白亜の海で息を継ぐ - 6/8

第五章 魔法使いと骨

「ここは『オズの咆哮』と呼ばれています。その昔魔法使いオズが叫び声を上げると、その声は大地を切り裂き、このような断層を生んだと伝えられています」
 その説明を聞いたカインたちはそれぞれに違う表情を作った。リケは真相を確かめるようにオズを訝しげに見遣っている。アーサーは不満をありありと顔に浮かべていて、オズは無関心を決め込んでいた。カインはというと、そんな三者三様の反応に苦笑いを隠せない。
「といっても、今ではこの伝承は迷信の類とされています。この辺りにはこういった断層地帯が何箇所かあります。大地の運動で亀裂が起きやすい場所なんです」
 案内をしていた青年は飄々とした口調だった。彼にとっては伝承よりも、この断層そのものに価値があるらしい。
「実際のところは?」
 カインが傍にいるオズに尋ねると、彼は眉間に皺を作って答えた。軽口であることは、きちんと伝わっているようだ。
「叫び声で大地が割れたことはない」
「あんたが叫んでるところは想像できないしな」
 そう言ってオズの背中をバシッと叩く。それから案内役の青年に尋ねた。
「魔法舎への依頼書に書いてあった件については?」
「それについては見ていただくのが早いかと。こちらです」
 青年に案内されて、中央の魔法使いたちは断層を横目に二階建ての建物へと足を踏み入れた。

 魔法舎への依頼は中央の国の地質研究所から送られてきた。研究所は大陸のほぼ中心に位置していて、百年ほど前に当時の中央の国の貴族の支援で設立されたらしい。カインは存在を知らなかったが、アーサーは覚えがあると言う。
「この世界の起源や、人間や魔法使いの祖先となる生き物について調査をしているそうだ」
「へえ」
 人間や魔法使いが生まれる前の世界と言われてもパッと想像し難い。カインにとっては千年単位で生きている魔法使いたちの子供時代ですら相当遠く感じるのだから。
「それで、どんな依頼なんだ?」
「研究所に展示している化石標本が夜な夜な動き出すそうだ」
 それはまた奇妙なという顔をカインは作った。
「研究所にいる人たちも相当驚いているだろうな」
 場合によっては怖がっているかもしれない。
「それが……依頼書には『どんな風に動いていたのかわからなかった生き物もいましたが、おかげさまで当時の生態がよくわかりました』と書いてあって……」
「なんだそれは」
「特段困ったり怯えたりはしていないらしい。そうは言っても〈大いなる厄災〉の影響が疑わしい。調べに行かなくてはならないな」
 地質研究所は魔法舎のある王都からもそう遠くない。〈大いなる厄災〉による異変の調査には通常賢者が同行する。しかし、ここ最近は賢者も任務続きで疲れているように見えたし、クロエと一緒に西の国を訪れる用事があるとも聞いていた。だから、今回は中央の魔法使いだけで向かうことになった。

 研究所に入ると日差しが遮られて暑さが幾らか和らぐ。王都に比べると湿気は少ないが気温が高い。
「ここが保管庫になっています」
 一階の奥にある部屋にカインたちは案内された。入り口に鍵はかかっていない。
「これはすごいな」
 部屋の四方はカインの背丈ほどはある大きな化石によって囲まれていた。それ以外の──部屋の中央部にはガラスケースが並べられていて、その中には手のひらに収まるくらいの化石が並んでいる。貝の一種だろうかと当たりのつくものもあれば、その辺に落ちている石ころにしか見えないものもあった。それぞれ近くに名前と推定年代が書かれたプレートが一緒に添えられている。
「これが動くんですか?」
 リケが問いかけると彼らを案内していた青年は「ええ」と頷いた。彼はこの研究所で研究員をしていて、魔法舎に依頼書を送ったのも彼だった。
「動くんですよ。植物の化石が動いているところは見ないですが、たとえばこの古代魚の化石なんか、その辺を泳いでいます」
 彼が示したのは魚の形をした化石だった。大きさはカインが両手を広げたくらいあるから相当大きい。昔の生き物は今よりもずっと大きかったと聞いたことがある。
「魔力の気配がある」
 オズは目を細めてガラスケースの中に入っている化石をじっと見つめている。指先でつまめるほどの丸い貝のような生き物の化石だ。
「これを直接触ることはできるのか?」
 アーサーが尋ねると研究員は「問題ないですよ」と言って、ガラスケースを開けた。
「これは古い海に生息していた生き物です。ありふれた種なので断層を掘ればいくらでも出てきますよ」
 オズはそれを取り上げるとまじまじと見た。
「マナ石が混ざっている」
「どういうことだ?」
「この生き物のそばに魔法使い──いや、魔法生物が生息していたのだろう。その死骸が一緒に押し固まっている」
 マナ石は魔法使いや魔法生物の死骸だ。普通の生物の骨が化石となって残るように、マナ石もまた長い時をかけて砕け、固まり、化石と一体化して掘り起こされたのだ。
「興味深い話です。ここにある化石はみんなそうなんですか」
「量の多少はあるが、マナ石の痕跡が残っているものが多い」
「ということは、太古の世界には骨の残る生き物と、石になる魔法生物が共に存在していたんですね」
 研究員は興味深いと言いたげだった。
「それで、どうするんだ?」
 カインはオズに尋ねる。
「〈大いなる厄災〉の影響でマナ石が反応して化石を動かしているのだろう。粉々になって一体化したマナ石を取り出してやればいい」
 オズはなんでもないことのように言った。
「それってここの化石に影響はないですよね?」
「混ざっているマナ石は大した量でないから大丈夫だろう」
 それを聞いた研究員はうーんと悩ましげな顔をした。
「もう一つ、見てほしいものがあるんです」
 彼は保管庫を出ると別の部屋に案内した。
「すごい」
 部屋に足を踏み入れたアーサーの言葉にカインは無言で同意した。この部屋は保管庫よりも広々とした作りだった。部屋というよりはホールと呼ぶべきだろう。その部屋の大部分を巨大な化石が占めている。高さは部屋の天井ぎりぎり、横幅も長机を四つ並べたよりも大きい。
「クジラか?」
「ええ。クジラの祖先だと言われています」
 切り出された岩石を削って骨の形が見えるようになっている。その中で一番目を引くのはクジラの首元に当たる部分だった。
「マナ石だ」
 今度はカインにもわかった。クジラの首元に当たる部分から腹にかけて、複雑な色彩に煌めくマナ石が埋まっている。
「このクジラも動くんです。やはり原因は……」
「その石だ」
 オズははっきりと言った。
「この化石はこの研究所ができた当時に掘り起こされたものなんです。というよりこの化石を保管するために研究所を立てたと言った方が正確で……」
 研究員の説明によれば、この化石には大きな学術的価値があるらしい。大昔の、それもこれだけ巨大な生き物が完全な形で残っていることは少ない。この化石はとても貴重なものなのだと言う。何より──と彼は惜しむような口調で言った。
「美しいでしょう。この辺りは昔海だったんですよ。その当時、ここを泳いでいた生き物の姿なんです」
 海だったと言われてもカインにはぴんとこない。太古の世界は今と違う形をしていて大地や海が動いた結果、今の大陸の形になったのだという。知識として納得はできても、とても想像ができない。
「この石を取り出したら流石に影響があるよな」
「ああ」
 カインが尋ねるとオズは頷いた。
「この化石に影響がないように石を除去できればいいんだよな?」
 カインが研究員に確認すると強く頷いた。
「正直なところそんなに困ってはいないんです。びっくりはしましたけれど、研究も進みましたし……。この化石が失われるくらいなら今のままでいいんです」
 そう言われても困るというのがカインたちの本音だ。〈大いなる厄災〉の影響なら、問題が起きる前に対処しておきたかった。今は大した影響がないにしても、ずっとこのままとは限らない。怪我人や死人が出てからでは遅いのだ。
 オズは憮然とした顔でクジラの化石を見上げている。早く片付けてしまいたいと思っているのだろう。
「とりあえずこのクジラのことは魔法舎に持ち帰って相談してみよう。代わりの何かを埋め込むとか、いい方法がきっとあるはずだ」
 カインは研究員とオズを交互に見遣る。オズは静かに頷いた。
「そうしてもらえると助かります」
 研究員は感激したようにカインの手を握り、上下に振る。
「あんた本当にこれを大事に思ってるんだな」
「ええ。実は私よりもこれを気に入っていた同僚がいて……。去年、落石事故で亡くなってしまいましたが」
 彼は静かに告げた。
「こいつまでいなくなっちゃったら寂しいですからね」
 化石が動き出すのは〈大いなる厄災〉の影響によるからか、日没後に限られるようだった。カインたちはオズが魔法を使えなくなる日没前には魔法舎に戻るつもりだ。だから、この美しいクジラが泳ぐところを目にすることはできない。それは少し残念だった。
「それでは魔法舎に戻るか」
 オズがそう声をかけると、リケがすっと手を挙げる。
「せっかくなのでここにある生き物の化石を見てから帰りたいです」
「オズ様、私も本で見た太古の生き物の姿に興味があります」
 二人からねだられてオズは深く息をついた。
「夕方までは好きにしなさい」
 それを聞いてアーサーとリケはパッと顔を明るくした。
「はい!」
「ありがとうございます、オズ」
 研究員はアーサーとリケに微笑む。
「そういうことなら私が案内しますよ」
「是非お願いしたい」
 保管庫へと向かうアーサーたちを横目にオズはホールの中にある手近な椅子に腰を下ろした。カインもその横に座る。
「おまえは化石を見なくていいのか?」
「興味がないわけじゃないんだけどさ、あんたが一人だと退屈だろ」
「別に退屈というわけでは……」
 オズは言葉を切ると巨大なクジラに目を移した。
「あんたより長生きなんだってさ」
 ホールの壁にプレートが貼り付けられている。推定年代は五千万年ほど前。スケールが大きすぎる。このクジラと比べたらカインとオズなんて十分同年代のくくりだろう。
「こんな未来まで骨が残ってるのもすごいよな」
 そう言ってから、不意にカインは自分たちのことを思った。魔法使いは死んだら石になる。自分たちを形づくる骨も肉も死んだら残ることはない。魔法使いはこんなふうに何万年後の未来に生きていたかたちを残すことはないのだ。なんだか不思議な感じだ。今ここにいる自分の体には確かに骨があるのに、死んだら何もかもがなくなってしまう。残ったマナ石も、いつかは誰かに食べられるか、魔法科学技術を使うための燃料として消費される。どちらにせよ自分たち:魔法使いはいなかったことになる。
 カインは賢者の魔法使いに選ばれるまで深く魔法使いと付き合う経験はなかった。人間として生きてきたカインは、自分が両親や友人とは違う生き物だとわかっていても実感が薄かった。けれど、昨年の〈大いなる厄災〉の襲来では、カインの目の前で仲間は確かに石になったのだ。自分もいつか同じようになる。それが近い未来か遠い未来かはわからないけれど。
「カイン。おまえに話しておきたいことがある」
 オズは静かに口を開いた。
「ん? なんだ?」
「オーエンのことだ」
 カインは少しだけ表情を真剣なものにした。オズからその名前が出てくるとは思っていなかった。
「オーエンがどうかした?」
「あまりあれに心を寄せるな」
 オズの言葉は端的だった。
「どうして?」
「長く生きている魔法使いはそうそう変わらない。いつか失望する」
 オズは自嘲するように言った。
「少なくともあんたはそうじゃないだろう?」
 むっとした感情を隠しきれないままカインは告げた。
 伝承でオズは人智を超えた怪物として描かれることが多い。カインはそのこと自体を滑稽だと笑い飛ばすことはできない。こうして語らっていてなお、確かにオズは怪物に等しい存在だということをカインは知っている。怒りは雷となって地を穿ち、悲嘆は嵐となって終わらない冬を呼び込む。この世界に生きてきた命にとってオズは避けられない災害と同じ意味を持つ言葉なのだ。
 それでも、カインがオズをそうではない一面で見ることができるのは、アーサーがいるからだ。アーサーが慕うオズは、アーサーを愛おしむオズは、とても怪物には見えないかった。
「おまえが思っているほど変わったわけではない」
 オズはそれきり何も言わない。
 オーエンは変わった。前よりも自分の感情や感覚を誤魔化さなくなった。少しだけ素直に笑うようになった。カインはそれを知っている。
「変われるよ」
 ここにいる生き物たちはもう何万年も昔から変わらない姿でここにいる。でも、自分たちはそうでない。こんな風に地層の中に骨を埋めることもできない。けれど、生きている限り、変化することができる。そういう生き物だ。

 こうして異変の調査を終えると、中央の魔法使いたちは魔法舎に帰還した。
 クジラの化石に埋め込まれているマナ石をどうするかの問題は、一旦スノウとホワイトに預けられた。ステンドグラスの職人でもある彼らはガラスなり水晶なりを代わりにすると良いのではないかと言っている。
「良いものがないか見繕ってみよう」
「そうじゃな。我らよりもおじいちゃんのクジラにぴったりのやつを」
「頼むよ」
 用意ができたら今度こそ解決のために地質研究所に足を運ぶことになる。アーサーとリケは化石を見て随分楽しんでいたようだから、今度は賢者も連れて訪れることができたらいい。
「そういえばカインに預かっているものがあるんだった」
 アーサーは手のひらに乗るほどの大きさの石を差し出した。
「これは?」
「あの断層で産出した化石だそうだ。『記念にどうぞ』ともらってきた」
 アーサーは宝物を見せびらかす少年の顔でカインにそう伝えた。
「へえ」
 言われてみればうっすらと渦を巻くような模様が見える。
「やすりで削ると貝の形が出てくるそうですよ」
 リケがそう教えてくれる。
 何万年も前──人間と魔法使いが生まれる前の、この地上さえ海だった頃の生き物。
「もらっておくよ」
 カインは化石を受け取ると大事に手の中に収めた。

§

 カインのもとにオーエンがやってきたのは研究所での任務を終えたその日の夜だった。
「西の国はどうだった?」
「きらきらしてて眩しかった。でもパフェは美味しかったよ」
 オーエンはカインのベッドに寝そべって昨晩訪れたパフェテリアの話をした。カインは甘いものに造詣が深いわけではないし、オーエンの説明も独特なので、どんなパフェだったのかを想像するのは難しい。だって犬に噛ませる猿轡みたいに固くて冷たい飴とか、雨が降った翌朝のぬかるみみたいなどろどろしたクリームとか──そんな風なのだ。それでも、オーエンは楽しそうだったから、素敵な夜だったのだろう。
「ねえ、カイン」
 カインがねだった通りに一通りの話をすると、オーエンはそう言って甘えるようにカインの方に体を擦り寄せた。カインはオーエンの頬を親指で撫でると、それからキスをした。相変わらず予定が合えば二人で眠るのが彼らの習慣になっていた。変わったのはそこに多少なりとも性愛めいた行為が含まれるようになったことだ。オーエンのことを気遣って、最後までは致していないけれど。
 そのまま耳の後ろの窪みに、首筋に唇を這わす。オーエンの手がタンクトップの縁からカインのうなじに触れた。
「あのさ」
 オーエンの声は小さかったけれど、これだけくっついているとよく聞こえた。
「ん?」
「今日は……最後までやりたい」
 驚いてオーエンの顔をまじまじと見る。オーエンはカインの視線を受け止めきれずわずかに目を逸らしていた。
「大丈夫なのか?」
「大丈夫。そのかわり、ずっとカインの顔が見ていたい」
 オーエンは逸らしていた目をカインに向ける。いつもより血色が良くなった顔でカインのことを見上げている。
「無理だなって思ったらちゃんと言えるか?」
「うん。ちゃんと言う」
 カインはオーエンの額に触れるだけのキスをした。子供を褒めるみたいに。
「優しくするから」
 恋人になってから何度も体を重ねている。けれど、そのどの時よりも緊張した。
「服、脱がすな」
「うん」
 寝間着のボタンを上から下まで全部外してオーエンの体から剥ぎ取る。自分の着ているタンクトップも脱ぎ捨てて、裸の上半身でオーエンを抱きしめた。肌と肌が触れ合って、そこに熱が生まれる。
「んっ……」
 オーエンの腰を撫でると彼の口から解けたような声が漏れる。カインが時間をかけてほぐしていった体は、以前と違って触れるだけでちゃんと感じるようになっていた。むしろ敏感すぎるかもしれない。いわゆる性感帯以外でも、カインが触れる場所からオーエンは快感を拾っている。
 オーエンの寝間着のズボンを脱がせると、彼の中心が芯を持ち始めていることが下着の上からでもわかった。しっとりと下着が湿っている。恥ずかしそうに膝と膝を擦り付けて隠そうとするので、カインは優しくオーエンの太ももを撫でた。普段触れられることのない内側の柔らかい皮膚は余計に敏感だった。
「やっ……めっ……!」
「だめじゃないだろう?」
「そ……うだけど……」
 本来はそう目立つはずのない乳首も、オーエンの肌が白いせいかやけに存在を主張してくる。右側のそこに指先が軽く触れただけで一際大きい声がオーエンの口から漏れた。
「あっ……!」
 あえて触ろうとせずとも肌が擦れるだけでだめらしい。手のひらで撫でるとやわやわとした刺激で物足りないのかオーエンの体がより強い刺激を求めるようにくねった。
「ここ、触ってほしいのか?」
 オーエンは無言で強く頷く。右側を指で挟んで優しく捏ねる。指先で弾くようににすると赤く固く熟れていく。
「ひゃっ……あっ……」
 左側は口に含むと舌先で舐める。指よりは優しい刺激のはずだが、この段になると関係ないのかもしれない。オーエンの口から出るのは言葉にならない声だった。
 オーエンが首を横に振るので、カインは胸を責め立てるのを止めた。
「嫌だったか?」
「違う……でも、イっちゃいそうだから……」
「別にオーエンが気持ちいいならいいんだぞ」
 オーエンは再び首を振る。
「カインと一緒にイきたいから」
 それはあまりに直球で、可愛すぎる要望だった。これまでのどんなときよりもカインはぞくぞくした。思わず顔を手で覆う。今の自分は相当ひどい顔をしている自信があった。
「ほら」
 オーエンは容赦なくカインの腕を引っ張って顔を晒させる。
「きみもおかしくなってるんだ」
 カインの顔を見て、オーエンはそう言った。おかしくなってる。当たり前だろう。おかしくなっていければこんなことはしない。理性や打算でオーエンを抱けるほど、カインは複雑じゃない。
 オーエンの下履きを下ろすとピンク色の性器がぴんと上を向いていた。一緒にイきたいと言うものの、こちらは限界が近そうにも見える。
「もうちょっと我慢できるか?」
「たぶん」
 足から下履きを引き抜いてオーエンの足を持ち上げる。後ろの孔が晒されると、オーエンの体がほんの少し強張ったのがわかった。
「大丈夫か?」
「だい……少し緊張してるのかも」
 大丈夫と返さないのは彼なりの信頼の証に思えて嬉しかった。
「ゆっくりするから」
 指で入口のあたりに触れる。自分でほぐしてきたのか、ほんのり油分のある液体で湿っている。それほど抵抗なく入りそうだ。
「指入れるな」
 傷つけないように優しく指で中を開いていく。指を動かすとそれに合わせてオーエンの内側が絡みつくようにきゅうと締まる。
「くすぐったい……かも」
 オーエンがふふっと笑った。少なくとも痛みはないらしい。先ほどよりも少しだけ体の力が抜けている。指を二本にしてもう少し広げていく。内側の襞を擦るようになぞっていくと、しこりのような少し固くなった場所がある。そこを指の腹で引っ掻くようにするとオーエンの体がぴくんと震えた。
「だめっ……出ちゃ……っ!」
 必死で堪えているが、オーエンのピンク色の性器から透明な液体がとろとろと溢れていた。
「悪い。一緒に、だもんな」
 カインは快感を逃すために閉じられなくなっていたオーエンの唇にキスをした。それから自分のズボンと下履きを一緒に下ろす。カインのそこもぎちぎちに硬くなっていて、欲望を溜め込んでいる。
「こっちの手、握っててくれるか」
 カインは自分の左手をオーエンの右手に絡めさせた。オーエンは仰向けでカインのことを見つめている。
「オーエンと一つになりたい」
「僕も」
 オーエンはそう言うと、繋いだ手に力を込めた。
 抱き合って、繋がって一つになりたい。オーエンの体と──それから心に触れていたい。
 オーエンの感覚はカインが思っている以上に敏感だった。だからこそ、それによって傷つかないために外部の刺激を受け流し、感じないふりをして誤魔化してきたのだろう。生きるために痛みを振り払って、苦しみを飲み込んで。美しくて、痛ましい。それこそが北の国の魔法使いオーエンの矜持だ。
 それを侵すことが良かったのかどうかカインにはわからない。ただ、カインはオーエンに優しいものをあげたかった。これが己の傲慢さだ。とりあえず立てただけの正しさ。けれど、カインがそれを信じると決めた正しさだ。
 カインは自身の性器をオーエンの臀部に当てがう。思ったよりも抵抗なく先端が沈み込む。
「苦しくないか?」
「大丈夫」
 少しずつ中へと進んでいく。半分ほど入ったところできつくなってくる。全部を入れるにはもう少し上手に体の力が抜けないとだめそうだ。カインは少しだけ腰を揺らして入口のあたりを擦り付ける。
「あっ……いまっ……」
 指で確かめていたオーエンの良いところに当たって、オーエンの体がふっと弛緩する。
「……っ! あっ……ん!」
 オーエンの性器からどくんと精が吐き出された。
「一緒に……」
 オーエンの顔が切なそうに歪む。
「一緒にイくんだもんな。もう一回気持ち良くなろうな」
 力の抜けたオーエンの体にカインは自分の性器を最後まで押し込んだ。一番奥の壁をぐっとカインの先端が押す。その刺激でオーエンの中きゅうきゅうと締まった。
「あっ……へあっ……」
 握っていたオーエンの手に力が入る。薄いオーエンの腹にうっすらとカインのものの形が浮かぶ。
「気持ちいいか?」
 オーエンが強く頷く。
「カインの……全部僕の中?」
「ああ」
 オーエンの空いている左手がカインの体に触れる。体温を感じるみたいに。
「あったかい」
 伝わってほしいと思っていた。温もりの中に置いておきたいという愛しさを、大切にしたいという信念を、傷ついてほしくないというカインのエゴを、全部伝えたかった。
 カインが腰を前後に動かすと、オーエンはぎゅっと目を閉じた。
「わかるか?」
「わか……る……うっ!」
 オーエンの声と一緒に中もすりついてくる。肌と肌がぶつかって、体液が絡み合って、言葉にならない声が交わって。そうやって一つになっていく。
「あっ……いっ……きもちいい……」
 ぎゅうと搾り取られるような刺激にカインが達すると、目の前でオーエンも浅い呼吸をしていた。体を繋げたまま不器用なキスをする。ずっとこんな風にしていたかった。
「一緒にイけたな」
 オーエンはこくりと頷く。それから万感を込めて呟いた。
「僕は、カインのことが好きなんだ」
 それはいつかカインが告白したときの答えのようだった。

§

「それ、何?」
「ん?」
 オーエンがカインの部屋を訪れたとき、彼は珍しく机に向かって何かをしていた。
「化石を磨いてるんだ。先週〈厄災〉の調査に行った研究所でもらったやつだよ」
 その日のことをオーエンはよく覚えている。なにしろ、あの日の夜にようやくカインと心も体も一つに繋げられたのだから。
 カインはやすりを手に取って机の上に置いてあった貝の化石の表面を削る。ふっと息を吹きかけると、くっきりとした貝の模様が見えてきた。傾けると、わずかに真珠のような光沢がある。
「ほら」
 オーエンの手にそれを置く。
「そんなに興味があったわけじゃないんだけどさ。こうして磨いてると綺麗になっていくから面白いよ」
「貝?」
 オーエンはそれを部屋の明かりにかざして観察した。
「ああ。三万年くらい前に生きてた貝なんだってさ」
 リケとアーサーからの受け売りだけど、と前置きしてカインは言った。三万年。オーエンが生まれたよりもずっと昔。
「他にもいろんな化石があったよ。クジラとか魚とか、あと草……?」
「草?」
「草の形が残ってる化石もあるんだって」
カインは机の上を片付けると、ベッドの上にいたオーエンの隣に座った。
「へえ」
 それから思い出したようにオーエンはぽつりと言った。
「僕も骨を集めていたことがある」
「なんで?」
「最初は魔法の媒介に使うつもりだったんだけど」
「だけど?」
 春になると雪が緩んで柔らかくなる。そこを掘ると動物の死骸が眠っていることがよくあった。北の国の長い冬を乗り越えられなかった生き物たちだ。その骨を拾い集めた。
「だんだんどうでも良くなって形が綺麗なのだけ並べてた。──あれ、どこにやったっけ」
 オーエンは記憶を探るように瞼を閉じた。
「骨集めって変わった趣味だな」
「面白いじゃない。だって──」
 オーエンはカインの腕に手を伸ばしてそっと告げた。
「死んだ後に骨が残るんだよ」
 魔法使いの体は残らないから、死んだままの姿で残る動物たちはオーエンの興味を引いた。それはいっときのことだったけれど。
 カインは何も言わなかった。ただ、オーエンの体をここに留めようとするみたいに抱きしめた。
 どちらともなく互いの体に触れて、キスをした。裸になって、獣みたいに交わる。もう戸惑いも羞恥もなかった。
 セックスがこんなにいいものだったなんて知らなかった。自分の体が敏感になって、触れられるだけで熱くなって。そのまま溶けていってしまいそうな感じ。いつも澄ました顔をしているカインが、余裕をなくして必死にオーエンを見つめているところ。カインは優しいけれど、その一方でオーエンを貪ってしまいたいという欲望もその顔に浮かんでいる。でも、それが怖くなかったし嫌でもなかった。
「カイン」
 名前を呼ぶとカインは嬉しそうに笑う。そのくしゃっとした顔が好きだ。朝の窓辺に差し込むお日様の光とよく似た右目も好きだ。オーエンの肌に触れる大きな手のひらも、重ねた唇も、全部を愛してる。いつか終わる日が来るとしてもやっぱり好きなのだ。
 オーエンはカインの手首に舌を這わせる。皮膚の薄いところの丸い骨をなぞるみたいにすると、カインはくすぐったげな声を上げた。
「なんだよ」
 不思議なことに、オーエンが舐めているこの骨も肉も、死んだら消えてしまうのだ。魔法使いは死んだらその姿を維持し得ない。今までは疑問にも思わなかった。それが当たり前だったし、究極死んでしまったらその後のことなんてどうだっていい。
 でも、今は少し違った。互いの形を確かめるみたいに抱き合ってるのに、死んだら終わってしまう。それってさ──。
「寂しい」
 カインはそっとオーエンの体を引き寄せると、温めるみたいに強く抱いた。ちゃんと今ここにカインはいるのに、それでも寂しさが埋まらない。
 魔法使いは化石にもなれない。この快楽も愛情も一瞬の夢みたいなものなのだ。

「大丈夫か?」
「体……重い……」
 体は重いし、喉の奥が渇いて少し痛んだ。オーエンは背中をカインの胸に預けていた。両者同意の上であったとはいえ、その行為が激しすぎるものであったことは否めない。何度目かの絶頂に、オーエンは意識を失った。気がつけば衣服もベッドの上のブランケットも何もかもが床に散乱している。その代わり、二人の精液と汗で汚れていたシーツは綺麗なものに取り替えられていた。
 カインは温かいお湯に浸したタオルでオーエンの体を拭う。下腹部や太ももの内側まで清められることに羞恥心がないわけではなかったが、温かいタオルの感触が気持ち良くてされるがままになっていた。下着やパジャマは床に転がっていたから、代わりにカインはバスタオルを掛けてくれた。
「ちょっと着替えてくるから」
 そう言ってカインはオーエンを綺麗なシーツの上に横たえる。洗い立てのいい匂いがする。カインが着替えてベッドの上に戻ったときには、オーエンはうとうとしていた。体力の限界だった。
「寒くないか?」
 カインはオーエンの頬に触れて尋ねた。
「平気」
 答えてからオーエンはわずかに首を傾げる。
「どうしてそんなに僕のことを気にするの?」
「それは……」
 カインは困ったような顔をする。
「前も言ったんだけど、俺はオーエンに傷つかないでほしいんだ」
「僕はどんなに傷ついてもどうせ生き返る」
「それでも、俺が嫌なんだ」
 今度はオーエンが困惑する番だった。あれだけ熱を分け合って、繋がって。それでも分かり合えないことがある。
「体の傷は治っても心の傷は残ってるじゃないか」
 そんなことないとオーエンは言えなかった。心の奥深くに埋めたその傷が掘り起こされて苛む経験をしているのだから。
「傷つかずに生きることなんてできない。それでも、そばにいる誰かが理不尽に傷つけられることがないように祈るのは当たり前だろ」
「僕はそんなの知らない」
「これから知っていけばいいよ」
 オーエンは答えられなかった。カインの優しさが痛いくらいにわかる。本当にひりつくように感じられるのだ。
「俺がオーエンのことを守るよ。オーエンが傷つかなくていいように。死ななくてもいいように」
「僕は──」
 オーエンが言おうとした言葉をカインが聞くことはなかった。オーエンの意識が遠くなる。

 僕はそれでも傷つくことを恐れたりはしない。