白亜の海で息を継ぐ - 4/8

第三章 苦いおやつ

 正直なところ、オーエンが変わっていくことに少し浮かれていたのだ。
 おそらくは他人と肩を並べることなんてしてこなかったオーエンが、自分の隣で眩しそうに目を細めてぼーっとしていること。腕の中で鼻を擦り付けてくること。肌を重ねること。それが彼の当たり前になっていくことが嬉しかった。優しくしてあげたかったし、優しくされることに慣れてほしいとも思った。
 その結果が全て良いものだと信じていたのだ。

「カイン」
「こんにちは」
 キッチンで声をかけられて、そこにいるのがリケとミチルだということがわかった。二人だけでキッチンにいるのは珍しい。
「二人してどうしたんだ?」
 右手を掲げると二人ともそこに手を合わせてくれる。リケとミチルは作業台にボールと泡立て器を出しているところだった。
「この間、オズ様にパンケーキの作り方を教えてもらったんです。色々大変なことも起きちゃいましたけど」
「あー、あの魔法舎が吹き飛んだ日か……」
「そうです。でもあの後もう一度ちゃんとパンケーキを作りましたよ」
 リケは得意そうに言う。
「それで今度はいつも僕たちに美味しいものを食べさせてくれるネロや、パンケーキの作り方を教えてくれたオズのために、僕たちだけでパンケーキを作ろうと思っているんです」
「へえ。いいじゃないか」
 リケとミチルは顔を見合わせてにっこりと笑った。
「だから、内緒にしてもらえますか?」
 ミチルが心持ち声を潜めた。
「もちろん。あ、俺に手伝えることが合ったら手伝わせてくれよ。今日は特に用事もないんだ」
「それなら僕たちがパンケーキを焼くので、カインはクリームを泡立ててください」
「おう」
 リケとミチルは小麦粉を量っている。市場から買ってきたばかりに見えるクリームは、温度を保つための魔法をかけた貯蔵庫の中にあった。クリームの詰まった銀色の缶を作業台まで持ってくる。
「ここのクリーム使っちゃっていいんだよな」
「はい。ネロさんに使ってもいいよって言ってもらいました」
「了解」
 パンケーキのトッピングに必要な量はミチルとリケが見ている手書きのメモに書いてあった。オズの字だ。日頃口数の少ない彼が、こうやってたくさんの言葉を文字にして綴っているのは不思議な感じがした。
 記載の通りにクリームと砂糖をボールに入れて、泡立て器でかき混ぜる。単調な作業だが、今のカインにはこれくらい頭を使わないことがちょうど良かった。ひたすらかき混ぜて、クリームがもったりとしてきた頃だった。
「オーエンと喧嘩したんですか?」
 唐突にリケが尋ねたので、驚いて折角泡立てたクリームをボールごと落とすところだった。
「えっ!? いや……喧嘩はしてないけど」
「そうですか」
 カインはボールと泡立て器を握り直すとできる限り平静を保った口調を取り繕った。
「オーエンが何か言ってたのか?」
「いいえ。でも、ここ数日オーエンと一緒にいないので喧嘩をしたんじゃないかって……」
 リケはミチルの方を見る。ミチルはバツの悪い顔をして言葉を継いだ。
「リケと話してたんです」
「悪い。確認なんだけど、俺とオーエンっていつもそんなに一緒にいるか……?」
 答える声はぴったりと重なった。
「いますよね」
「いると思いますけど」
 クリームを泡立てていなければ両手で頭を抱えていたところだった。カインとしては、特別オーエンと一緒にいるつもりはないし、なんなら夜以外はせいぜい挨拶を交わすくらいなものだと思っていたのだ。
「ご飯のときとか、隣に座ってよくお喋りしてるじゃないですか。カインさんはともかくオーエンさんがあんな風に親しげにお話してるのってあんまり見ないので」
 もちろん二言三言、言葉を交わすことはある。けれど、カインにとってそれは他の魔法使い相手だって同じことだ。カインにしてみればオーエンだって、特別自分に対して親しげに接しているようには思えない。どちらかといえば意地の悪いことを言われている記憶の方が多かった。
「オーエンはカインと話してるとちょっと可愛いですよ」
「可愛い?」
 困惑を深めてリケに問い返す。
「あんまり意地悪な顔をしていなくて、くすぐったそうな顔をしています」
「そう……なのか……」
 くすぐったそうな顔というのがすぐにイメージできた。オーエンが時々見せる邪気のない顔。おそらくは無意識のうちにそっと心の柔らかいところを覗かせる。けれど、他の魔法使いの前でもその顔を自分に対して向けているとは思わなかった。むしろ普段のオーエンはつんとして不機嫌そうな顔の方が印象深い。
「それでどうしたんですか? 喧嘩なら早く仲直りした方がいいですよ」
 カインは少し言い淀んでから降参したように告げた。
「ここ最近ちょっと避けられてるんだよ」
 あの日、カインの前から姿を消して以降、オーエンは明らかにカインを避けていた。普段ならばったり遭遇するような食堂や談話室でも見かけないし、彼の自室を訪れても出てこない。当然ながら、オーエンがカインの部屋を訪れることもなかった。
「それならたくさんクリームを用意したらどうですか?」
 リケは名案を思いついたというように両手を合わせた。
「クリームを?」
「はい。オーエンは甘いクリームが好きですから、たくさん泡立てて用意したら食べたくなってやってくるんじゃないでしょうか」
「そんなことで出てくるのかな……」
 ミチルは苦笑をこぼしたが、カインはあながち悪くないアイディアのように思えた。
「そうだな。パンケーキと甘いクリームをたくさん。そうしたらあいつも食べにくるかも」
「それじゃあ僕たちもたくさんパンケーキを焼きますね」
 カインは泡立て終わったクリームを皿に寄せると、空いているボールと泡立て器を二つずつ、新しく引っ張り出してきた。全部で三つのボールの中にクリームと砂糖を入れる。
「《グラディアス・プロセーラ》」
 カインがボールと泡立て器をひと組手にとって泡立てると、他の泡立て器も同じように動いてクリームを泡立てる。これで三倍の量のクリームを泡立てられるようになる。
 オーエンに会って話がしたかった。ただ、積極的に探すことを躊躇わせるのは、あのときのオーエンの顔に浮かんでいたのが恐怖だったからだ。
 騎士団にいた頃、同じように恐怖を浮かべていた仲間を見たことがある。長雨が続いたせいで土砂崩れの起こった村に派遣されていた同僚が、任務から戻ってきて以後、時々顔色を真っ青にしてうなされていた。先遣隊として派遣されたものの、物資や道具が足りず、助けることのできなかった人が大勢いた。そのことをずっと悔いているような優しい奴だった。騎士団の仕事は、他の仕事に比べて死に近い。彼はもう剣を振るうことはできなかったし、本人もそれをわかっていて騎士団を辞めた。過酷な体験は、それが過ぎ去ってもなお苛むのだ。
 オーエンは「覚えてない」と言っていた。それは嘘ではないだろう。覚えていなくともオーエンの中に深い傷となって残っていたものをカインは掘り返してしまった。その傷はオーエンにとって屈辱的なものではなかっただろうか。そして、それをカインに知られることは、彼にとって何よりも耐え難いことではなかったか。
 鬱憤を晴らすみたいにカインはめちゃくちゃにクリームを泡立てた。オーエンに会いたい。でも、やはり彼の心に土足で入り込むようなことをしてしまった自分には顔を合わせる資格はないとも思う。
「さすがにちょっと多くないですか……?」
 ミチルが声をかけたのは缶に入っていたクリームがほとんど空っぽになった頃だった。
「えっ……」
 クリームを泡立てるのに夢中になっていたカインはようやく手を止めた。ボールいっぱいにクリームが泡立っては皿に寄せて、ひたすらかき混ぜていた。缶の残量も皿のクリームも気にせずに。
「これ……さすがにまずいか……」
 パンケーキのトッピングでは到底使いきれないような量のクリームがきちんとツノが立つまで泡立てられていた。三段のホールケーキのためだとしても多い。
「でも、オーエンなら食べるでしょう?」
 リケがキッチンを覗き込んでいるオーエンに向かって問いかけた。久しぶりに見る顔に鼓動が跳ねて指先が少し震えた。
「食べる。クリームたっぷりのせたやつ」
 端的なリクエストだった。リケは皿の上に焼き上がったパンケーキを三枚重ねた。それをカインに寄越す。
「クリームをたっぷり、な」
 たっぷりのクリームをパンケーキが見えなくなるほど載せる。リケとミチルは他のトッピングも用意していた。ベリーやチョコレートソース、それにカラフルなチョコレートスプレー。カインはこの手の飾り付けのセンスに自信はなかったが、精一杯の見栄えを良くして、パンケーキの載った皿をオーエンのところへと持っていった。
「ほら」
 オーエンはカインの顔を見なかった。代わりにクリームで真っ白になったパンケーキに視線を落として、それから思わずというように笑みの形を作った。はっとするほど綺麗な表情だった。オーエンはフォークを手に取ると、クリームの地層からパンケーキを掘り起こすみたいにした。
「どうですか?」
 リケが問いかけるとオーエンはクリームを頬張ったまま答えた。
「あふぁい」
「……?」
 オーエンは口の中をいっぱいにしたクリームを飲み込んでから言った。
「甘いって言ったんだよ。クリームが甘くて美味しい」
「クリームはカインが泡立ててくれたんですよ」
 それを聞くとオーエンはちょっとだけ表情を固くした。それでもクリームを食べ続ける。その様子にカインは何も言うことができなかった。
「これでネロにも喜んでもらえるでしょうか?」
「俺がどうしたって?」
「ネロ!」
 キッチンに現れたのは訓練着姿のネロだった。リケは胸を張って宣言する。
「いつもおやつを作ってくれるネロに今日は僕たちがおやつを作ってあげます」
「僕たちオズ様にパンケーキの作り方を教えてもらったんです」
 ネロはキッチンを眺めると苦笑して答えた。
「そいつは嬉しいな」
「待っててください。焼きたてのパンケーキを用意しますから」
 リケとミチルが張り切ってフライパンに向かう。ネロは山盛りになったクリームに目を丸くし、それから空っぽになった缶を見つけた。そして──カインの方にやってくると尋ねた。
「トッピングにこんなにクリームって必要だっけ?」
「いや……」
「今朝缶いっぱいのクリームを市場で買って来たはずなんだけど」
「全部泡立ててしまって……」
「全部!?」
 ネロはクリームを山のように載せてパンケーキを食べるオーエンとカインを交互に見た。
「騎士さんが苦労するのも分かるけどさ……」
「いや、今回は俺がクリームを泡立てたくなって……」
「そんな事あるか?」
 冷静になると本当に何であんなことをしていたのだろうと思う。考えごとをするのにちょうど良かったといっても、食べ物を無駄にするのはよくない。この場合はオーエンが食べているから無駄にはならないだろうが。
「このクリーム、使う当てがあったのか?」
「まあ……。新鮮な群青レモンが手に入ったから夕飯をチキンのレモンクリーム煮にしようと思っててさ」
「クリーム……使うんだよな?」
「使うな」
 ネロはからっと笑った。
「いいよ。別の献立を考えるし」
「いや、今から買ってくるよ」
 カインはそう言うと、慌ててクリームを入れていた缶を引っ掴んだ。キッチンを出ていく間際に一瞬オーエンと視線が交錯した。何かを言おうとして結局言葉は見つからない。カインはそのまま一人で市場へと向かった。

「よかったねえ。残り少なかったよ」
 店仕舞いをしている最中になんとか滑り込んでクリームが買えた。古い缶を返して新しい缶に半分ほどクリームを詰めてもらう。
「あんた賢者の魔法使いさんだろ?」
「ああ」
「朝も髪の毛を結んだお兄さんが買いに来てたけど、どれだけ大きいケーキを作ってるんだい?」
「ははは。まあそれなりに……」
 カインは笑って誤魔化すと店を出た。すっかり空は夕焼けの赤に染まっている。市場は夕方になると朝とは変わった賑わいが生まれる。食材を売る店や服飾品を売る店が閉まる代わりに、夕食や酒を出す店が開き出す。軽食を食べられる小さな屋台も道沿いで看板を出し始めていた。早く帰らなければと思って魔法舎の方向へとつま先を向けたそのときだった。
 十歩ほど離れた先に人影が立っている。夕方の賑わいの中で、カインの目に見えるのはその一人だけだった。
「オーエン!」
 目に映らない人たちを気配で避けながら、時々ぶつかって謝りながら、カインはオーエンの方に向かう。オーエンは迷うように足元を二、三歩行き来した。けれど、結局カインが目の前にやってくるまでその場を離れずに待っていた。オーエンはきまりが悪い顔をしてつま先でトントンと地面を叩いている。
「どうしたんだ?」
「別に……。リケが、たくさんクリームを食べたんだから騎士様を手伝いに行けってうるさいんだ」
「手伝いに来てくれたのか?」
「そういうわけじゃ……」
 オーエンはもごもごと口の中で言い訳を並べた。
「騎士様が僕のせいでわざわざ働かせられてるのを見るのは愉快だと思ったし、クリームが買えなかったら騎士様はせっかくのネロのご飯を台無しにしたんだって教えてやりたかったし」
「クリームは買えたよ。ほんと良かった」
 にかっと笑うとオーエンはつまらなさそうに唇を尖らせた。
 本当に嫌ならばオーエンはいくらでもリケのことを無視して姿を消すことができただろう。パンケーキだってそうだ。確かに焼きたてのパンケーキもたっぷりのクリームも彼は好きだろうけれど、カインのことを避けるつもりがあるならばわざわざ現れたりはしない。オーエンもこうしてカインと顔を合わせて、言葉を交わしたかったのだ。
「魔法舎に帰ろう」
 カインはクリームの入った缶の入っていない左手をオーエンに差し出した。拒まれるかもしれないという不安がないわけではなかった。
「そうだね」
 オーエンはため息をつくみたいにそう言ってカインの手を取った。手を繋いで歩いていく。市場の人混みを抜けるまでは、互いに何かを窺うように一言も話さなかった。人通りの少なくなった魔法舎への帰路で先に口を開いたのはオーエンだった。
「覚えてないんだ」
 唐突だったけれど、それがあの夜の続きだということはわかった。
「うん」
「昔のことはよく覚えてない。ただ殺されたり痛めつけられたりするのと同じように、無理やり体をこじ開けられたことがあるんだと思う」
 きっと──とオーエンは続けた。
「そいつのことを僕は殺した。体をぐちゃぐちゃにされて、最後は腹を割かれて殺されて、僕が黙っているはずがない。何年かかっても殺してやったに違いない」
「そうだろうな」
 カインは心の底から同意した。カインの知っているオーエンはそういう魔法使いだ。
「だから、自分より弱い魔法使いのことなんて覚えてない。酷くされたことも忘れてた」
 オーエンの手がカインの手を握り直した。緊張を誤魔化すみたいに。
「どれだけ抱かれても何も変わらなかった。それなのに、騎士様に触られたらおかしいんだよ。ねえ、どうしてくれるの?」
 そこには嫌味も責め立てる様子もなくて、ただただオーエンの困惑だけがあった。手の中にあるオーエンの指先はひんやりとしていて、そこにカインは自身の指先を絡めた。
「俺は結構傲慢なのかもしれないと最近思っていて……」
 言葉を探すみたいにカインは告げる。
「気づいてなかったの?」
 呆れるようなオーエンの言葉にカインは苦虫を噛み潰したような顔をする。幼馴染に指摘されるのとは別の恥ずかしさがある。
「オーエンを大事にしていれば伝わると思ったんだよ。忘れなくても大丈夫だって」
 忘却とともに生きてきたオーエンの中に、失われないものを残したかった。忘れたくないほどの幸せを与えたかった。
「でも、オーエンにとって忘れることってそういうものじゃないんだよな。なんだろう、勝ち取った権利なのかなって」
 強者として、生き延びた者の権利として、忘却の厚い地層の下へと埋めていく。苦痛も屈辱も何もかも。
 カインが思っていたよりも、オーエンの心の中には深くて、古い傷が眠っている。傷は癒されるべきだと思っていた。けれど、癒すこともできず、忘れることしかできなかったことだってあるのだ。カインがどれだけ助けてやりたいと思っても過去に戻ることはできない。
「守ってやりたかったな。どの瞬間のオーエンも」
 ぽつりと言った言葉にオーエンの指先が震えた。カインは彼の方に視線を向けたが、すっと反対方向に顔を逸らされた。少しだけ歩く速度が遅くなって、彼の肩がカインの方に寄せられた。歩きにくくなって足が止まる。
「そういうところが傲慢なんじゃない? 僕はおまえよりずっと強い」
「その通りだよ」
 それでも、これがカインの本心なのだ。オーエンが傷つくことも、損なわれることもなければいいのにと思う。これまでも、これからも。これが傲慢だと言うのならその通りだ。
「俺はオーエンの体にも心にも触れていたい。オーエンの戸惑いも一緒に受け止めるから」
 カインは繋いでいた手を解くと、オーエンの頬に触れた。そしてまっすぐに彼の瞳を見つめる。もう顔を逸らされることはなかった。代わりにオーエンは熱っぽい瞳でカインを睨みつける。
「おまえは自分が正しいと思っていることをすればいいよ。傲慢でもなんでも」
 素っ気ないような言葉の下に、愛情が透けるような物言いだった。
「だって僕は、おまえのそういうところが気に入っているんだ」
 オーエンはぽつりと囁いて、そっと心の内を開いて見せた。

§

「……っ。オーエンもう……あんまり……」
 オーエンの部屋に入ると、カインはあれよあれよと言うままにベッドの上に転がされて上半身をひん剥かれた。オーエンの魔法に対抗しようがないことはわかっているが、それでも精一杯の抵抗────懇願とも言う────で下半身は死守した。
 オーエンの唇がカインのへその横をちゅっと吸い上げる。くすぐったい程度の刺激だったが恋人の唇で体を弄られるのは堪らなく良かった。
「騎士様、顔真っ赤」
 オーエンがくすくすと笑う。自分ばかりおかしくなるのは不公平だと、オーエンはカインの服を剥ぐと、胸や腕や腹を撫でたり舐めたりした。
「しょうがないだろ……。おまえがそうやって……」
 動物が擦り寄ってくるような拙さではあったけれど、それでも欲望は十分に掻き立てられる。カインは上半身を起こすとオーエンの背中を宥めるように撫でた。冷静さを取り戻そうとこのシチュエーションとは関係のないことを頭に浮かべる。無事にネロが夕食に作ったチキンのレモンクリーム煮は美味しくて、クリームを買ってこれて良かったなとか。そういうことを。
 そのうちにオーエンの手がカインのベルトに伸びる。
「やめっ」
「うわ」
 スラックスを下ろされると下履きだけが残される。はち切れんばかりに引きつった布地とそこからはみ出すカインの股間にあるものを見てオーエンは思わず声を上げた。
「こんなになっちゃうんだ」
「あんまりじろじろ見ないでくれ」
「やだ」
 オーエンはなぜだか嬉しそうに笑って、先走りで先端がてらてらと濡れそぼっているカインの性器を掴んだ。先の方をつんつんと指で突いて、先走りを指先で伸ばすみたいに擦り付ける。それから根本の方をぎゅうと指で押さえてから先の方へと扱く。感じ入っているカインの顔を眺めるオーエンは満足げだった。
「気持ちいいんだ」
 これで気持ち良くないことなんてあるかと言いたかったが、カインの口から漏れるのは言葉にならない声だった。オーエンの白くて冷たい指先が、自分の中心に触れている。
「もっと気持ちよくさせてあげる」
 オーエンは体を伏せるとカインの性器を薄い唇の間で挟み込んだ。
「まっ……。大丈夫なのか?」
「だいひょうぶみたい」
 咥えながら話すせいでオーエンの舌先や歯が触れる。快感がどくどくと背中から頭の方への上ってきてくらくらする。指先と違ってオーエンの口の中は温かかった。唾液と先端を滴る液体が混ざってオーエンの口の周りを汚していく。絡みつく体温と手で触られている時よりも密な粘膜の感触に頭がぼんやりとしてくる。
「にが」
 そう言いながらもオーエンは精一杯奥まで飲み込んで──と言っても精々が半分くらいだ──口をすぼめて前後に揺らす。その様が異様に淫らで直接的な刺激以上にカインの興奮を煽った。
「出るから……」
 流石に口の中に出すのはと思ってオーエンを引き剥がそうとするが、彼は頂に誘うように一層舌先で裏筋をしつこく舐め扱く。
「あ……っ」
 勢いが良すぎたのか吐き出された精をほとんどオーエンは口から溢していた。顎のあたりが精液と唾液でべとべとになっている。
「口の中、変な味」
 オーエンは思いっきり顔をしかめる。
「だからやめろって言ったのに……」
 カインはシーツでオーエンの口元を拭ってやった。
「気持ちよかった?」
「それは……」
 首を横に振るにはカインは正直すぎた。
 夕食後に部屋に来るように告げたオーエンは、カインが部屋にやってくると最初に「挿れられるのは無理かも」と告げた。オーエンは弱みを見せるみたいに不服そうな顔をしていて、それから誤魔化すみたいにカインの服を脱がせ始めた。カインとしては無理矢理行為に及ぶつもりはなかったし、オーエンが嫌ならば性的な接触にこだわるつもりもなかった。
「別にこういうことも、オーエンが嫌なら別に……」
「嫌じゃない。おまえがめちゃくちゃになってるところを見てやりたかっただけ」
 その言葉に嘘はなさそうだった。事実最初から最後までオーエンは楽しそうだった。楽しそうなのはいいが、あまり主導権を渡したくないとカインは心の中で戦々恐々としている。そんなカインの心中を知ってか知らずが、オーエンはさらに爆弾を投下した。
「溜まってた?」
「なっ……」
 時々ど直球の質問を投げてくるからタチが悪い。
「溜まってたかと言われると……」
 カインは正直に答えるべきか誤魔化すべきか迷って、結局は大人しく白状した。
「一人で抜いてたし……」
「へえ。僕のことでも考えてた? そうじゃなかったら殺す」
「当たり前だろ。めちゃくちゃオーエンのこと考えてたよ」
「なんかそれはそれで気持ち悪い」
「理不尽!」
 下世話な会話にオーエンはけらけらと笑った。つられて一緒に笑う。
「ねえ、キスしてよ」
「ええ……」
 どう考えても自分の精液の味がするよなと思うと躊躇いが先に立つ。オーエンもそれをわかっていてのおねだりなのだから本当に性格が悪い。
「ほら」
 オーエンの突き出した唇に自分の唇を重ねる。軽く触れさせるだけのつもりだったが、オーエンの舌先がカインの唇の隙間をこじ開けてくる。交わした唾液の味はしょっぱいような苦いような味がした。
「まず……」
 唇を離して思わずそう言うとオーエンはしてやったりという顔をした。一方で口の中に広がる味は先ほどまでしていた行為をまざまざと思い出させて再び自分の体が興奮してくるのがわかる。
「うがいして口直しでもするか」
 自分の体を宥めるようにカインは口にする。
「口直し?」
「お茶でも入れるよ。ああ、それかオーエンには──」
 カインはオーエンの顎のあたりを拭うように撫でた。唾液でわずかに光っている。
「季節はずれだけどココアは? 泡立てたクリームがまだ余ってる」
 オーエンによってクリームの大半は消費されたが、まだ残っている。明日には食べ切らないといけない。
「クリーム、全部僕に押し付ければ食べると思ってるだろ」
「……食べないなら別にいいけど」
「食べないとは言ってない」
 素直ではない会話を交わす。
「なんであんなにクリーム泡立てちゃったの?」
「オーエンが現れるかもって思ったから」
 それを聞いたオーエンは、カインの記憶にある限り一番派手に笑い飛ばした。