以上にできることはない。だって、この目は治る気配がないのだ。
オーエンがやってきたのはそんなある日の夜だった。窓枠が揺れる音に気がつくくらい、もうずっと眠りが浅い。
「オーエン?」
白い人影がカインを見下ろした。どういう仕組みなのかわからないけれど、オーエンの姿だけは見える。自分の視界の中で彼が生きていることが嬉しかった。泣きたいくらいだった。
「オーエン。会えて嬉しい」
オーエンは何も言わない。手袋をした指先がカインの顔を掴む。親指がカインの頬をなぞった。そして、ちっと舌打ちをした。
「《クアーレ・モリト》」
それきりカインの記憶は途切れて、再び目覚めた時、そこは知らない部屋だった。
どうもカインはオーエンに監禁されているらしい。カインは部屋から出ることを禁じられていた。部屋の中にあるベッドに押し込められてから、ほとんどカインは眠っていた。
ずっと上手く眠れない日々が続いていたが、ここに来てからやたらと眠くて長いこと眠っている気がする。といっても部屋には時計がなく、窓には厚いカーテンがかけられていたからどれくらい眠っていたのかもわからない。
靴はなかったから裸足でベッドを下りた。分厚い絨毯は柔らかく、ひんやりとしていて気持ちが良かった。扉には鍵がかかっている。
「《グラディアス・プロセーラ》」
バチン、と嫌な音がした。魔法が上手く発動しなかったのだ。呼吸ができなくなってから、カインはまともに魔法が使えていない。
諦めてベッドの上に戻ると、ドアが静かに開いた。
「魔法、使おうとしただろ」
「鍵がかかっていたから」
「この部屋を出るなって、言ったよな」
言われた。この部屋で目が覚めて、開口一番、オーエンはこの部屋から出るなと言い残して消えた。
「なんで、こんな……」
カインの言葉を無視して、オーエンは彼の髪の毛に手を伸ばした。魔法で櫛を取り出すと、絡んだ髪を梳かした。
「自分でやるよ」
カインは恥ずかしくなった。まるで子供にするみたいだったからだ。魔法を使えば髪の毛は一瞬で整う。しかし、その考えを見抜いたのか、オーエンはきっぱりと告げた。
「魔法は使うな」
きっぱりと言って、オーエンはカインの髪に櫛を通した。オーエンだって魔法を使えば一瞬だろうに、なぜか彼は扱い慣れていない櫛を使う。髪が絡んでもそのまま引っ張るものだから痛い。
最後にオーエンはカインの髪を紐で一つに結んだ。それは案外カインが自分でやるよりも上手かった。
§
カインの調子がおかしいことを、オーエンはオズから聞いた。
「どうして僕にそれを話すの?」
「カインはお前の姿だけは見えるだろう」
オズの言葉はいつも少し足りない。けれど、オーエンには言わんとしていることはわかった。
「そんなに悪いの」
「見ればわかる」
本当のことを言えば、オーエンはカインに会いたくなかった。彼が弱っているところを見たくなかったからだ。けれど、わざわざオズがオーエンのところにカインのことを告げにくる状況だということに心がざわついた。
そうして、カインの元を訪れると、彼は本当に酷い顔をしていた。
オーエンはひとの心の壊し方をよく知っている。カインはオーエンが壊してきた人間や魔法使いと同じ顔をしていた。
「オーエン。会えて嬉しい」
やめろ。そんな縋ったような声で呼ぶんじゃない。
そう叫びたくなるくらいに腹が立って、オーエンはカインを連れ出すことにした。
オーエンしか見えないというのなら、オーエンだけがいるところに閉じ込めてやればいい。それは、唯一オーエンが知っている、カインの守り方だった。
