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街に着く頃には、東の空はすっかり明るくなっていた。カインはオーエンと共にまずは町外れの墓地に降り立った。まだ早朝ということもあり、人の姿はない。
「ここで呪文を唱えていたら何かの魔法が突然襲ってきたんだ」
昨日起こったことをカインは説明する。オーエンはカインの話を聞きながらぐるりと墓地を一周した。改めてカインも墓地を見渡したが、特別不審なところはない。
「何か分かったか?」
カインがオーエンに尋ねるとオーエンは呆れた顔をして言った。
「少しは自分で考えたら? その魔力から辿ることくらいはできるでしょ」
腕に刻まれた赤い痕からは確かに僅かではあるが魔力を感じる。集中しなければそれとわからないほど、薄く──どこかカイン自身に馴染むような魔力の気配だ。カインは深呼吸して意識を集中させる。微かに感じる気配を追って墓地を進み、奥の方にある墓石の前に辿り着いた。
「ここ」
墓碑には名前がなかった。ただ、百合の花を模した徴だけがひっそりと石に刻まれている。オーエンは目を細めただけで何も言わなかったけれど、これが正解だという確信がカインにはあった。
それからもう一つ、気配を追っていて気がついた。
「あの時、アーサーを襲った魔法……あれとは違う気がする」
「これとは?」
オーエンは魔法舎で襲いかかって来た黒い紙片を差し出す。もう動きはしないし、ぱっと見たかぎり魔力の痕跡もない。けれどオーエンが尋ねるということは、もっとよく見ろということなのだ。
カインは紙片を手に取ると今までよりも神経を研ぎ澄まして込められていた魔力を探った。
「《グラディアス・プロセーラ》」
囁くように呪文を唱えると黒い紙片はふらふらと浮かび上がり、蝶のように羽を揺らして宙を舞った。カインとオーエンがそれを追っていくと墓地の入り口近くにある墓碑の上に落ちた。
「ここ……だと思う」
残っている魔力の残滓はごく僅かだ。それでも紙片に込められた魔力はここに残っているものと似ていると感じた。
「誰のお墓?」
「合葬墓だ。身寄りがなかったり身元のわからない遺体を葬るための」
「じゃあ誰が埋められてるかわからないんだ」
「ああ。特別街に記録が残っていなければ」
大体どの街や村の墓場にもこうした合葬墓はある。通常墓碑に名前が刻まれることはまずなく、街によっては管理している記録簿に名前と亡くなった日が記載されていることもあるが、稀なことだった。
「街で聞いてみるか」
カインがそう言ってオーエンの方を見ると、彼は何かを探るように合葬墓を睨んでいた。
「どうした?」
「ここって……やっぱりいい」
オーエンは何かを尋ねようとしたが言葉を切った。何か引っ掛かることがあるようだったが、カインが訊いてもオーエンは何も答えなかった。
カインは墓地を出て街の中心部へと歩いていった。オーエンはいつの間にか姿を消していた。何度か声をかけたものの姿を見せないのでそのまま一人でこの街のことを調べるつもりだった。
中央の国で国土はは大小の領地に分割されている。治めているのは代々領地を預かっている貴族か特別な功績があって一代限りで領地を与えられた騎士だ。大きな領地ともなれば複数の街や村を所有しているが、そうでなければ領内を収める拠点となる街が一つとその周りにある村で領地は構成されている。
領内の構造と同じように街の構造も大抵一緒だ。中心部に領主のいる城や学校、貴族や有力な商人の邸宅がある。城の門前に大きめの広場があって、その周辺に市場ができる。そして、人々の住む家がその外周を囲むように何層かになって取り囲んでいた。この街に珍しいところがあるとすれば国境に面した街であるため、街の周囲は城壁で覆われているところだ。街によってはこんなにしっかりとした城壁のないところもある。カインの育った栄光の街もそうだ。
カインは最初に城を訪れた。川の水の調査を依頼したのはこの街の領主──直接的にはこの城で実務を担っている役人たちだ。
門番に身分を明かし、城内に入ることができたのはよいものの、厄災の傷の影響で他人に触れるまで姿が見えないカインにとって、話のわかる人間を引き当てるのはかなり難しい。ひとまず誰かに声をかけて──と思っていたところで、カインのことを呼び止める声が聞こえた。
「もし、賢者の魔法使い様ではないですか?」
声には聞き覚えがあった。昨日調査する前にこの城で話をしてくれた役人だった。
「ああ。ちょっと気になったことがあって話を聞きたいんだが……」
そう言うとカインは挨拶をするように軽く彼の肩のあたりに手を滑らせた。そこでようやく姿が視認できた。彼は戸惑った表情を浮かべている。
「ええ。それならこちらへ」
案内されてソファとテーブルの用意された部屋に入る。応接用の部屋のようだった。
「何かありましたか?」
「いや、昨日報告した通り川の水の件は解決した。今日聞きたいのはまた別件で」
「と言いますと」
「この街の墓地に合葬墓があるだろう? あそこに納められている遺体についての記録は残っていないか?」
「合葬墓ですか……。私の担当でないので、調べてみないと詳しいことは分かりませんが、さすがに細かい記録はないと思います。ここ数年のものであれば辿れるかもしれませんが……」
「そうだよな……。いや、いいんだ。ありがとう。もう一つ──墓地の奥に名前の代わりに百合の花が刻まれている墓があったんだが、誰が眠っているか知らないか?」
「百合の花であれば、ロザリーの墓でしょう」
「ロザリー?」
彼は少し躊躇ってから答えた。
「ロザリーは昔この街にいた魔女です。三百年……いや、もう少し前かな?」
「魔女の墓?」
カインは聞き返した。魔法使いや魔女の亡骸は石になる。そうして残されたマナ石は貴重なもので、持ち去られるのが常だった。
「伝承では彼女の死後に残ったマナ石が埋葬されてあるとされています。実際は空っぽかもしれませんね」
役人はカインの疑問に答えた。それから彼は声を潜めて魔女ロザリーについて語った。
「ロザリーはこの辺りで言い伝えられている物語で賢人とも呼ばれています。実際、彼女は相当な知恵者だったようで、街で起こった様々な問題を解決したとか」
例えば言い争う隣同士の家を和解させた、収穫前の長雨に困っていると魔法で雲を払った。魔法使いや魔女がこうして親しまれる存在として語られるのは珍しいものの、カインの地元でも聞くような伝承の一つだ。
しかし、それにしては役人の語り口は歯切れが悪い。
「彼女の伝承はこの街で語り継がれてきた物語ではありますが、おおっぴらに喧伝される類のものではないのです。墓碑も……かつては名前が刻まれていたそうですが、私の祖父の代ではすでに名前は削り取られ、百合の花の紋様だけが刻まれるようになっていたとか」
「なぜ?」
「ロザリーは西の国の魔女なのです」
そう言って彼はちらりとカインを窺った。カインもそれでようやく事情を察した。
「そうか。この街が西の国の一部だった頃の話か」
「はい。元は西の国の都出身だったと言われています。この街に落ち着き、中央の国と西の国で戦があった際に戦って命を落としたと聞いています。いわば敵国の魔女ですから、城内でおおっぴらに語られるものではありません。もちろん城下の民衆は今でもロザリーの逸話を子供たちに語り聞かせていますが」
街の民衆にとっては頼りになる賢人としての側面が語り継がれるものの、街を治める側からすれば都合の良い存在ではない。
「ロザリー亡き後は西の国との争いも減り、この街も長く中央の国の領土となりました。この街の古い記録をお探しであればこの城よりもグランヴェル城の方が見つかるかもしれません。守りの要として何度か領主が代わったこともあり、散逸している資料も多いのです。大事なものは中央の都に運ばれたと聞いています」
「わかった。丁寧にありがとう」
カインは深く礼をして応接室を後にした。
「何かわかった?」
出し抜けにかけられた声はオーエンのものだった。突然姿を見せたので、カインは一瞬驚いたがすぐに表情を緩めた。
「あの百合が彫られた墓のことはわかったよ」
「へえ」
カインは役人の男から聞いた魔女ロザリーの伝承を話した。
「だから違ったんだ」
「何が?」
「魔法の質が。中央の国の魔法使いが使うやつと少し違う」
オーエンは納得した顔でそう言った。カインにはそこまで気が付かなかったのだが、オーエンが言うのであればそうなのであろう。
「これ以上ここに手がかりはなさそうだから、また魔法舎に戻ってみんなに相談してみるか。ありがとう付き合ってくれて。──そういえば目はもういいのか?」
痛むと言っていたオーエンの左目を覗き込む。カインのものだった瞳は驚きに見開かれてそれからふっと視界から消えた。オーエンが踵を返したのだった。
「ここに来てからは別に」
オーエンは帽子の鍔を目元まで下げてからそっけなく言った。
「ならよかった」
街の中心部から外れてひと目につかないところで箒に跨る。魔女の伝説が残るこの街ならそう魔法使いへの風当たりは強くないのかもしれない。しかし、不用意に驚かせる必要もない。
眼下に墓地が見えた。オーエンは皮肉げな笑みを口元に浮かべて呟いた。
「戦争があったのならどれだけの人が死んで、あそこにはどれだけの死体が埋まっているんだろうね」
魔法舎に戻るとすっかり日が昇っていた。カインがオーエンを昼食に誘おうとした時には、もう彼の姿はなかった。いつものことながらオーエンは気まぐれに現れて、消える。仕方がなくカインは一人食堂に向かった。
「カイン」
アーサーの声だ。手を上げるとパンと軽く叩かれて、目の前に少し心配そうな表情を浮かべた彼の姿が見えた。
「あれからなんともなかったか?」
「それなんだが……」
カインは今朝突然襲ってきた黒い紙片のことと、街で聞いた魔女の伝承について話した。
「朝からそんな大冒険をしていたとは」
「冒険ってほどじゃ……まあ、そう言われればそうか」
「次は私も誘ってくれ」
アーサーは悪戯っ子の笑顔を浮かべた。冒険に心躍る主君の気持ちを十分理解しつつ、カインは曖昧に首を振る。
「俺のせいであんたを危険な目には合わせられない」
アーサーは反駁しなかった。カインがそう答えることをわかっていたという顔で目を伏せた。
「結局その呪いがなんなのかはわからなかったのだな」
「ああ。あの街に何かありそうだということしか」
「確かに城の書庫に古い記録はあるだろうが、それこそ膨大な数になる」
「だよなあ……。あんたに探してもらうわけにもいかないし」
「探すなら入れるように手配するが?」
「今の俺は部外者だ。城内はともかく書庫に入れるとなると色々大変だろう」
「構わない。それに──おまえに見せてまずいものが本当にあるなら、おまえを騎士団長から解任したりしない」
アーサーは言い切った。書庫には確かに外に持ち出せない中央の国の機密も含まれる。その中には軍事に関わるものもあった。かつてカインが当たり前に触れていたものだ。本当に機密の流出を恐れるなら、アーサーの言う通りあんな風に職を解かれることはなかったのかもしれない。
「そこは俺が信頼されていると言ってくれよ。俺はそう思ってるんだ」
カインが肩をすくめるとアーサーは決まり悪そうに謝罪した。
「すまない」
「別に本気で言ったわけじゃない」
「とにかく書庫に入れる手筈はつけておく。この後また城に戻らなければならないから」
アーサーはそう言うと食堂を出て行った。
アーサーのことだから書庫を調べる手筈は整えてくれるだろう。その間にカインはファウストにも調べたことを話しておくことにした。この時間であれば東の国の魔法使いたちに授業をしていると踏んで、カインは室内修行場に足を運んだ。ノックをするまでもなく、扉は開け放たれている。休憩中なのかシノとヒースクリフの話し声が聞こえた。
「ファウストはいるか?」
室内からは複数の声が聞こえる。東の魔法使いたちだけではなさそうとあたりをつけたところで上げた手に誰かが触れた。最初に目に入ったのはファウスト。それからちょっと強めに叩いたのはシノ、その後にヒースクリフ。少しずつそこにいる人の姿が明らかになる。
「俺が最後」
そう言って手のひらを合わせたのはネロだった。
室内には東の国の魔法使いだけでなく南の国の魔法使い──レノックスとルチル、ミチルもいる。フィガロの姿はなかった。南の国の先生役であるフィガロがいないから合同授業ということだったのだろう。
「僕に何か用か?」
「これのことでちょっと相談したくて」
カインは赤い痕の残る右腕を掲げた。ファウストは持っていた本を教卓の上に置いた。
「場所を変えようか?」
「いや、俺は気にしない」
「ならここで聞こう。ちょうど授業が終わったところだから」
ファウストは教卓の近くの机に座った。カインは机を挟んでそのすぐ後ろに座って、オーエンと再び訪れた街のこととそこで聞いた話をした。カインの話に最初に反応したのはファウストではなくレノックスだった。
「ロザリー……」
「レノ、知っているのか?」
ファウストに問いかけられてレノックスは記憶を探るようにしばらく目を閉じてから答えた。
「噂を耳にしたことくらいは。直接会ったことはなかったと思います」
「そうか」
ファウストは頷いた。彼らとは離れたところで話していたシノがずいと近寄ると、いつもの通り忌憚のない口調でカインに声をかけた。
「その魔女に呪われたのか?」
「いや、多分そうじゃないんだ」
最初にアーサーを襲った閃光と、夜中にカインの元に現れた紙片の魔力の源は同じだ。けれど、ロザリーの墓から感じられたものはまた違う。
ファウストはカインの腕に浮かんだ赤い痕をしばらく見つめそれから言った。
「呪いではなく守護にも見える」
「守護?」
「害をなすのではなく、何かしら害を及ぼそうとした外敵に対して反応するような魔法だ。とはいえ、無理矢理君の魔力に寄生してるんだから呪いと言っていいのかもしれない」
「ファウスト、あんたが解いてやればいい」
「シノ」
ヒースクリフがシノの物言いを咎めるように声を上げた。ファウストは小さく肩を竦める。
「呪いでなければ専門外だ。剥がすなら、フィガロに頼むといい。あれの腕は確かだろう」
「わかった。でも、もう少し調べてみるよ」
彼女は知ってほしいと言ったのだ。カインはその意味を解したいと思う。
「あまり死者に深入りするなよ」
ファウストは釘を刺すように告げた。
その夜も夢を見た。
フードを深く被ったその人物にカインは呼びかけた。
「ロザリー」
彼女はカインの言葉に答え、一礼した。
「やあ、騎士殿」
「単刀直入に聞かせてもらいたい。あんたは俺に何をさせたいんだ」
「……ふふははは」
彼女は声を上げて、身をくの字に追って笑った。フードの下で紫の瞳が輝いた。
「いいね。そういう直截的なのは嫌いじゃない」
「悪いな」
彼女は首を振った。
「私の願いは、あなたがこの呪いを知ることだ」
「知るとは?」
カインの言葉に彼女は苦笑した。
「私から伝えられるのは三つ。一つは私が死んだ国境の街。一つは中央の国の都にある処刑場。一つは騎士の街リンカ領」
彼女は素早く三ヶ所の地名を並べた。
「そこにあるのは私たちの恨みとあなたたちの罪。それは時間と共に忘れられ、朽ちていくはずのものだった。でも、私がこうして目覚めたということはまだ残っているのだろう」
「俺の罪とは?」
カインが問いかけると急に目の前の光景が霞み始めた。
「質問が多いな。時間だ。あなたの魂と繋がるのはとても難しい。長い時間は話せない」
彼女の声が遠くなる。
「死人に問いかけは無用。その問いは……君をよく見ている他人に訊くといい」
カインが目を覚ました時、カーテンの隙間から差し込む日の光で部屋の中はすっかり明るくなっていた。
「これも夢か」
赤い痕はまだ右腕に残っている。夢の中で話をしたロザリーは、もうこの世にいないとは思えないくらいはっきりと形あるものに思えた。
「呪い……か……」
カイン自身、恨まれることに身に覚えがないと言ったら嘘になる。若くして騎士団長に任命され、ほとんどの人間は彼を祝福した。一方で妬み嫉みを向けてくる人がいなかったわけではない。
ロザリーからは不思議と怨念や恨みのようなものは感じなかった。彼女はただ「私たちの恨み」を知れと言う。その時ふっとカインの頭に閃いたものがあった。
「私たちの恨みとあなたたちの罪。──あなたたちというのは誰なんだ?」
カイン個人に向けられた呪いであるならば、「あなた」と指し示すことだろう。しかし、彼女は「あなたたち」と告げた。そうであるならば呪いの対象は複数いるのだ。少なくともカインの周りに呪われたと言う者はいない。けれど、もしもこの呪いが、この魔法者にいる他の者に影響を及ぼすものであるのなら、何としてでも解決しなければならない。
よし、と気合いを入れてベッドから出ると窓際で小鳥が鳴いているのを見つけた。よく見れば魔力で練られた鳥であることがわかる。カインは窓を開けてやると小鳥はすっとカインの部屋に入ってきて、アーサーの声で喋った。
『書庫の件、話は通しておいた。時間のある時に城の書庫を直接訪れてくれ』
さすがアーサーだ。無理を通してしまったことを申し訳なく思いながら、カインは小鳥の頭を指で撫でた。
「アーサーに伝言を頼む。『ありがとう。早速今日行ってみるよ』」
それからカインは呪文を唱えて小さな粒のシュガーを作ると小鳥に食べさせる。小鳥は機嫌の良い声で小さく鳴いた後で、空へと羽ばたいていった。