Ⅰ
霜下りる月二十日
新聞の天気予報欄によれば、一層寒気が強くなる日だったらしい。実際今日は寒かった。
俺は普通に朝起きて、昼までは細々とした家事やら何やらを片付けていた。昼飯を終えてアーサーから頼まれていた調べ物にでも着手しようと思ったその時、オーエンは突然現れた。
まるで一日ぶりのような顔をしていたけれど、実際のところ俺たちが顔を合わせるのは随分と久しぶりだった。それなのに俺は気の利いた台詞の一つも言えなくてただただ「おかえり」とだけ告げた。
オーエンはつまらない顔で頷くと、俺におやつを要求した。家の中をひっくり返して見つけたビスケットをオーエンはあっという間に食べてしまったので、俺は街まで菓子を買いに行かされる羽目になった。
霜下りる月二十一日
オーエンはしばらく俺の家に滞在するつもりのようだった。勝手に空き部屋を自分の部屋にした。別にいいんだけどさ。アーサー様から下賜された小さな領地。その中にあるこの屋敷は、一人暮らしには広すぎた。
俺は昨日やり損ねた調べ物に手をつけた。オーエンは邪魔をするつもりも手伝うつもりもないらしく、ぼんやりと俺のことを見て、菓子を頬張っていた。退屈しないのかと尋ねると、「別に」と気のない声が返ってくる。
この日記を書いているとオーエンから何を書いているのかと尋ねられた。日記だと答えたら、そんな趣味があったんだと意外そうな顔をした。
昔の俺に日記を書く趣味はなかった。どちらかといえばこういうのは苦手だったのだが、あるとき日誌係に任命されてからは毎日文章を綴るようになった。それはいつの間にか習慣になって、俺はこうして毎日日記を書いている。
霜下りる月二十二日
じっとしているときのオーエンは静かだ。火が爆ぜる暖炉の前でぼんやりと瞳に炎を映している。それがなんだか本当に美しいと思う。そうして俺がオーエンに見惚れていると、オーエンは「何」と眉を吊り上げた怪訝な顔を俺に向ける。表情が灯るその瞬間、俺は残念という気持ちとほっとするような気持ちの両方を味わうのだ。
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限りの月三日
今年初めて雪が降った。
オーエンはなぜか嬉しそうだ。曰く、今年はきっと厳しい冬になるとのことだった。
俺がなぜかと尋ねると、オーエンは自分がこの国にやって来たからだと言う。そのとき俺は、オーエンがやってきた日がとても寒い日だったことを思い出した。まさか。
オズじゃあるまいし。
そう言うとオーエンは不機嫌になって俺の足を蹴っ飛ばした。
限りの月四日
オーエンが居眠りをしている。夕食の後、ソファの上に転がっていたオーエンの目蓋が落ちているのを見て、俺は驚いた。オーエンがこんな無防備な姿を晒すなんてそんなことが。
寝室から毛布を一枚取ってきて、そっとオーエンの体にかけてやった。起きたらどんな顔をするだろうか。
限りの月五日
俺は仕事でしばらく家を空けることになった。それをオーエンに伝えると、街でたっぷり菓子を買ってくるように命令された。勝手知ったるなんとやらでオーエンは家主が不在の家に居座るつもりらしい。俺としては留守を預かってくれる分には助かる。でも、そんなことを言ったらオーエンのことだ、また突然姿を消すだろう。だから俺は「まったく」という顔を作って、それからオーエンに行ってきますと挨拶した。
限りの月六日
王都で久しぶりにアーサーと会った。相変わらず元気そうで良かった。オーエンのことを話すと、オーエンにも会いたかったというから、今度はうちに遊びに来てくれと伝えた。王族として多忙な日々を送っていることは知っているが、たまには息抜きをしてもらわないと。
限りの月七日
オーエンはどうしているだろう。気になるなら手紙を書けばいい。魔法を使えば今日のうちにオーエンの手元に届けることができる。でも、きっとはやる気持ちで送ったことがバレてしまったら、素直に返事なんて返ってこないだろう。
俺はたっぷり考えてから、チョコレートとルージュベリーどちらの味が好きかと尋ねる手紙を書いて送ることにした。
限りの月八日
オーエンから返事が来た。両方買ってこい。
わかりやすすぎる返答だ。
限りの月九日
王都での仕事を終えてようやく帰宅した。オーエンは俺の顔を見るなり土産の菓子を要求する。少しくらいは労ってくれたっていいだろうに。
けれど買ってきた菓子箱を笑顔すら見せながら開ける様子は……まあ悪くはない。
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限りの月十八日
いつの間にか雪は溶けることなく降り積もるようになっていた。オーエンはまだ俺の家にいる。今回は少し長い滞在だ。
普段オーエンが何をしているかというと菓子を食べているかぼーっとしているか。そうでないときは古い本と向き合っている。それが何かと尋ねると、昔に書かれた魔導書だと言う。ちらりと見せてもらったが何が書かれているのかさっぱりわからなかった。
ともかくオーエンは魔法の勉強をしていた。ちょっと意外ではあったけれど、魔法舎にいた頃もオーエンはオズを倒すためにあらゆる方法を考えていた。
俺は危機感を覚える。だってまだ目玉を取り返していないのに、これ以上オーエンに強くなられても困る。追いつかなければ。
限りの月十九日
なんてことを考えていたら、久しぶりにオーエンが鍛錬に付き合ってくれた。
オーエンは軽やかに魔法を放つ。息をするように呪文を唱える。
元より実力差はわかっていた。それでもあっさり地面に転がされると悔しくてたまらなかった。オーエンはそんな俺の様子を見て、にやにやと嬉しそうに笑う。それが余計に腹立たしかった。けれどそれを表に出せばこいつは……いっそう喜ぶのだ。
午後になってオーエンは魔導書を読み返し始めた。俺がその本を覗き込むとオーエンは「千年早いよ」と子供をたしなめるみたいに言う。いつになったら俺はオーエンに追いつけるのだろう。
限りの月二十日
今日は特に寒い日だった。朝起きて、換気のために少しだけ窓を開けるとオーエンは布団の中で文句を言った。
昼過ぎからは雪が降り出した。俺はキッチンでホットワインを作ることにした。オーエンには甘いリンゴジュースで割ったものを用意する。俺たちは窓の外の雪を眺めながらホットワインを飲んだ。
あまり会話はなかった。でも不思議と居心地は悪くなかった。オーエンもそう思ってくれていたらいいと思う。
ずっとここにいてほしいとは口にできなかった。ずっとここにいてほしいのに、でも、それを了承するオーエンは見たくないような気がした。めちゃくちゃなことを書いてる。わかってる。
でも、オーエンを縛り付けるようなことはしたくなかったし、俺に縛り付けられるようなオーエンでもいてほしくないのだ。多分。
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木の芽の月十六日
そろそろこの日記帳も終わる。新しい日記帳を用意しないとと言ったら、オーエンはこの日記を読み返すのかと尋ねてきた。
俺は日記をほとんど読み返さない。書いて満足するというか、書くことですっきりするというか、とにかく書くことが目的になっていて、読み返すことはあまりない。そんなことをオーエンに話すと、「そんなの無駄じゃない」とばっさりいかれた。無駄じゃない。無駄ではないはず……。
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木の芽の月十九日
オーエンに言われたからというわけではないけれど、日記を読み返してみた。恥ずかしい。読んでいてこそばゆくなってくる。
特に最近はオーエンのことばかり書いていて、なんだか恥ずかしいことも書いていて、初めて俺は日記帳を燃やしたくなった。燃やさないけど。
俺は読み返さなくてもいいや。書くこと自体が目的みたいなものだから。ああでも、もしも俺が死んだらこの日記どうなるんだろ。そう思うと燃やさないまでも封印くらいはしておいたほうがいいんだろうか。自分で読むのも恥ずかしいのだ。他人に読まれるなんて想像するだけで背筋が痒くなる。
この日記帳も今日で終わり。
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じゃあね。
オーエンは短く告げた。カインはなんと応えていいかわからず、結局黙って頷いた。
春の匂いがした日のことだった。オーエンはカインの元から去ることにしたと言う。来たときと同じくらい唐突な別れだった。
引き止めることもできたのかもしれない。でもカインはそうしなかった。オーエンを留めておくことは永遠に冬であってほしいと祈ることに似ている。
オーエンが去った翌日、カインは自分もしばらく家を開けることにした。この家が一人で暮らすには広すぎるような気がしたので。
荷物の中にはまだ新しい日記帳を一冊入れた。彼はまだ気づいていない。ついこの間最後のページを埋めた日記帳が一冊、なくなっていることに。
